さかみち商店街の双子とその嫁

ウール100%

第1話 さかみち商店街

「ちくしょう、もうやってられるかっ」

 夕良は夜の月に向かって吠えながら、あんまんをかっくらった。

 『桃井のももまん』の店前でのことである。ちなみにこの店、ももまんを店名に冠しておきながら、実物がショーケースに並んでいるのを見たことがない。店主曰く「気が向いたときに売っている」らしい。なんとも曖昧なことだ。

 間中夕良、新入社員一ヶ月目。早くも配属された職場にうんざりしていた。

 生来、理屈っぽい彼女は仕事というやつが頭で理解できないと取り組めないタイプだった。

「この用語はどういう意味ですか」

「業務をこの順番で行わなければいけない理由は何ですか」

「この業務にはどういう意味があり、どういう結果をもたらすのですか」

 考えるより先に手を動かせ派のOJT担当女性はぶち切れた。すぐさま周囲に「こいつは仕事ができない」と言いふらした。

 結果、他の同僚の夕良に対する扱いが不信に満ち、嘲るようなものになった。質問をしたら怒られるので、夕良は何も聞けなくなった。余計仕事ができなくなった。

 毎日、針のむしろに座るような八時間を終えて逃げるように職場を出る。そして最寄り駅の側にあるこの店で、ストレス解消のため甘いものをむさぼり食っているわけである。

「いろいろたまってるようだねぇ」

 リクルートスーツで立ったままなりふり構わずあんまんをがつがつ食べている彼女に、店番をしている奥さんが店の窓から呆れたように言う。夕良は店主に会ったことはなくて、店にいるのはいつも彼女だった。

 この奥さん、普段は窓の奥にいるのでわからないが顔がかなり恐い。いかつい鬼のような顔をしているのだ。夕良も窓口で注文しているときに初めて間近に見て驚いたものだ。この店がそれほど繁盛しているように見えないのは、半分くらい奥さんが恐いからではないかと夕良はこっそり疑っている。だが顔のわりに気さくに話しかけてくれる人ではあった。

「どうだい、気分転換にそこの商店街でも歩いてみたら。いろいろお店があるよ」

 『桃井のももまん』は幹線道路沿いにあるのだが、その脇から一本道がまっすぐ伸びている。

 夕良が上を見上げるとアーチにぶら下がる『さかみち商店街』の看板。ここから先が大きな商店街になっているのだという。確かに彼女があんまんを食べている間、ひっきりなしに老若男女がアーチをくぐっていた。

「……それも良いかもしれませんね」

 そんなにお金があるわけでもないが、かわいい雑貨店や本屋を見て回るだけでも気が晴れるかもしれない。あんまんの最後のひとかけらを食べ終えて、夕良は商店街に足を踏み入れた。

 アーチを超えたその瞬間、世界がぱっと明るくなった。

 比喩ではない。先程まで月が昇っていたはずなのに、その位置に太陽がすり替わっていた。夜が昼に切り替わったのだ。

 わけがわからず立ち止まり、周囲をきょろきょろと見回す。だが夕良以外の通行人は誰も気にした様子がない。急にその場に立ちすくんだ彼女を邪魔そうに避けて歩いて行くだけだ。

「……?」

 納得いかないながらも、往来のど真ん中でこのままいるわけにもいかないので再び歩き始める。羽織ったカーディガンの肩をさすった。そういえば今は日差しがあるのに、先程まで感じていた夜の肌寒さは変わらない。

 『さかみち商店街』はその名の通り、緩やかな坂道だった。

 でもどういうわけか下っていると思ったら上っていて、上っていると思ったら下っている。坂道自体は決して急なものではないので、夕良はすぐに気にしなくなった。

 車がぎりぎりすれ違うことができる程の幅の道の、左右にさまざまな店舗が建ち並ぶ。八百屋や精肉店から菓子店や衣料品店まで、一般的に商店街にありそうな店は全てあるように見える。それどころか都市部にありがちな小さなスーパーや学習塾、美容院、レトロな喫茶店、雑貨屋なども揃っている。ここに来れば生活に必要なもの全てが手に入ると言っても過言ではない。

 さぞかし周辺の住民で賑わっているだろうと思いきや、どうにも静かなのが不思議だ。シャッターの降りた店もほとんどないので、寂れているわけではない。だが人がいるのに、人気がない……活気がないのだ。

 魚屋は威勢良く呼び込みをするでもなく、ぼんやりと店先に座っている。自転車店の老齢の店主も、これまた老齢の近辺住人らと店内の小上がりで雑談に興じている。たまに入ってきた客がよっぽど声をかけなければ、相手をするでもない。全体的に商売っ気が薄いのだ。

 道行く人々も静かなものだ。連れだって歩く人はほぼいない。五、六歳の子供ですら一人で歩いている。

 七割の人は左右の店には目もくれず、前へ前へと進んでいく。残りの三割が店を覗いたり、その辺にあるベンチでぼうっとしたりしているようだ。

「……」

 なんだか怖くなってきた。この坂道はどこまでいくのだろう。

 そもそもこの周辺には一ヶ月前に支店に配属されて初めて来たのだ。最寄り駅と職場の往復と、その間にあるももまん屋くらいしかまだ地理がわかっていない。

 明日も普通に仕事はあるのだ。あんまり遠くに歩きすぎて帰りが遅くなっては困る。

 夕良は引き返すことにした。人波に逆らって歩いているので、来たときより時間が掛かる。

(でも……私、こんなに長く歩いたっけ?)

