第14話 俺の名の下で礼拝をしろ

 彼らは土足で礼拝堂に入ってきた。砂のついたブーツで絨毯を踏みにじった。


 みんな一様に、複雑に編み込んだ長い黒髪、細かな刺繍が施された立ち襟の上着、象牙色の肌に引き締まった体格をしている。

 そして、矢筒を背負い、腰の左側に弓袋を、右側に刀をさげている。


 草原の民の男たちだ。


 礼拝堂の中にいた一般信徒たちが震え上がった。

 ただでさえ黒ずくめの怪しい集団が不穏なことを言っていたところだというのに、見るからにその黒ずくめの集団より恐ろしい部族が、礼拝堂に乱入してきた。


 草原の民は、砂漠の民の神を信じない。

 この聖なる礼拝堂の中でも、狼藉ろうぜきをはたらくことをためらわないかもしれない。


 しかし逃げ道はない。草原の民の男たちが立ちふさがっているからだ。


 ところが――草原の民の男たちは、一般信徒には手を出してこなかった。


 一斉に左手で刀を抜いたのにはさすがのハディージャも心臓が凍るところだったが、彼らは刀を振りかざす恰好をするだけで、実際には誰も切りつけなかった。刃の輝きにおびえた黒ずくめの男たちを片っ端から捕まえ、左手に刀を持ったまま、右手で殴り倒していった。


 少し経ってから、ひときわ強いオーラを放っている男が現れた。

 彼はゆうゆうとした足取りでゆっくり礼拝堂の真ん中を歩いた。


 その男の右眉には、小さな傷があった。


 黒ずくめの男のうちの一人が、果敢にもその草原の男に斬りかかった。

 だが、一瞬のことだった。

 その草原の男は、何事もなかったかのように、眉ひとつ動かすことなく、向かってきた黒ずくめの男を蹴り飛ばした。


 床に転がったところで腕を伸ばし、頭部を覆っていた黒い布をぐ。

 黒い布の下に隠れていた顔があらわになる。


 ハディージャは目を丸くした。


 その顔に見覚えがあった。

 確かに、ダラヤの宮廷にいた男だ。


 ハディージャが声を上げる前に、その草原の男は次の行動に出た。


 黒い布を放り出して、男の髪をつかんだ。


「なっ、何しやがる」


 男はまったく抵抗できない。


 彼は黒服の男を軽々と引きずっていった。


 そして、噴水の周囲、人工の池に、男の頭を押し込んだ。


 礼拝堂の中の時間が、止まった。


 二十か三十を数えてから、彼は男の髪を引っ張って顔を上げさせた。男はげほげほと咳き込み、口や鼻からだらだらと水を垂らした。


「テメエ、誰の差し金だ?」


 しかし、男はすぐには負けなかった。


「き、貴様、何者だ……!?」

「知らねえのか?」


 不敵に笑う。


「俺はヤイロヴ族族長にして草原の民の頂点に立つ者、エゲメンの息子のハルクの息子のナージーの息子、ベルカント可汗カガン様だ。よくおぼえときな」


 可汗カガン――それは、草原の王が名乗る称号だった。


「ほら、俺は質問に答えてやったぞ。お前は?」

「い、言わ――」


 ベルカントはまた黒服の男の頭を噴水の池に突っ込んだ。男がもがき苦しむ。


 誰も、何もできずに、ベルカントがすることを見ていた。


 圧倒的な、存在感。


 しばらくして、ベルカントは男の頭を引き上げた。男はまた口から大量の水を吐き出してもがき苦しんだが、ベルカントは決して離さなかった。


「俺の質問に答えな?」


 冷静に問いかけるベルカントに、男が汗とも涙ともつかない液体を飛ばして叫ぶ。


「許してくれ! 殺さないでくれ! ここで言ったら殺される!」

「ふうん」


 ベルカントがにっこり微笑む。


「俺に殺されるのとご主人様に殺されるの、どっちがいいか、選びな?」

「ひいっ」


 また男の頭を水に突っ込んだ。がぼ、ごぼ、という醜い音がした。


 みんな静まり返ってベルカントの蛮行を見つめていた。


 そんな中、一筋の光が差すように、鈴を振ったような声が聞こえてきた。


「やめて、ベルカント」


 声がしたほう、礼拝堂の出入り口付近に目をやると、そこにはマルヤムが立っていた。頬は蒼ざめてはいるがやつれている感じはなく、わずかに前髪を出してはいるが布でちゃんと頭を覆っていて、二本の足できちんと立っている。


