「ら抜き言葉」ってどうしてダメなんだと思う? ⦇長⦈
こんにちは、たてごと♪ です。
「
……はい(
さて、某Twitter()で、とあるアンケートを見掛けまして。
〝「選りすぐり」どう読みますか?〟
と設題して、{えりすぐり}や{よりすぐり}など選択
これね、本来なら〝どう読みますか〟じゃなくて、
〝ニュアンス個々違うから遣い分けてちょ〟
ってシロモノだったり。
〝同音の訓読み
そんな感じのお話は、『「全部ひらがなでいいのに何で漢字使うの?」って
それを〔選る〕の場合で見ると、こんな感じになります。
◦ [
◦ [
◦ [
え、「得らふ」なんて
でもこれ、古語にはあったのぜ。
ほかに「語る」「語らう」とか、あと「さる(去る)」「さらう(
んでこれら、厳密には{
「
†
突然のアルファベット混じりで、びっくらこいた()かもですが。
実は「やまとことば」には、〝
それは、〝ある語に別語を接続するとき、その末尾母音を省略して結合させる〟ってもので。
「やまとことば」自体、結構細かいレベルまで分解できるやつなんですが、そもそも一音一音で既に、大まかなニュアンスが決まってたりするんですね。
〝人が音の
そうして感覚を
え、母音省略して接続とか知らんって?
いやこれ、現代の五段動詞でも、
• {
• {
みたいな感じで普通にやってるやつっすよ。
そもそも子音単体で意味を持ってなかったら、五段活用なんてものは発生し得なかったと思いません?
まあ〝日本語として母音を音単位とする〟っていう
「活用するとき変容しない部分」が語幹の定義なのだから、厳密に言うなら{
そのために、語に語が接続されるときに、その末尾母音が省略される、なんて事が起きる。
というか、「本来の形にいったん
ついでにつけ加えると、動詞語尾の先頭母音。
それぞれ漢字で表すと、大体こんな感じになったりします。
•
•
•
•
•
こんなふうに訓読み
たとえば「語る」にこの定規を当ててみれば、{
†
で、さて掲題。
この〝母音省略結合〟から考えていくと、「一段動詞の〝ら抜き
いやまあ、大きく間違ってもいないんですけれどもね。
そんな疑いの持ち上がる経緯ですけど、たとえば「語る」は五段動詞なので、〝ら抜き禁止〟という制限が無い。
だから〈語る事ができる〉は「
これは母音を省略せずに結合した「語り得る」と、まったく同じ意味ですね。
これが一段動詞だと、〝ら抜き禁止〟の制限を受けるわけですが。
だから例えば「食べる」は、〈食べる事ができる〉の意では「
ここでこれを、五段動詞のそれにならって解釈してみると、{
この「ら」、どっから
「
んで「
と、そんな感じになるわけですね。
一方で、{
意味、過不足なく伝わりますよね。
つまり語の組成から考えるかぎり、〝「食べれる」は正しい〟。
何も間違ってないもんを「禁則と定義する」には無理があるし、何も間違ってないのだから「許容されるべき」って見方もちょっと違う。
「ふつうに通用して
専門家としては〝きちんと文法を守らないと、意図が正しく伝わらない可能性がある〟って立場みたいだけども、「それ本当にそうかや?」って疑問も有ったりして。
だって〈食べる事ができる〉を「食べれる」と言ったところで、誤解の余地ある?
無いでしょ。
当然よ、それで正しいんだもん。
逆に〝ら抜き禁止〟を通すと、〈捕食される〉って意味の受動表現「食べられる」と区別つかない、っていう重大な問題が発生するのすよ。のすのす(
たとえば『
◦ 〝話が成立しないとは理が立てられない事、話ができないとは理が立てれない事〟
でも「立てる」は一段動詞だからって、「ら」を入れてみたらどうでしょう。
◦ 〝話が成立しないとは理が立てられない事、話ができないとは理が立てられない事〟
……わけわかんねえでしょうが💢
同じ動詞の受動表現と可能表現を、ひとつの文内で並べたいってニーズ、実際に発生するんですよ。
そういう時どうすんですか。
「理が立たない」とかに書き換えても受動表現と可能表現のどちらにも取れるんで、地味に代替手段が無いんですよこれ。
いや、従うとむしろ正しく伝えれなくなる文法とか、マジ要らなくね?
こんなん慣習だったとしたって、ぶっちゃけ悪習でしかないじゃないすか。
テキトーなこと言わないでくださいよセンセイ、困るんですよこっちは。
†
唐突に「ら」が割り込んでくる感じだから、これって〝ら入り
こいつを通用させる、合理的根拠、見つからんのです。
それを示すには、「食べれる」じゃなくて「食べられる」じゃないと無視できない問題が発生するよ、という実例を一つでも挙げれれば済むはずなんですけども。
皆無なんですわねこれが。
いや確かに昔の時代なら、五段動詞でも〈語る事ができる〉を「
古い案内標示で〝このさき行かれません〟なんて文言が残ってたりもしますけど、つまり{〜eる}じゃなくて{〜aれる}が、可能表現として通用してたわけですね。
でも、これだけだと慣習として認識できるだけで、根拠と呼べるかって言うとちょっと微妙じゃないですか。
それにそもそも、そこに不自然さが感じられてたからこそ、五段動詞では「ら入り撤廃」になったわけで。
それなら何で一段動詞はそのままなの、っていうところに、有効な説明が付けられた
意味不明にも程ってものがあるでしょうし、それで多くの人が〝なんでこんな事になってんの〟と疑問を持つわけですね。
これはなんと、
……はい(
実際、〝ら入り
〝まだ高齢者に「ら入り」で
ってか伝わりづらくっても、都度教えりゃ済む話じゃないんですか、それは警戒しきゃいけないほどの苦労なんでしょうか。
だとしたら後は、「古文書を解読する場合」くらいしか無いんじゃないすかね。
でもそんなニッチな作業、そもそも一般人はやらんでしょ。
だからこんな事は、「学者だけがわかっていればよろしい」。
ああでも、中二病
と、いうのが
「ら抜き
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