 先程の倍の距離を歩いている気がする。なのにいっこうに『さかみち商店街』の入口は見えてこない。

 道を間違えたかと疑うも、即座に首を振る。一本道だ。迷うはずない。

 首筋を冷たい汗が一筋伝う。知らぬ間に早足になっていた。

 これまで通ってきた道筋を思い返す。

 来たときに何か目印になるものはなかったか。だが左右の店はどれも特徴のないものばかり。だんだん景色がのっぺりと見えてくる。まっすぐの道を歩いているはずなのに、同じ場所をぐるぐる回っている気すらしてきた。早く入口にたどり着きたいという気持ちとは裏腹に、足の方はどんどん重たくなってくる。

 夕良はついにその場に立ち止まってしまった。その途端、ぶわっと全身から汗が噴き出す。

 思っていた以上に一生懸命歩いていたらしい。

「どうしよう……」

 すっかり途方に暮れて周囲を見回した。すると赤い煉瓦の小さな建物が斜め左前方にあるのが目に入った。

 近寄ってみると、扉の脇に丸っこい字で『喫茶 ほむ』と書かれた看板が立てられている。意味のわからないひらがな二文字が、なんとなく間抜けに見える店名だ。

 だがもう夕良は疲れた。どうせ帰れないのだから、と一旦休憩することにした。

 重い木の扉を押し開けると、取り付けられたベルがカランコロン、と音を立てた。

「いらっしゃいませ」

 声は二重だった。迎えたのはよく似た顔の二人の男だ。一人は立ち並ぶテーブルの間にいて、もう一人はキッチンの方から顔を出している。二人ともぱりっとした白シャツに腰に巻いた黒いエプロンという格好だ。

(……双子かな?)

 「お好きな席にどうぞ」と言われ少し考えて、道路に面した窓側の一番端の席に着く。そこからは外と店内が見渡せる。

 夕良の他に客はもう一人。反対側の端の席に座った、高級そうなスーツにロマンスグレーの髪の男性だけだった。彼は夕良が入ってきたことにも気づかない様子で、静かにコーヒーを味わっている。

 注文したアイスコーヒーが運ばれてくる。

 程良い色合いになるようミルクを調整しながら注ぎ、ストローで一口。おいしい、と夕良は素直に思った。心地の良い苦みがすっと喉を通っていく。

 アイスコーヒーは熱いものに比べて苦さが際立つので普段はあまり頼まない。今日は見知らぬ街を必死で歩いて汗びっしょりだったので珍しくアイスを選んだのだが、正解だった。滅多に出会わない好みの味で、すいすい飲めてしまう。随分喉が渇いていたのだと、この時になってようやく気がついた。

 だが半分ほど飲み終えたところで、両手で冷たいグラスを包み再びうなだれた。

(本当にどうしよう…………)

 喫茶店に入って、コーヒーを注文して……わかっている。これは現実逃避だ。現在、状況に変化無し。どうすれば良いのかさっぱりわからない。

「どうかしましたか?」

 夕良が天板に突っ伏しそうなほど首を折っていたからだろう。見かねた双子の片割れが夕良の元に寄ってきていた。

 顔を上げると、思ったより近くに彼の顔があってびくりとする。

 だがそれ以上に、近くでよく見ると美形だということに驚いた。色白の肌にすっと通った鼻梁。いくらか垂れ気味な目尻が優しい印象を与える。

 その綺麗な顔に心から心配そうな表情が浮かんでいて、夕良の警戒心がいくらか緩んだ。

「あの、私」

 たどたどしく話し出す夕良に、彼は「はい」と続きを待つ。

「帰り方がわからなくなったんですけど…………」

 開口一番これではまるで小学生みたいだ。恥ずかしくなって視線を手元のコーヒーに落としながら続ける。

「迷ってしまったみたいで……ここから商店街の入口に戻るにはどうしたら良いですか?」

 ちらりと見上げると、相手は思いのほか深刻そうな顔をしていた。振り返ってもう一人を呼ぶ。

「睦実くん」

 応じた方はふきんで手を拭きながらキッチンを出てきた。

 似た顔の二人だが、こちらは吊り目がちだ。その分、少々恐そうな印象を受けた。

「迷い込んできたみたいだな。珍しい。何年ぶりだ、穂高?」

「僕が知る限り、ラーメン屋の倉田さんが最後だよ」

「じゃあ三年ぶりくらいか」

 穂高、と呼ばれた方の青年が夕良に硬い表情を向ける。

「まず大事なことを言うね。端的に言って、君はここから出られない」

 夕良は目を見開いた。

 「ここは出て行くだけの場所なんだ。風船に穴を空けた状態を思い浮かべてほしい。風船が今まで君がいた所で、穴が今いる場所。穴からは風が吹き出ているでしょう?だから入った人は出て行くだけ。戻ることはできない。さかみち商店街はただの一方通行の通り道。だから君も前に進むしかない」

 夕良は驚くも、引っかかるものがあって「でも」と反駁する。

「それって『戻れない』っていう話で、『出られない』っていう話ではないでしょう?むしろ『出ていくしかない』っていうことでは?」

「うん。だけど出ていって、どこに行くか、どうなるか誰にもわからないんだ」

 穂高の言葉を、睦実と呼ばれた方の青年が受ける。

「戻ってくる人間がいないからな。大体の人間はそのままここを通り過ぎて、行ってしまう。だけどたまにあんたみたいに立ち止まって、戻ることを考える人間がいる。俺達はそういう人間のことを『迷子』って言ってるな」

 ここまで聞いて、夕良は背筋が冷たくなった。

 彼女は風穴に吸い込まれるようにして商店街に入り込んだ。風船の中が今までの世界で、商店街は通り道。つまり商店街を出ていくことは今まで普通に生きていた世界を完全に出ていく、ということだ。

 今がまさに現世の淵。奈落の底に飛び込む崖っぷちにいるようなものだ。

 二人の話ではほとんどの人間は、何も考えず、この崖からまっすぐ飛び降りていったのだろう。たまたま夕良が正気に返ってしまっただけで。

 だがまったく正気の人間が崖から飛び降りることができるものか?