「このままでは本当に殺してしまうわ。人殺しはしないで。それももう抵抗できない相手なのに――ましてや聖なる礼拝堂の中でなんて」


 そう言いながら、マルヤムはこちらに歩み寄ってきた。


 ベルカントは舌打ちをすると、男の尻を蹴った。男の全身が池の中に落ちた。といっても大した深さではないらしく、男はそのうち池から上がってきた。肩で息をしながら、水をまき散らして逃げ出した。


 黒ずくめの男たちが逃げていく。


 追いかけようとした配下の者たちを、ベルカントが「やめろ」と制した。


「お前、今の連中に心当たりはあるのか」


 ベルカントのその問いかけに、マルヤムが頷く。


「でも、その話はあとで。今はこの場を収めるほうが先よ」


 彼女は、ベルカントのすぐそばに立つと、礼拝堂のすみのほうで震えている人々を順繰りに見渡した。


「皆さん、ごめんなさい。わたくしはダラヤの国主アミールムクシルの娘、マルヤムと申します者です。このたびはダラヤの家中のことでお騒がせして、まことに申し訳ございませんでした」


 マルヤムが、頭を下げる。


 その凛とした姿に、ハディージャは理想の女主君の姿を見た。


 ハディージャのマルヤムが、きちんと自己紹介をして、ひとに謝罪をしている。


 なんと素晴らしいことだろう。


 やっと、やっとこの境地にたどりついた。


「この件について、わたくしが自ら父に話を通して、金貨ディーナールをもって慰謝料となし、このジャームの街のために寄進をするでしょう。約束します。神はまことにすべてをおわかりになっているお方です。あなたがたに神の恩寵がありますように」


 マルヤムがそう言うと、一定の数の人々は安心したらしく表情を緩めた。


 だが、納得しない人々もいた。


「草原の民を連れてきたのはあんたか」


 先ほどまで隅で縮こまっていたくせに、いまさら大きな態度をした男がマルヤムに歩み寄ってくる。


 マルヤムは恐れなかった。彼女はまっすぐその男を見ていた。


「土足で入ってきやがって、この乱闘騒ぎだ。俺は草原の民は許さねえ。草原の民なんて動物みたいなもんだ。それをちゃんと調教して――」


 途中で、男の足が止まった。


 ベルカントの近くにいた若い草原の男が三人、近づいてきた男に向かって弓を引き絞ったからだ。


 男が「ひっ」と喉を詰まらせながら下がっていった。


「まあ、よせや。マルヤムがやめろって言ってるんだからよ」


 ベルカントが手を上げる。


「ここでこれ以上の揉め事はナシだ。問題を起こす連中はいなくなった。俺たちが追い出した。それで十分だ。この話は終わり。いつもどおり礼拝をしろ。――ただし」


 そして、不敵に笑う。


「この礼拝を俺の名の下でやれ。この礼拝では俺の名を読み上げろ」


 ハディージャの隣で、ずっと黙って様子を見ていたエムレが「やっぱり」と呟いた。


 ベルカントは、堂々としている。


「砂漠の民は金曜礼拝で支配者の名前を呼ぶんだったな? 俺の名前を呼べ」


 王者の風格で、あたりを睥睨へいげいしている。


諸王の中の王シャーハンシャー皇帝スルタンベルカント、と」


 人々が、ざわつき始めた。


「今日から俺がこの街の統治者だ。ここから天下統一を目指す。それで教主をぶっ潰して、この世にヤイロヴ帝国をつくってやる」


 エムレが歩き出した。ハディージャは不穏なものを感じて「エムレさん」と名を呼びながら彼の服の袖をつまんだが、振り払われてしまった。


 礼拝堂の真ん中に出てきたエムレを見て、ベルカントは最初ちょっと驚いた顔をした。

 だが、すぐに、微笑んだ。


 エムレは笑わなかった。真正面からベルカントをにらみつけつつ、静かな声で言った。


「久しぶりだな。相変わらずそうで何よりだ、クソ兄貴」


 ベルカントが両腕を広げた。


「おお! エムレ! 三年ぶりだな。会いたかったぜ、我が弟よ」



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