繰り返しに至る_3


 仕事をこなすことは造作もない。既に5回同じことを経験しているからだ。なんなら本来帰り際に頼まれる資料は先回りして午前中に作っておいたし、すぐ帰れるように必要のないものは鞄とデスクの引き出しにしまってある。


 ――記憶だけでなく、他にも引き継ぐことができる物。それがひとつだけあった。それは、俺のスマホのメモ帳アプリだった。なぜかこのアプリだけは、俺が1回目から6回目までに何の気なしに書いたメモが残されていた。

 気が付いたのは3回目だった。1回目は特に使うこともなく、2回目は一言『明日の資料』と書いてあったのだ、今日の日付で。確かに、その一言を書いた記憶はあった。3回目も同じメモを取ろうとして、2回目の時の物が残っていることを知った。そして、3回目はどんな資料を必要とされているか、何を作ったかを重点だけメモしておいた。それを利用して、4回目と5回目はなんとか先輩の要望を事前にこなし、業務後の時間を作ることができたのである。

 とにかく今は、今まで以上に彼女のことを考える時間が欲しい。――なんとしてでも、俺のためにも彼女を救わなければ。

 会社の拘束時間は長いのだが、取り敢えずの結果を残せば仕事中タバコ休憩に長居しようが、途中コンビニに行ってデスクでお菓子を食べようが、文句を言われることはない。だから俺は、出来る仕事は全て片付けて、1回目から3回目までのループの中での出来事と、それぞれのループで異なった点をまとめていた。


(……といっても、そんなに変わった点はないんだよな……。まだたった3回だし)


 今のところ共通しているのは、俺が起きる時間。いつも通りアラームをかけた6時半に目を覚ましている。そして1回目から3回目までは、普段通りコンビニで弁当を買って出社し、同じような会話を繰り広げながら同じような時間に会社を出た。その後向かうのはもちろんあの歩道橋で、1回目はとんでもないものを見てしまったと心臓が痛くなり、2回目は親切心と猜疑心から声掛けをしてみたがやはり死んだ彼女に複雑な気持ちになり、3回目は出来の悪いホラー映画でも見せられているような気分になりながら彼女の死を見届けた。4回目5回目ともなると、早く家に帰って眠りたかった。やり直しを成功さなければ、永遠に終わることがないのだとよくよく知ったから。


 ――どうしても、彼女はあの歩道橋で死んでしまうのだろうか。今日という日、元伊織には歩道橋でしか会っていない。だから、4回目になる今日は、ちょっと展開を変えるつもりで彼女の働くカフェへと足を運んだ。

(はたして、それが吉と出るか凶と出るか……)

 とにかく、カフェへ足を運んで会話をしたのだ。彼女が俺の顔を覚えていなかったとしても、もし話しかけるタイミングがあるならば『お昼はありがとうございました! 本日のパスタ食べて良かったです! また今度注文しますね!』とでも言えば良い。こんなに流暢に喋ることができるかはわからないが、少なくとも例え不審に思ったとしても、昼間の出来事は思い出してくれるだろう。

 そこで彼女が言葉を返してくれたら上出来だ。


 過去5回、彼女は歩道橋を上っていった。もしかしたら、歩道橋からその身を離すことができれば、彼女を救えるのかもしれない。

「……よし、それなら……」

 部屋の壁に掛けられた時計に目をやると、もう定時をさそうとしていた。


「――あ、野元! 明日の会議の資料なんだが、今から……」

「あ、こんな感じで良いですかね?」

 俺はすべてを聞く前に作っておいた資料を先輩へ差し出した。

「お、おう……? あ、いや、明日の会議の資料、この後作の手伝ってほしかったんだが……?」

「はい、もう作ってあります」

「え? 俺、今初めてその話したよな?」

「はい。でも、なんとなく、本当になんとなくなんですけど、こんな感じの資料が必要になる気がして……。ささっと見てもらっても良いですか?」

「お、おう……」

 眉間にしわを寄せた先輩が、俺の作った資料を見てさらにしわを寄せている。

「……お前、すげえな……」

「いや、本当に、なんとなくなんですよ、なんとなく。こんなの先輩ほしいかなって」

「めちゃくちゃ俺が今欲しいと思った資料だわ。天才かお前話」

「いつもこんな感じで仕事出来たら良いんですけどね、あはは。あ、俺この後用事あるんで帰りますね。それじゃあ、お疲れ様でした。お先に失礼します!」

「あ、野元! お前この後飲みに……」


 先輩の遠ざかっていく声を背に、俺は足早に会社を後にした。――知っている。先輩は俺を飲みに誘う。資料を作って手渡し無事に帰れるだろうと思っていたのに、強く出られなくて断り切れなかった俺は、過去2回先輩と飲みに行って相変わらず彼女を死なせてしまった。

(先に帰り支度しておいて良かった)

 恐らく、資料の作成と帰り支度はしておいて正解なのだろう。自分の行動できる時間が増えるからだ。中途半端に作るのを手伝った最初のほうも、がっつり手伝って一緒に飲みに行った後半も、結局ループから抜け出せていない。それならば、残るは『手伝わない』だけだ。なにもしないのは帰ることを拒否される可能性がある。だから、資料は先に作っておく。そして、呼び止められそうになってもさっさと帰れるように支度をしておく。それはきっと間違っていない。


 こうして早めに会社を出た俺は、その足で彼女の働くカフェへと向かった。

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