「じゃあ……あなた達はどうなるんですか。ここに入った人間は皆、出て行かなければならないんでしょう?なのにどうしてあなた達はここにいるんですか」

「僕らはここで生まれて、ここで生活しているからね。多くの人にとっては通り道だけど、僕らにとっては初めから生活圏なんだ。だから出ていく必要が無い」

 藁にもすがるような思いで尋ねるも、穂高からは参考にならない答えがきた。確かに普段から崖っぷちにすんでいる人間達からすれば、夕良の懊悩は理解できないものなのかもしれない。睦実の方もぴんとこない顔をしている。

「それじゃあ……どうしたら」

 いよいよテーブルにつっぷす夕良の姿に、双子は顔を見合わせた。

「どうしようか」

「いや、どうにもできないだろ」

「……ダメ元で組合に行ってみる?」

「そういやちょうど今、会合で母さんが行ってるな。行ってみるか」

 睦実に「おい」と肩を叩かれ、夕良はゆるゆると身を起こした。

「今から組合の事務所に行くぞ」

「組合……?」

 怪訝そうに尋ねる彼女に、穂高が頷く。

「うん。さかみち商店街の運営をやっているところだよ。会長は長いこと商店街のことをとりまとめてきたから、何か知っているかも」

「もし会長がいなくても今日はちょうど定期の会合で皆集まっているから、誰かが何かしら相談に乗ってくれるだろ」

 二人はエプロンをほどいてその辺の椅子に引っかけ、店の外に出た。扉に掛かった札を「CLOSED」にひっくり返して、鍵を掛ける。

「ちょっ、お客さんがまだ中にいるんじゃ……」

 慌てて夕良が穂高の鍵を掛ける手を止める。店内には確かロマンスグレーの老人が、パニックを起こしている夕良を気にすることもなく、静かに一人コーヒーを啜っていたはずだ。

「ああ、あれは別に良いんだよ」

「そうそう。いつものことだしね」

 と、睦実も穂高も気にした風もない。

 外に出ると先程より日差しが弱まっていた。薄い青色に、これは明け方の空ではないかと夕良は考えた。

「私、商店街に入る前は夜だったと思うんです。でも入ったら昼になってたんですけど……」

 双子が並んで前を歩き、そのすぐ後ろを夕良がついていく。明け方の弱い光の中、三人の影は薄い。

「今は夜の七時十五分で間違いないぞ。あそこにある時計屋の看板に掛かった時計があるだろう。時刻について言えばあれがここで一番正確だ。店主の市村さんがあの時計だけは必ず外と違わないよう整備しているからな」

「さっきも言ったとおり、ここは通り道……つまりどこでもない場所なんだ。だから全てが中途半端で、不確かで、曖昧だ。空なんかまさにそうだよ。時刻に関係なく、朝になったり夜になったりする。四季もなくて、大体春か秋の気候だって言われてるね」

「その辺にいる奴らも見た目で判断しない方が良い。若いように見えて年寄りだったり、年寄りに見えて若かったりする。大きいものが小さかったり、冷たいものが熱かったり、柔らかいものが固かったり。まあ、いちいち気にしてたら保たないぞ」

「そういう場所なんだ、さかみち商店街は」

 夕良はごくりと唾を飲み込んだ。

 不安定で、不合理で……不条理。

 ここでは彼女が当然のものと考える理論や理屈が当てにならない。とんでもない場所に足を踏み入れてしまった。


 

 さかみち商店街組合の定期会合は『スーパー ちょっぱや』の二階で行われていた。

 このスーパーは都市部によくある、小規模な店舗だ。商店街に八百屋や肉屋、魚屋などがあるにも関わらず共存できているのは、ここが広く浅く最低限のものを揃えることだけを目的としたスーパーだからだろう。キュウリはスーパーへ、ズッキーニは八百屋へという具合で使い分けられているのだ。

 一階は店舗スペース、二階が事務所スペースとなっており、後者の会議室に商店街中の店の代表が集まっていた。合わせて二十数名ほどがロの字に並べた会議机とパイプ椅子にずらりと座っている。

「あら、あんた達。どうしたのよ」

 パイプ椅子を軽く後ろに倒しながら尋ねてきたのは、緩くパーマがかかった茶髪の女性だ。スタイルが良くて、スキニージーンズがきまっている。

 「母さん」と穂高が呼ぶので、「お母さん?え、若い。すごく美人ね」と夕良は驚いた。テレビで最近見る美魔女というやつだろうか。成人している息子がいるようには見えない。

「それが以外と歳とってるんだよ」

「それが以外と歳とってるんだぞ」

 異口同音に言う双子に、「おい、聞こえてんぞガキ共」と母。いささか口が悪い。

「で、本当にどうしたのよ?まだ閉店時間じゃないわよね?」

「うん、ちょっと相談したくて。彼女、『迷子』みたいなんです」

 そう言って、二人の後ろに隠れていた夕良が前に引っ張り出される。

 途端にその場にいる全員の視線が彼女に集中した。がたがたがたっとパイプ椅子が鳴って、皆立ち上がった。

「迷子?」

「迷子だって?」

「迷子なんて久しぶりじゃないか、どれどれ顔を見せてみろ」

「男?女?歳はいくつ?はぐれたのかい?」

 『迷子』と言うのが比喩だとわかってはいるが、こうおじさまおばさま達に囲まれて連呼されるのはなんともいたたまれない。特に夕良は背がやや低い方なので、本当に見知らぬ大人達に見下ろされている小さな子供のような気持ちになってくる。

「でさ、誰か帰る方法を知らないかなと思って連れてきたんだけど。桃井会長ならわかるか……、いや、わかり、ますか?」

 睦実が四苦八苦して敬語をひねり出しながら尋ねる。その言葉に、今度は代わって会議室奥に全員の意識が飛んだ。ホワイトボードの前に恵比寿様のようにふくよか、かつにっこり笑い顔の男性が座っている。彼はこの騒ぎをずっとその場で黙って見ていた。

「桃井って、もしかして商店街入口のももまん屋の……」

「ああ、そこが私の店だねぇ」

 滅多に店頭に姿を現さない店主は、どうやら組合の方で会長職に従事していたらしい。その顔を見て、彼とは正反対の鬼瓦のような奥さんの顔を思い出した夕良は、

「私、奥さんに商店街に入るよう勧められたんですけど!?」

と初対面の相手につい苦言を呈してしまった。

 元はと言えば、ももまん屋の奥さんのせいでこの奇妙な商店街に入り込んだのだ。文句の一つも言いたいし、責任を取ってちゃんと夕良をここから帰らせてくれるのが理屈にかなっているのではなかろうか。

