第14話 義弟を守りたい
おぼつかない足取りでなんとか家にたどり着いた私は、部屋のベッドへそのまま倒れ込んだ。
廉はいままでどんな思いで生きてきたのだろう。
冬実さんの大切な思い出を守るために、自らが犠牲になって奈美子さんにその貴重な時間と身体を差し出し、奪われてきたのだ。
廉だって父親に裏切られ、傷ついたはずなのに。
悔しくて悲しくて目尻に涙がにじむ。
ふいに部屋のドアがコンコンと叩かれた。
「はい。」
私が力なく答えると、廉が顔を覗かせた。
私はあわててベッドから起き上がった。
「ゴメン。寝てたのか?」
「ううん。大丈夫。」
私は小さく首を振った。
そんな私の顔を廉がまじまじとみつめた。
「何かあったのか?」
「何にもないよ。どうして?」
「いや・・・皐月の顔色が悪いからさ。それにこんなに遅く帰ってくるなんて珍しいし。」
時計を見るともう9時を回っていた。
「しかも見たことのない服着てるし。なんからしくねーなって。」
「私だってたまには気分を変えたい時もあるよ。いつも優等生じゃ疲れちゃう。」
「俺は皐月の優等生キャラ、嫌いじゃないけど。」
「なんか馬鹿にしてる?」
私が怒ったふりをすると、廉は屈託なく笑った。
「してないよ。でも皐月はそのままでいい。」
「なにそれ。」
「ま、何かあったら俺に言えよ。出来の悪い義弟だけど、俺に出来ることなら何でもするから。」
その温かい言葉に、私はまた涙ぐむ。
「廉は・・・優しすぎるよ。」
「は?どこが。」
「ううん。こっちの話。」
「皐月、やっぱりお前、変だぞ。」
廉がベッドに腰かけ、私の髪を撫で、ふわりと抱き寄せた。
大きな手の平もその身体も、とても温かい。
廉の全てを奈美子さんに、もう2度と触らせたくない。
ううん。誰にも触らせたくない。
「ねえ、廉。」
「ん?」
「もう自分が嫌だと思うことをしないで。」
「・・・どういう意味?」
「廉は私が守るから。」
そうつぶやき、私の顔を不思議そうに覗き込む廉の目をじっとみつめた。
私は震える手で奈美子さんの携帯の番号を押した。
3回目のコールで「誰?」という奈美子さんの声が耳に入る。
「私・・・先日お会いした一宮皐月です。神原奈美子さんの携帯で間違いないですか?」
すこしの間があき、奈美子さんの息を飲む音が聞こえた。
「本当に連絡が来るとは思わなかった。あなた、正気?」
「はい。正気です。」
自分の声が硬くて、緊張で強張っているのがわかった。
「そう。」
それだけ言うと奈美子さんは含み笑いをした。
「そんなに廉のことが好きなんだ?」
「・・・はい。」
「どいつもこいつも馬鹿みたい。笑っちゃう。」
「・・・・・・。」
「いいわ。じゃ今度の日曜日、空けといてね。時間と場所が決まったら私から連絡するから。」
それだけ言うと奈美子さんはブツッと電話を切った。
もう引き返せない。
でも廉を守るにはこれしかない。
私が一回だけ・・・一回だけ我慢すれば廉は自由になれる。
約束の日曜日。
奈美子さんに指定された喫茶店で相手の男性を待った。
白いブラウスに紺のスカートを着た私は、不安と怖れで心臓が飛び出しそうだった。
どんな男性が来るのだろう。
怖い人だったらどうしよう。
初めてのデートがこんな形だなんて本当はすごく辛い。
隣のテーブルでは仲の良さそうな若いカップルが、楽しそうにふたりだけの世界に浸っている。
それが心底羨ましかった。
ウエイトレスから出されたコップの水をみつめていると、ふいに男性の声が降って来た。
「一宮皐月ちゃん?」
顔を上げると、銀縁の眼鏡をかけ、グレーのジャケットを着た細身の男性が私を見て目を細めた。
「は、はい。」
男性は私の前の席に座ると、頬杖をつき私の顔をまじまじと眺めた。
