第21話 その言葉に意味を足したい

――言葉という物は、人間にとって猿で言う所の毛づくろいに相当するものである。


 こんな文言を僕が知ったのは、まだ僕が学生の頃かさもなくば就職して間がない頃の事だったと思う。いずれにせよ、当時の僕は今よりも格段に若かった事だけは確かである。ちなみにこの文言の出典はコミュニケーション関連の本だった。駅前のコンビニで売られていた本で、電車を待つ手持無沙汰の折に立ち読みしていたのだ。全くもって、僕はその頃からしみったれでしぶちんだったのだろうか。

 いずれにせよ、良くも悪くもこの世には言葉があふれかえっている。そしてその事に辟易しつつも、僕も言葉を氾濫させる行為に対する共犯者である事には変わりはない。いやむしろ……僕は言葉を氾濫させる行為を嬉々として行っている側ではないか。おのれの今の趣味を鑑みると、そう思わざるを得なかった。


 型どおりに神社で参拝を済ませた僕は、そのまま境内の中をぶらついていた。家族と一緒に参拝する時は、親と一緒に進まねばならず、要するにお賽銭を入れて参拝したらさっさと帰らなければならなかった。しかし今は僕一人で参拝しており、ツレなどは特にいない。だから僕のペースで進む事が出来た。もっとも、三が日の中日という事もあり、境内の中は僕以外の参拝客もチラホラと見えるのだが。あちらでは子供の歓声が上がり、こちらでは若者たちがひそひそと話し合っている。里山の奥にある神社だから、普段はひっそりと静まり返っているのだけれど。

 さてブラブラと歩いているうちに、絵馬が飾られているのを僕は見つけた。てんでばらばらというかバラエティ豊かな絵馬たちかそこには吊るされ、静かに風化していくのを僕は感じた。絵馬じしんの形とデザインは画一的な物だから、てんでバラバラでバラエティ豊かなのはそこに記された文字たちである。恐らくは油性のマジックで書かれている物がほとんどだろう。筆跡も、そして書かれている事――それはもちろん願望なのだけれど――も何もかも違う。明るく無邪気な願い事もあれば、何処か偏執的な執着が感じ取れるような願い事もあるにはあった。


「あのぅ……」


 後ろから声をかけられ、僕は飛び上がらんばかりに驚いてしまった。しかもその声の主は、十代後半ほどの少女だったのだから尚更だ。というかそんな年頃の女の子が、なぜ僕に声をかけたのだ? 僕はもうアラサーで、自分で言うのもなんだがいい歳だ。彼女の目からはオッサンと見られてもおかしくないくらいに。

 僕はそれから、他人の絵馬を盗み見ていたという事に多少の罪悪感のようなものを感じ始めた。絵馬などは無遠慮に見てはいけない。かつて親にそう言われ、叱責された事を思い出しながら。


「いやその……絵馬を買って、それで願い事を書こうと思っていたんです。でも、吊るすスペースがあるかなって思いましてね」


 いつの間にか、僕の口からは弁明の言葉がするすると紡がれていた。それが本心なのかどうかも解らない。そもそも見ず知らずの少女に取り繕って言う必要すらあったのだろうか。

 少女はふと絵馬の方に視線を向けると、口許にかすかな笑みを作ってから言った。


「確かに色々な願い事が溢れていますよね。だけど、その願い事が等しく叶って、それでいて皆が幸せになれば良い。私はそんな風に思うのです」


 少女の言葉は実に素直で、だからこそ重みを伴っているように感じられた。

 こんな風に僕も言葉を使ってみたい。意味のない言葉をたくさん連ねるのではなくて、意味のある言葉を少しずつでも使っていきたい。創作活動に手を染めてすらいる僕は、そんな風に思うのだった。

 少女はそのまま立ち去ったのか姿を消していたが、僕が絵馬を買って願い事を書いたのは言うまでもない。

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