 だが相手は変わらぬ笑顔で飄々と、

「そうかい。でも入るかどうかを決めたのは君だよねぇ」

と言ってのけた。

 それも理屈にはかなっているので彼女は渋々、「……ソウデスネ」と相づちを打った。

 桃井会長は無いように見える首をぐるりと回して、

「まず質問に答えるなら、この商店街を出る方法は無い」

と言った。さらに、

「それどころかこのままではお嬢さん、死ぬよ」

ときた。

「死っ!?」

 夕良が素っ頓狂な声を上げる。両隣の双子も大きく目を見開いた。

「もともとさかみち商店街はただの通り道だ。他の連中と同じように外に向かって出ていくしかない。それでもそこに無理矢理留まろうとするなら、存在ごとちぎり飛ばされ消し去られる」

 夕良は絶句した。ここから出られないどころか死を宣告されたのだ。神さまのような笑顔で悪魔のようなことを言う。

「それじゃああまりに可哀想ですよ、ちょっと寄り道しただけで」

「じゃあどうすればいいんだよ、うっかり入りこんだだけなのに」

 穂高と睦実が口々に夕良に助け船を入れる。彼らとしても何らかのヒントが見つかるかも、と彼女をここまで連れてきたのだ。そう簡単に引き下がるわけにもいかないのだろう。だがその言い様はもはや小学生に対するそれではなかろうか、と夕良は少し悲しくなった。

 会長は変わらぬ笑顔で答えた。

「決まっている。私らと同じになれば良い」

「同じ?」

「お嬢さん、結婚なさい」

「結婚っ!?」

 再び素っ頓狂な声を上げるも、会長は気にした風も無く淡々と続ける。

「この商店街の誰かと結婚して、商店街の一員となるんだ。そうすればここに所属することになり、存在がこの場に根付くことになる。消えることない、確かな存在になるんだ」

 そんな山中に隠された村に迷い込んだ若者が、村の存続のために無理矢理そこの人間と結婚させられるような話、都会のど真ん中で起こる?夕良はめまいがしてきた。

「何も珍しいことじゃない。ずっと行われてきた手法だ。三年前に来たタピオカ屋の……あれ、今はそば屋だっけ?」

「そばじゃなくてラーメン屋だよ。ちなみにその間に食パン屋とプリン屋を挟んでる」

「そうそう、その倉田君は花屋の娘の依子ちゃんと結婚して商店街の一員になったしね」

 なんかよくわからんが節操のない男だな、倉田君。夕良はもう要点だけを聞くことにした。

「方法はそれしかないんですか?」

「そうだね。どうする?今から婿捜しする?」

「……………………よろしくお願いします」

 こうして夕良の結婚相手探しが始まった。

 


「商店街のー、皆様にー、お知らせですー……板橋区からお越しの、間中、夕良ちゃん。間中、夕良ちゃん。歳は二十二歳。身長153センチ、体重(ピーガガガ)キロ……童顔でおとなしめの女の子です……お嫁さんをお探しの方はー至急、スーパー ちょっぱや二階、会議室までお越しくださいー……」

 町内放送の音質の悪いスピーカーで、商店街全体に夕良の個人情報が拡散されている。まるでショッピングモールの迷子のお知らせだ。彼女は自尊心がごりごり削られていくのを感じた。

 放送から三十分で、計五名の花婿候補が会議室に集まった。この数が多いか少ないかは夕良には判断できなかった。

「一人あたり二十分ほどで好きなようにお話ししてください。全員と話し終わったら、好ましいと思う方を一人を決めて発表していただきます。その際、相手の男性も承諾されましたら婚姻に進むことになります」

「はあ……」

 組合で事務仕事に携わっているという眼鏡のお姉さんこと坂田さんが説明する。

 組合の会合は既に解散し、今は会議室の真ん中に会議机とそれを挟むようにパイプ椅子を向かい合わせに二脚並べてある。

 その一つに夕良は座らされて、お見合い相手が入ってくるのを待っている。まるでつい去年までやっていた就職活動の面接のようだと彼女は思った。

「一人目の男性は大月一郎さん、二十八歳。肉屋の長男です」

 そう言って坂田さんがドアを開ける。入ってきたのは一匹のオオカミだった。

 彼は悠々と会議室を四本足で進み、夕良の正面の椅子に乗り上がった。パイプ椅子が重みでみしり、と音を立てる。

 「それでは私は一旦退室いたしますので、お話しに目処が付きましたらお声がけくださ――」

「ちょっと待って!」

 夕良は思わず出ていこうとする坂田さんの肩を掴んだ。

「はい?いかがいたしましたか?」

「いや、何でお見合い相手と言ってオオカミが出てくるんですかっ」

 食い下がる夕良に対し、

「ああ。大月さんはオオカミ男なんですよ」

と坂田さんはクールに回答した。

「はあっ!?」

「さかみち商店街にはよくあることです。ここは狭間ですから。気候や時間が曖昧なのと同じく、住んでいる人間も曖昧な存在なんです。大月さんも人か獣か曖昧なだけですよ」

「いや、まんまオオカミですよね」

 オオカミ/男というか、目の前にいるのはオオカミそのものである。

「大丈夫。満月の日には人間に戻りますので」

「大丈夫じゃないですよ。会話のできない相手とどう見合いをしろと」

「夕良さん、口が過ぎますよ。大月さん、泣いてるじゃありませんか」

 坂田さんが小さくたしなめる。確かにオオカミがくぅん、と言っている。だがその姿が犬のようにかわいそかわいいわけではなく、恐い。普通に恐い。至近距離に肉食獣がいるプレッシャーが凄まじい。

(これが、見合い……!)