「ふーん。可愛いね。君、高校生だよね?」
「はい。」
「年上の男性と付き合ってみたいって本当?」
「はい。」
「僕の名前は吉沢祐樹。よろしくね。」
吉沢さんはそう言って、私の緊張をほぐすようにおどけた声でそう挨拶した。
「よろしくお願いします。」
私が頭を下げると、吉沢さんはそんな私を眺め腕を組み、うーんと唸った。
「すごく真面目そうだけど・・・思ってたのと違うなあ。君、彼氏とかいたことある?」
「・・・ありません。」
「そう緊張しないで。少し話そうか。」
吉沢さんはそう言うと、いたずらっぽく微笑んだ。
もっと軽薄で浮ついた男性が来ると思っていた私は、意外と紳士的でまともな吉沢さんを見て拍子抜けしてしまった。
と、共にホッとして肩の力が抜ける。
吉沢さんは屈託なく話し始めた。
「奈美子とは大学時代の友人でね、あいつ美人だろ?結構モテてたんだよね。」
「はい。」
「でも気が強いからさ、彼氏がなかなか出来ないみたいで。僕によく相談してきたよ。また男性に厳しいこと言っちゃったってね。」
「・・・・・・。」
「大学を卒業して会社に勤めだすと奈美子とは疎遠になっていたんだけど、ある日偶然なじみのカフェバーで出会ってさ。奈美子の隣にはあきらかに歳の離れた男性が座ってた。すぐにピンときたよ。こいつ、既婚男性と付き合ってるんだなって。でも奈美子の顔が幸せそうでなにも言えなかった。」
きっとその男性が廉の父親、五代誠一郎なのだろう。
私は目を伏せたまま、そう理解した。
「でもその後、その彼氏と別れて、奈美子、人が変わったように荒れだして、精神的にもボロボロになって・・・。自暴自棄っていうか、自分も人も傷つけるようになった。でも」
吉沢さんは眉を下げて私を諭すようにみつめた。
「奈美子、本当は優しいヤツなんだ。街角の募金にすぐ寄付してしまうようなね。君の義弟にしていることもただ誰かに依存しないと生きていけないからなんだ。」
「だからって・・・許されることなんですか?」
私の言葉に吉沢さんはしばし黙りこくった。
「自分が傷ついてるからって、他の誰かを巻き込んでもいいんですか?」
「ごめん。」
吉沢さんが泣きそうな声で訴える私に頭を下げた。
「僕は奈美子を友達としてただ見ていることしか出来なかった。でももうそれはやめる。」
吉沢さんは力強く私に向かって誓った。
「これからは奈美子を僕が支える。廉君を君が守ろうとしたように。約束する。」
「吉沢さん・・・。」
そのとき喫茶店の扉が、音を立てて乱暴に開いた。
振り向くと、そこには背の高い廉の姿があった。
廉は店内を見回し、私の姿をみつけると駆け足で近づいて来た。
「廉・・・」
吉沢さんも廉の姿をみとめると、口元だけで微笑んだ。
「噂の彼の登場だね。」
廉は私と吉沢さんを交互に見たあと、私に向かって強い口調で言った。
「皐月・・・何してんだよ!」
「廉・・・。」
すると今度は吉沢さんを鋭く睨みつけた。
「皐月は連れて帰る。」
「もちろん、そうしてもらわないと困る。僕も犯罪者にはなりたくないからね。一応言っておくけど彼女には指一本触れてないよ。ただ昔話をしていただけだ。」
そう言って吉沢さんは両手を上げた。
廉の視線を受け止めた私も、大きく頷いた。
廉は私の腕を引き上げ、立ち上がらせた。
「吉沢さん・・・あの」
私が何か言おうとするのを止めるように、吉沢さんは大きく笑った。
「はははっ。皐月ちゃん、僕が悪い男じゃなくて良かったね。もう無茶しては駄目だよ。」
「皐月、行くぞ。」
廉に右手をきつく握られ引っ張られた私は、かろうじて吉沢さんに頭を下げた。
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