クリシーヌ、魔法の力で地下牢から脱出する。

 連行された場所は、とても薄暗い地下牢。

 あるのは簡易的なベッドと、汲み取り式のトイレ。ドアは頑丈な鉄製に、鉄格子の小窓がついているだけ。

 そんな犯罪者扱いも同然の場所が、一貴族の新居にあるだなんて、信じられなかった。


「うっ!」

 クリシーヌは投げ出された衝撃で、その場に崩れ落ちた。膝に少し擦り傷を負って痛い。


「では、早速こちらの作業を今日中に終わらせるように。私達は交代制でドアの前にいますので、逆らったり、逃げたりしたら承知しませんよ?」

 といい、メイドの中でも格上であろう中年の女が、どこからか大量の書物をバサリと牢の中へ放り込んだ。


 仮にも夫人相手に、敬意の欠片もない。

 なんて不満は最早どうでも良く、そのメイドの手には太いムチが握られていた。程度によっては体罰も行うという、意思表示ともとれた。


 こうして、鉄製のドアは勢いよく閉められ、太陽の光も殆ど射さない密室に1人。

 クリシーヌの視線が遠のいていった。


 ――こんなの、あんまりよ…! この体のご両親は、本当に何も気づかなかったの!? ここまで酷い扱いを受けるなんて、そんなのクリシーヌが自殺したくもなるでしょ!


 ――早く、ここから抜け出したい。ここにいたら、確実に殺される! でもどうすれば…



 その時、クリシーヌは天界での出来事を思い出した。

 それは、ベリアが見せた「魔法」のこと。確か、念じるだけで使えるとかいう「ワープ」についての説明だった。



 ――そうだ、ワープの力! さっきまで色々ありすぎて、すっかり忘れかけていた。


 クリシーヌの瞳が、元の正常な視線へと戻り、彼女は自身の両手の平を見下ろす。

 今の自分は、これまでとは違う。そう信じ、静かに瞳を閉じた。


 ――えーと、どうやってやるって言ってたっけ?「ただ念じるだけ」、だったかな。


 ――ちょうど、この中の様子は誰にも見られていないし、今の内に念じよう。場所は… とにかく、この家の外! 庭に入る門の前まで、私を連れていって下さい!!




 一瞬、体がフワッと浮いた様な感覚があった。


 クリシーヌは、固く閉じていた瞳を開いた。

 地下牢に投げ込まれた時同様、倒れてお嬢様座りをしているポーズで。


「え、今のはなに…?」

「おぉ! 急にお綺麗な方が!!」


 周囲のざわつきが聞こえてきた。クリシーヌはハッとなった。

 場所は打って変わって、ここはアレクの新居前にあたる大通り。まさかの状態ではあるが、ワープに成功したのである!


「あっ… ご、ごめんなさい。すみません!」


 クリシーヌは立ち上がり、すぐにその場から逃げた。

 しくじった。ワープ先で、人や馬車など通行の妨げになる可能性を考慮していなかった。とにかくあの“牢獄”から逃げる事に必死だったあまり、恥ずかしい姿を見られてしまった。


 ――だ、脱出できた! 本当に、私のこの体に魔法の力が宿っているんだ! とにかく、今は少しでもあの場所から離れ、あのご両親にヤツの恐ろしさを伝えないと!!


 そう頭の中がグルグルと回り巡っているが、内心は喜びを隠し切れないでいた。

 この力があれば、今後どんな危険な状況に見舞われようが、回避できると分かったから。


 だけど油断は禁物。

 相手のあの本性を考えれば、下手に自分の逃走経路を知られるわけにはいかないだろう。両親にまで、危害が及ぶ可能性があるからだ。

 彼女はすぐに人目のつきにくい裏道へと身を伏せた。その時であった。


「待っておくれ、エリスご令嬢。それでも僕は、一人っ子がゆえの君が心配なのだよ! だから、ぜひ僕に君を守らせてほしい」

「ま、間に合っています… 私、先を急いでいるので。では!」


 今の声は、若い女性と… アレク?


 クリシーヌは裏道に置かれている大きな空樽へと身を隠し、こっそり覗いた。

 するとその大通りへ出る所から、アレクを乗せた馬車が、美しい女性が乗っている別の馬車と横並びで、窓から顔を覗かせているではないか。


 クリシーヌを地下牢へ閉じ込めるよう命令し、その間にどこへいったのかと思いきや。

 というよりかは、その女性を、アレクがしつこく追いかけている様な構図である。

 そして、何より驚いたのがその相手の女性であった。確か、あの男が好いた女の名前は…


 ――エリス、ってあの人のこと!?


 と、クリシーヌはすぐにその「答え」を見つけだした。


 予想してもいなかった展開だが、この際、そのエリスという女性に会って事情を聞くなり、今の自分の境遇を伝えた方が良さそうだと判断した。

 どこに実家があるのか分からない両親を探すより、遥かに助かる見込みがあるためだ。


 クリシーヌはそのまま息をひそめた。

 エリスの馬車が走行スピードを上げ、距離が空いた事で、アレクを乗せた馬車が徐々にスピードを落としていく。並行で走らせては危険だからと、流石に空気を読んだか。


 その一方で、クリシーヌはこうしてアレクが諦めて帰路へついた一瞬の隙に、ワープ魔法を何度も唱えていった。

 人の目につかぬよう、エリスの後を、こっそり追いかけたのである。


(つづく)

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