 夕良はこのような相手が残り四人もいるのかと戦慄した。

 


「二人目のお相手は相田涼成さん、二十四歳。美容師です」

 「ご趣味は?」「ワン!」という気まずい二十分間を終えて次に現れたのは、すらりとした美しい男だった。少し長めの茶髪を、毛先を遊ばせながらも綺麗に整えている。その複雑な技術がさすが美容師という感じだ。

「はじめまして、涼成です。君が夕良ちゃんだね。すごく綺麗な髪。何も付けてないのにさらさらのストレートになっている子はなかなかいないよ」

 格好良い男が夕良の手を取ってにっこり微笑む。明らかに接客慣れした人間のスマートな態度に夕良は気圧された。

「あ、ありがとうございます……」

「ふふっ。緊張してる?あ、それとも僕がどういう人間か不安になってる?」

「え、あ、いえ……」

 それは確かにその通りだった。

 一人目がオオカミ男だったのだ。見た目が良い男がそれだけのはずがない。彼も何かあるに決まっている、と夕良は覚悟していた。

「そうだね。後から驚かせるのも良くないから、今のうちに教えておこうか……僕は性別が曖昧なんだ」

「え」

「つまり男にも女にもなれる」

 立ち上がって、芝居がかった仕草で一回転。そうして座り直した彼の胸元には大きな膨らみが。

「ええええ」

 体の線も細くなっている。声もいくらか高い。襟ぐりが広めのパステルカラーのニットが肩からずり落ちそうだ。

「でも心配ないよ。君といるときは基本的に男でいる。それとも女の方が……良い?」

 夕良の頬にそっと手をかけて、耳に優しく吹き込まれる。なんだか良い匂いがする気がする。

「だ、男性でお願いします……」

 いや、本当はどちらでも良いのかも。夕良はふわふわする頭で考えた。ちゃんと人間だし、会話できるし。この人ならうまくやっていけるかも――――…………などと思っていられたのは、ほんの短い間だった。

 

「黒髪ストレート!それ以外は認めない。大体、日本人は本来黒目黒髪なのよ。目や眉が黒いのに頭だけ金髪だったり茶髪だったりしたらアンバランスでしょう。元々持っている髪色や髪質をより美しくするならわかるけど、全く別物にするのは認められないっ」

「何言ってるんだ。今はカラーもパーマもいろいろ種類があるのに、それを少しも利用せずに人生を終えて良いのか、いや良いわけがない!色や流れを変えることで、可能性は無限に広がる。思い出してほしい、女子高生が卒業して髪を染めたその日を。厳しい校則から逃れ、自由を手にした彼女らの美しさを。金髪ショートの格好良さを、ゆるふわ茶髪パーマの愛らしさを。黒髪ストレートは抑圧の象徴だ!」

「ええ、忘れもしないわよ。高校時代、憧れのかわいい先輩が卒業後すぐド金髪にして部室に遊びに来たその日を……!ショックだったわ。柔らかい黒髪をきっちりポニーテールにしてフルートを吹いている先輩が好きだったのに……。あの素朴ながらも清純な美しさが良かったのに……自然への冒涜だわ。本来ある美しさを損なう愚行だわ」

「女の子がなぜ髪を伸ばしているのか?さまざまなアレンジをするためだろう!だから僕としては夕良さんと結婚した暁には、茶髪のボブに……」

「断固、拒否する!私は私が良いと思うもの以外に変わる気はないっ」

 

 宗教上の理由で決裂した。

 会話ができるだけでは結婚できないんだな、と夕良は理解した。



 「三人目のお相手は有間貞治さん、三十歳。有間医院の次男です」

 眼鏡を掛けた小柄な男性だった。目元にうっすら隈ができていて少々疲れた印象を与えるが、きちんとなで付けた髪やスーツはここまでで一番真っ当そうに見える。

「お医者さん、ですか」

「はい。うちは代々、一家で医師をやっております。さかみち商店街には有間医院しか病院が無いので、商店街の病人、怪我人は皆うちにいらっしゃいます」

「それは大変そうですね」

「大変なことには大変なのですが、皆さんに必要とされているというのは良いものです」

 有間さんが微笑む。

「夕良さんもおいおい実感されると思いますが、さかみち商店街は住む人も少なく、狭い世界です。大きな事件も起こらないし、人ができることも限られている。人によってはこの閉鎖性にうんざりしてしまう人もいるでしょう。それでも人の役に立っているという実感は日々を生きる活力になります」

 穏やかに話す様子は学校の先生のようだ。わりと年上なだけに落ち着きがあり、夕良としては安心する。こんな人も何かしらびっくりするような問題を抱えていたりするのだろうか。

「お仕事が生きがいになっているんですね」

「ええ。一生をこの仕事に捧げる所存です。でも本当に一家全員で働いていても手が足りないくらいで。もし結婚いたしましたら、夕良さんにも医院で一緒に働いていただきたいと思っています」

「そのへんは大丈夫です。働いて住人の皆さんと関わっていく方が、早くこの商店街になじむことができると思いますし」

「そう言っていただけるとありがたいです。いやあ、やりがいはあるんですが、毎日本当に忙しくて」

「そんなに忙しいんですか」

「何せ二十四時間ひっきりなしに患者が訪れるわけですからね」

 有間さんが額の汗を拭きつつ、説明を続ける。

「治す、ということを何でもやっているんです。だから患者もさまざまです。赤ん坊からお年寄りまで、あ、幽霊もいます。犬や猫、ハムスターなどペットの類いも。商店街にいるものは何だって受け容れています」

 人間の総合病院と動物病院が一緒になっているということだろうか。夕良は内心、首を傾げる。いや、途中で幽霊という言葉が出てこなかったか?

