第7話 きつねの火遊び:7(終)
「そして大切な事を言い忘れていたな。政信君、玉藻御前の末裔である事を驕り、その能力と血筋を皆に知らしめたい。その気持ちは俺にもよく解る。いや――親族たちの中で君のその気持ちを理解しているのは、他ならぬこの俺だろうな」
俺の顔を覗き込みながら、源吾郎叔父はそう言った。その顔にはやはり、獰猛で残忍そうな獣の笑みが張り付いている。心からの笑みなのか、単なる狐芝居なのかは解らない。静香が胡散臭そうな表情で源吾郎叔父を眺めていたがそれも今ではどうでも良い事だった。
源吾郎叔父が、この俺の気持ちを解っていると言い放った事。俺はその事で頭が一杯だった。
今の君の姿は、若い頃の俺の姿にそっくりなんだからな。過去を懐かしむかのように放たれた源吾郎叔父の言葉は、まさしく追撃そのものだった。くらくらするような思いを抱えながら、俺は源吾郎叔父の言葉を待った。
「さっきも言ったとおり、元々俺は人間として育てられたんだ。大妖怪の子孫と言えども、半妖が人間として育てられる事はそんなに珍しい事じゃあない。妖怪としては不完全で弱くても、人間としては優秀な人材として活躍できる可能性があるからな。母上からして半妖だったし、誠二郎兄さん含め兄さんたちも姉さんも人間として育ったんだから、俺を人間として育てたのも特におかしな話ではないさ。
そもそも、政信君だって誠二郎兄さんや早苗義姉さんから人間として育てられていただろう」
源吾郎叔父の最後の言葉に俺は頷いた。源吾郎叔父も俺を見て頷き、瞬きして空言葉を続ける。
「その俺が敢えて妖怪として生きる道を選んだ理由は何故か。それはやはり、玉藻御前の末裔であるという事を笠に着て、野望を抱いたからなんだよ。元より俺は妖怪としての気質も、妖力自体も強かったからな。
最強の妖怪になって、妖狐どころか妖怪たちのトップに君臨する。それで可愛い女の子たちをモノにしてハーレムを作る――俺がマサ君位の年頃には、そんな事を考えていたんだ。だからまぁ、高校を出て早々に就職して、それで妖怪の世界に飛び込んだんだよ。妖怪の世界は実力が物を言うし、人間の世界ほど法や規則は厳しくないからな」
「へぇーっ、ゴロー叔父さんがそんな事を考えていたなんて」
若き日の源吾郎叔父が抱いていた野望を耳にした俺は、思わず声を上げていた。最強の妖怪として君臨する事。女を侍らせてハーレムを作る事。どちらも俺が知る源吾郎叔父とは結び付きそうになかったからだ。
娘の静香は訝しげに源吾郎叔父を凝視していたが、雪羽兄さんは何故か笑いをかみ殺したような表情を浮かべていた。玲香さんは微笑ましいと言わんばかりの表情だし。と、堪えかねたように雪羽兄さんが口を開いた。
「もう、先輩ってばマサ君の前とは言えども話を盛り過ぎっすよ。そりゃあまぁ先輩だって若い頃はがっついてましたけど、元から真面目な良い子だったじゃあないっすか」
「雷園寺君。俺が割と真面目に甥に話をしている時に割り込むなよな。こっちだって話を進める段取りを考えているんだ。それを崩さないでくれ」
「あはははっ、悪かったっすね島崎先輩。代わりに俺がフォローするんでそれで勘弁してくださいよう。それにしても、政信君のためとはいえ思い切った事まで言っちゃいましたねぇ。姐さんとか静香ちゃんまで聞いてるんだから、後が怖いんじゃあないっすか」
雪羽兄さんの言った思い切った事とは、ハーレム云々の事であろうか。まぁ確かに、妻や娘がいる前で言う事では無いだろうな。そんな事を思う俺とは裏腹に、玲香さんも静香も憤慨したり戸惑ったりするそぶりは無かった。
「ねぇお母さん。お父さんって本当はハーレムとか作りたかったのかな?」
「どうなのかしらねぇ……ただ、私と知り合ってからはずっとお父さんは私に一筋だったのよ。他の女性に目移りする事なんてまず無かったし、付き合ってすぐの頃から結婚するんだって皆に言っていたくらいだもの」
無邪気そうな娘の問いかけに、母親である玲香さんは落ち着いた様子で答えている。その玲香さんが少しばかり照れているように見えるのは気のせいだろうか。
「もしかして、ゴロー叔父さんって野望とかもあったのかもしれないけれど、若い頃からこんな感じだったんですかね」
誰にともなく放った俺の問いに、雪羽兄さんがまず頷いた。源吾郎叔父は気恥ずかしそうに拳を握りしめている。少しだけ違うわ。にっこりと微笑みながらそう言ったのは妻である玲香さんだった。
「若い頃のゴローさんは、結構甘えん坊な所があったのよ。私も最初は弟みたいだなって思っていた所もあったの。それでもちゃんと成長して、良き父良き夫として、私たちを支えてくれているんですから」
「やだなぁ玲香さん。俺たちだってもう結婚して長いし、子供たちだっているんだ。そんな、いつまでも仔狐みたいな事はやってないさ」