「父が手術をしている隣の部屋で母は子供達にインフルエンザの予防接種をマシンガンのごとく連射し、兄は皮膚科の長蛇の列をさばき、姉は注射を嫌がる猫を追いかけて院内を走り回り、僕はお年寄りの永遠に思われる世間話の中から病状のヒントを読み取ろうと必死になっているわけです」

「…………」

「疲れて戻って夕食をとっていると突然バターンと窓に大きな影が張り付いたと思ったらコウモリが羽の怪我を治してほしいとやって来ます。処置を終えて食卓に戻ったら、椅子がガタガタと揺れて『脚の高さが合わず安定しないのでどうにかしてください』とお願いしてきます。仕方が無いので、脚を一本、他に合わせてノコギリで削りました。さあ休もうとベッドに入れば、首の無い武士が付けてくれと自分の首を差し出してくるんです。ちなみに隣の兄の寝室には、その武士を殺すために使われた刀が刃こぼれを治して……いや、直してほしいとドアを突き破って侵入していました。さすがにうちでは難しかったので刃物店を案内しました」

 これは……これは厳しい。夕良は自分の表情が無になっていくのを感じた。

「こんなうちですが、来てもらえると嬉しいです」

 そう言って有間さんが微笑む。

 有間さん自身は良い人だ。仕事に誇りを持ち熱心に取り組んでいる。こちらに対する気遣いも十分で、話しやすい。

 だが彼を取り巻く環境が非常に厄介である。端的に言って化物屋敷ではないか。

 夕良は有間さんとはうまくやっていけても、彼の家とはうまくやっていける気が全くしなかった。



「四人目のお相手は貝崎穂高さん、二十六歳。喫茶ほむの長男です」

「あれ。穂高、さん?」

 坂田さんに呼ばれて入ってきたのは、先程の双子の片割れだった。

「やあ、貝崎穂高です。よろしく」

 少し照れくさそうに笑って頭を軽く下げる穂高に、夕良は目を白黒させる。

「ええっと……」

「ああ。僕らもこのお見合いに参加させてもらうことにしたんだ。ちなみに五人目は睦実だよ」

「弟さんも?」

 なんと兄弟が両方とも申し込んできてくれたらしい。お見合いの結果によってはお互いに気まずくなったりしないのだろうか、と夕良が気にしてしまう一方、穂高は「弟」という言葉に引っかかったようだった。

「弟っていう感覚はあまり無いんだ。僕ら双子だけど、どちらが兄か弟かって決めてない。お互いしかいないから決める必要も無かったしね。周りからは面倒くさいから決めておけって言われるんだけど。ねえ、睦実」

 そう隣の何も無い空間に同意を求めるものだから、夕良もそちらを見てしまう。が、当然ながらそこに呼ばれた相手の姿は無い。

「……いませんよ?」

「ああ、ごめん。つい癖で。二人で一緒にいることが多いから、お互いに何かと確認し合っちゃうんだ」

 思い出してみれば確かにこの双子、片方が発言する度にもう片方が相づちを打っていた。世の中の兄弟の中でもかなり仲が良い方ではないだろうか。

 穂高が苦笑いしながら「それより」と続けた。

「大変なことになったね。いきなり結婚相手を探せだなんて」

「ええ。正直こうしていながらもまだ頭がこの展開についていけてないです」

「僕らは会長なら何か良い知恵があるかと思って君を組合にまで連れてきたんだけど、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった」

 そう言う穂高は少し申し訳なさそうな顔をしていた。夕良は目を瞬かせた。

「心配だったから結婚相手に名乗り出てくれたんですか?」

 なんとなく心にもやもやとしたものが湧き上がる。

 穂高はたまたま商店街に迷い込んだ夕良を保護しただけでなく、結婚してこれからも面倒を見てくれようとしている。本来なら感謝するべきところだ。

 夕良だってこんな唐突な結婚に愛だの恋だのを期待しているわけではない。だが同情や憐れみが結婚の理由になるのは、嫌だと思った。

 穂高は敏感に彼女の感情の機微を読み取ったらしい。すぐさま「まさか」と否定する。

「心配が無かったと言えば嘘になる。でもそれ以上に、僕ら自身も結婚したいと考えていたんだ」

 彼は姿勢を正して言いづらそうに話し始めた。

「……母が病気でね。もう長くないって聞いている。そのせいでどうも気弱になっているみたいで、生きている間に僕らが結婚して幸せに暮らしている姿が見たいってしょっちゅう言うんだ。母から見れば僕らはなんとも頼りないみたいでね。二人だけ残していくのは不安だって」

 こういうの本当は言いたくないんだけどね、マザコンだってばらしちゃってるようなもんだから、と自嘲する。

 夕良は少なからず驚いた。先程ちらりと見た彼らの母は若々しく溌剌としていて、とても命に関わる病に冒されているようには見えなかったからだ。むしろ息子達の方が母親の強さにたじたじとなっているようにすら見えた。

 でもそういうことなら納得できる。彼らはなんとかして母を元気づけたいのだ。そのための手段としての結婚だ。

 それはここで生き延びるために結婚しようとしている夕良と変わらない。ならば公平だと、彼女は安心した。

「穂高さんも睦実さんも全然頼りないようには見えないですけど。それぞれしっかりされているように見えます。それに二人で助け合ってる。兄弟二人なら、お母さんも心配する必要がないと思います」

 夕良が同情を込めてそう言うと、「うーん、それがそうでもなくてね」穂高は困ったように首を傾けた。

「夕良さんはここの住人をいくらか見ただろう?皆、この街と同じ。どこか奇妙で曖昧で中途半端だ。僕と睦実も例外じゃない」

 そういえばここまで会った婚約者候補達は全員、何かしら変わったところがあった。オオカミ男、男女両方になれる者、生者も死者も何でもござれの医院の息子……ならば穂高と睦実にだって何かあるはずだ。

「僕らについて言えば、お互いの境界が曖昧なことかな」

「どういうことですか?」

 穂高がお茶請けに用意されていた、丸いせんべいを菓子器から取り出す。それを真ん中でパキッと割って見せた。

「僕ら中身は同じ人間なんだけどたまたま体の方が二つに分かれてた、みたいな。逆に言えば一人の人間が二人に分かれているわけだから、僕らそれぞれでは不完全なんだよ。二人一緒にいてやっとまともになれる」

 右半分のせんべいをこっちが僕、左半分をこっちが睦実、と見せながら説明する。二つに割れたが、両方ともせんべいであることには変わりない。そして二つに割ったからといってせんべいが二枚になったわけじゃない。あくまでも一枚のせんべいだ。

「で、さっき夕良さんは僕らが二人で助け合ってうまくやっていると言ってくれただろう?人間は助け合う生き物だけど、僕ら兄弟の場合は助け合っても結局それは一人でどうにかやっているってことでしかない……だから母が心配するんだ。僕らの間には他にも人間が必要だって。それでやっと人と助け合って生きていることになるんだって。僕らも良い大人だし、早く母を安心させてあげたい」

 穂高が菓子器からもう一枚せんべいを取り出し、夕良に手渡す。これでせんべいが二枚。

 「ありがとうございます」と言って両手で受け取る彼女を見て、穂高は微笑んだ。

「まあいろいろ言ったけど、君のことが良いなと思ったのは本当だ。コーヒーを美味しそうに飲んでくれる姿も、不安だろうに前を向こうとする姿もかわいいと思ったんだよ」



「それでは五人目、貝崎睦実さん。喫茶ほむの次男です」

「次男とかねーよ、双子なんだから。どっちだっていいだろ」

「どっちだっていいなら、次男でもいいでしょ。面倒くさいわね」

 坂田さんが呆れてため息を吐く。初っ端から彼女に喧嘩を売りながら入ってきたのは、最後の候補、睦実だった。

 音を立ててパイプ椅子を引き、どっかりと座る。穂高がどちらかと言えば礼儀を重んじた言動を取るのに対し、睦実の方はかなりカジュアルだ。

「大丈夫か?」

 突然そう聞かれて、何のことを言われているのか意味がわからず夕良は戸惑った。

「え?」

「俺で五人目だろ。疲れているんじゃないか。もっと楽にして良いぞ」

 やっと意味がわかり、彼女は思わず笑いがこぼれた。口調こそ荒いが、随分と気遣ってくれる。

「大丈夫ですよ。それに疲れているからってせっかく来てくれたのに、適当な態度をとったら睦実さんに失礼じゃないですか」

「別に気にしねえよ。なあ、穂高」

「だからいませんってば」

 睦実がお決まりのように、隣に向かって声を掛ける。先程も全く同じ光景を見た。

「……そうだった」

 睦実がくしゃくしゃと頭を掻く。夕良はますます笑いが止まらなくなった。

「本当に二人はいつも一緒なんですね」

「生まれたときからずっとだからな。俺達の関係については穂高から聞いたか?」

 穂高と睦実という双子。二人で一人という関係性。その境界の曖昧さ。

 彼女が「はい」と答えると、「うん、じゃあ、まあそういうことだ」と満足そうに睦実は頷いた。

「ちょっと!『そういうこと』で終わらせないでください。私は今、睦実さんとお見合いしてるんですよ」

「別に良いだろ。穂高の方がこういう説明はうまいんだ」

 先に聞いたんだったら、もうそれで十分だろうと睦実。

「でも私が今話しているのは睦実さんですよ?」

 ここで打ち切られたら、睦実のことがよくわからず他の見合い相手と比較できないまま終わってしまう。そう思い夕良が食い下がると、

「……まー、あれだ。俺達、結局一人の人間が二人いるようなもんだから。多少得意不得意や口調の違いとかはあると思うけど誤差の範囲内」

と、睦実はしぶしぶ彼なりの説明を始めた。

「大体、せんべい二つに割るにしても、完全に同じ面積できっちりは割れないだろ?その程度の誤差だよ」

と、付け加えて夕良にせんべいを一枚差し出した。彼女にとっては本日二枚目のせんべいである。

 この兄弟、どちらも自分達のことをせんべいで例えるのか。いや、それはやはり同じ人間だから、同じ例えになるのだろう。

「服装や髪型はあえて変えてるな。これは同じ人間だから、好きなようにやったら同じになっちまうんだよ。だからお互いに一応、肉体的には別の個体だってことを確認するためにあえて違うようにしている。まあ周囲にも見分けがつきやすいようにって部分もあるけど」

 なるほど、と夕良は頷く。

 確かに前髪を流す方向が逆だったり、店のエプロンも睦実が胸当てまである方で、穂高は腰に巻くタイプを使っている。そのあたりは個性だと思っていたが、意図的にやっていたらしい。

「お見合いを申し込んだ理由は……」

「それも穂高から聞いてるだろ。おふくろが病気だから。うちの親父さ、小さなガキ二人いる母親を置いて蒸発したんだぜ?信じらんねぇ」

 睦実が頬肘をつきながら腹立たしげに話す。

「その後おふくろは苦労して喫茶店を経営しながら俺達二人を育てた。だから最後の方くらい、なるべく良い目を見させてやりたいんだ。自分が育てた子供がちゃんと大人になって働いて、結婚して子供ができて。そういうふうに先に続いていくもんがあったら、喜んでくれるんじゃないかと思ってさ」

 予想以上に具体的に考えていたのだな、と夕良は驚いた。

 彼女にとっては降って湧いたような結婚話で、結婚してからその後のことは正直あまり考えられていなかった。

 そうだ、自分はこれからこの商店街に根を張ることになるのだ。そのことを考えて相手を選ばなければならない。

 夕良は自分の浅慮さに恥ずかしくなった。そんな彼女の内心とは裏腹に睦実は、

「そういう風に考えていたんだけど、商店街は過疎ってるからな。同年代も少なくて、相手がいなくて困ってた。だから今回のことはチャンスだと思ったんだ」

とぼやきつつも正直に話してくれる。

「私がもし睦実さんか穂高さんのどちらかと結婚するとして、私に選ばれなかった方はそれで良いのでしょうか?私はどちらかとしか結婚できないのですが」

 先程、穂高には聞きそびれた質問だ。だが睦実の返事はあっさりとしたものだった。

「特に気にしないな。穂高は俺で、俺は穂高だし」

 それはまた独特の世界観だ。睦実は当たり前のように言っているが、現実には難しいのではないだろうか、と夕良は考えた。

 今まで二人で完成されていた世界に、夕良という異物が入り込む。そうなれば生活様式も優先順位も変わってくる。これまでと同じようにいかないはずだ。

 より具体的に言うならば、夕良が片方と結婚することで、もう片方から兄弟を奪ってしまうことになる。この一心同体、一蓮托生といった様子の双子にそんなことをすれば、大きな問題が起こるのではないか。