笑う源吾郎叔父の姿は何とも幸せそうだった。確かに玲香さん一筋という俺のイメージは若い頃から変わらぬ物なのだろう。ついでに言えば、妻である玲香さんに源吾郎叔父が甘える姿もイメージできてしまう。玲香さんが源吾郎叔父に甘える所は上手くイメージできないのに。
ちなみに源吾郎叔父が、俺の野望に気付きつつも俺に干渉しなかったのは、子育てで忙しかったからなのだ。確かに子供が八人――しかも三つ子と五つ子なのだ――もいて、下の五つ子たちなどは人間で言えばまだ七、八歳くらいなのだという。甥の事にまで手を回す余裕がなかったのは無理からぬ話だ。
※
「まぁそんな訳で、マサ君も妖怪としての生き方を選ぶのか、人間としての生き方を選ぶのか、そろそろ真面目に考えないといけないって事だね。まぁ、答えは解っているし、君の事は既に妖怪社会でも明らかになってしまったんだけど」
落ち着いた様子を取り戻した源吾郎叔父は、俺を見つめながらそう言った。妻に甘えようと弟のように可愛がられようと、源吾郎叔父は俺の前では確かに叔父として、威厳を護っていた。
「しかし、その前に色々とやっておかない事があるからね。とりあえずマサ君を捕まえて売り飛ばそうとした不届き者は全員逮捕できたけれど、奴らと繋がっているブローカーを叩くのがまだだし」
「先輩。その辺は弟妹達と一緒に俺が調べておきますよ」
言葉がひと区切りついたところで、間髪入れずに雪羽兄さんが言った。雪羽兄さんには大勢の弟妹達がいて、特に年の近い弟と妹を、こうした仕事の手伝いに使う事がままあるらしい。キメラとラーテル。この二人が雪羽兄さんの弟妹で、忠実な部下たちだったのだ。
源吾郎叔父は雪羽兄さんに礼を述べると、今再び俺の方に向き直る。
「とりあえず、今日は色々あったから、マサ君は美味しい物を食べて、じっくり身体を休める事だな。なに、今宵は俺が政信君の家にお邪魔するから、夕飯の事とか何も心配しなくて良いんだぞ。はは、それこそヤコちゃんの姿に変化して、色々とマサ君の世話を焼くのも乙かもな」
俺の部屋に押しかけて面倒を見る。これから行おうとする事を源吾郎叔父はつらつらと述べ、そして愉快そうに笑っていた。俺はちっとも愉快な気分に離れず、頬を引きつらせるだけだった。別に俺は、叔父に面倒を見て貰う事など望んでいないというのに。しかもヤコに変化するとか完全に嫌がらせだろう畜生。その辺りは雪羽兄さんもツッコミを入れてくれてはいたが。
そして思いがけぬ所で抗議の声が上がった。従姉の静香である。彼女は憤慨したような眼差しで源吾郎叔父を見ているではないか。
「お父さん! お父さんだけでマサ君の部屋にお邪魔して一泊しちゃうの? それなら私も一緒に付いて行きたいな。マサ君がお父さんの手料理を食べれるなんて、それこそずるいわ」
事もあろうに、静香までもが俺の部屋に泊まりたいと言い出したのだ。流石の源吾郎叔父も、これには渋い表情を浮かべた。
「政信君は薬を盛られたり何やかんやあったから、父さんも心配で介抱しようと思っているんだよ。それにだな、従弟と言えども年頃の娘が男の部屋に泊り込むなんて危ないぞ」
「でもお父さんが一緒なんでしょ。お父さん、何があっても私たちを護るって言ってるじゃない。それにね、マサ君のキャンパスライフとかも興味があるの」
無邪気なワガママを放つ静香の言葉に、源吾郎叔父は深くため息をついた。それから観念したように玲香さんの方を見たのだ。
「玲香さん。悪いけれど静香を説得させてほしいんだ。見ての通り、娘は俺と一緒に政信君の部屋に泊まるって言って聞かないからさ。母さんの言う事なら、静香だって聞くだろうし」
「ゴローさん。いっそのこと政信君を連れて一緒に家に戻れば良いんじゃないかしら」
玲香さんの言葉に、源吾郎叔父も俺も固まった。もっとも、表情は互いに異なっていただろうけれど。嫌な予感がした俺などはお構いなしに、玲香さんは言葉を続ける。
「ゴローさんの甥である政信君が狙われたって事は、私たちの子供も狙われている可能性もあるの。ブローカーについては雷園寺君たちが調べていて、家の方はいちかお姉様が護ってくれているけれど……やっぱり今日は家族がバラバラにいたら何かあった時に不安だもの。
それに政信君も一緒に家に戻ったら、静香だけじゃなくて幸一郎たちだって政信君の話を聞く事も出来るし、ゴローさんだって変に気を張らなくて済むでしょう。空き部屋だってありますし」
「確かに……一緒に帰った方が色々と都合が良さそうだな。ありがとう玲香さん。それで一件落着だな」
かくして俺は、このまま源吾郎叔父の家に連行される事に相成ったのだ。
源吾郎叔父の家にて妖狐の血が濃いいとこたちと久しぶりに再会して質問攻めにあった事だとか、源吾郎叔父を一泡吹かせるべく女子変化を会得しようと俺が心に誓ったのは、また別の話である。
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