 睦実の考えに納得しかねて、夕良は重ねて問う。

「これは例えばの話なんですけど。穂高さんが誰かと結婚するとして、その人が睦実さんの気に入らない人だったらどうしますか?」

「そういうことはありえねぇよ。穂高が俺の気に入らない女と結婚するはずがない。だって穂高と俺は同じものが好きなんだから。だからあいつも俺もあんたと結婚したいって言ってるんだ」

 遠回しに好ましいと言われているんだと気がついて、夕良は思わず赤面した。言っている睦実はしれっとしているので、きっとそんなつもりは無いのだろう。

「そ、そういえばそうでしたね。じゃあ……穂高さんと私が結婚して、私が睦実さんの気に入らないことを穂高さんにしてほしいって頼んだら?」

「そりゃあんたの好きなようにさせるよ。言っただろ、俺達二人は同じ。俺も穂高もあんたを何より優先させるよ」

 やはり何でもないことのように睦実は言う。

 不思議な人達だ、夕良は今更そんなことを思った。



「それでは十五分ほどお待ちいたします。その間に夕良さんが結婚したいと思う相手を決めてください。それから候補者全員を再度会議室に呼び入れまして、お相手を発表していただきます」

 坂田さんはそう言って、会議室を出ていった。

 一人になって、夕良は頭を抱えた。ついにこの時がきてしまった。

 オオカミ男の大月一郎さん。

 男でも女でもある相田涼成さん。

 何でもありの病院の息子、有間貞治さん。

 双子の兄とよく思われる方、貝崎穂高さん。

 双子の弟とよく思われる方、貝崎睦実さん。

 カードは全て揃った。後は夕良が誰を選ぶかだ。

「どうしよう……」

 本日何度目かの「どうしよう」だ。

 まず「結婚は無い」と思う相手を決めようと夕良は考えた。

 真っ先に弾かれるのは大月さんだ。オオカミ男であることはこの際、問題じゃない。問題なのは彼がオオカミの姿であるために話しすらできなかったことである。

 見合いをしたというのに、未だ中身がどんな人なのか全くわからない。そんな人と結婚するのはリスクが高すぎる。

 そう考えて、夕良は大月さんを候補から除外した。

 次に思い浮かぶのは有間さんだ。悪い人ではないし、自分の生活を犠牲にしてでも周囲を助けようと医療に従事する姿は尊敬に値する。

 だが志を同じくして共に暮らすことができるかというと、夕良にはできそうもないと思う。まだ社会人一ヶ月目の彼女だが、自分が仕事とプライベートは分けておきたいというタイプであることを自覚している。なるべく定時で帰りたいし、会社の飲み会はあまり参加したくない。

 自宅と職場が同じ敷地内にある上、時間にかまわず患者が自宅まで訪ねてくるというのは遠慮したい状況である。ましてや寝室に現れる幽霊(患者)など論外である。

 そう考えて、有間さんも却下した。残るは三人。

「相田さんかぁ……」

 宗教上の違い(頭髪問題)はあれど、話しやすかったのは確かだ。男でも女でもあっても、半分男なんだからそこも問題ではないと思う。

 でもすぐに結婚相手として選べるかというと、首を捻ってしまうのだ。

 夕良は彼については一旦保留することにした。

 そして双子である。この二人については一人ずつ考えるのではなくセットにして考えざるをえない。だがセットにして考えるとどちらかを選ぶこともできない。

 このセット問題について悩まずに済むのは相田さんを選ぶことである。だが相田さんに決定打があるわけでも無い。堂々巡りである。

 そもそもこの状況がおかしいのだ、と理屈屋の夕良は考えた。

 たまたま入ってしまった商店街から出られなくなった。このままでは死んでしまう、それを避けるためには結婚しなければならないと言われた。そして用意された花婿候補はひと癖ある者ばかり。

 こんな展開、全く理屈が通らない。

 大体、初対面で相手を決めるというのが無理なのだ。二十分ばかり話しただけでその為人を見極められるわけがない。ここで誰を選んで結婚したにしても、後から「そんな話は聞いていない」という問題が起こるに決まっている。それならば誰を選んでも同じではないか。

 何か決定的な理由があれば。この人でなければならないという理由。他の四人とのはっきりとした違い。

(そういえば)

 夕良はふと思い出した。

 そういえばこの商店街に迷い込んで途方に暮れていたとき、助けてくれたのは双子だった。何もわからない夕良に優しい声を掛けてくれ、ここまで導いてくれたのは穂高と睦実だったのだ。

 自分を助けてくれた相手を選ぶのはきっと正しい。だけどそうするとやはりどちらを選ぶかという問題に立ち返ることになる。

 夕良は考えて、考えて、考えて…………

「夕良さん、時間ですよ」

と言って坂田さんが会議室に入ってきたとき、答えを決めた。



 会議室が再び騒がしくなる。先程までお見合いのために部屋を出ていた人が、皆戻ってきたのだ。

 五人の花婿候補は会議室の奥、ホワイトボードの前にずらりと一列に並んでいる。その脇には、さかみち商店街組合会長の桃井さんとこのお見合いを取り仕切っている坂田さん。そして会合に参加していた商店街の皆さんもまた、壁際で成り行きを見守っていた。

「なあお前は誰に賭けた?」

「そりゃあ、有間の息子よ。この中で一番金持ってる。医者だからな。お前は?」

「俺は一発逆転を狙って大月」

「いくら何でも無理だろ……」

 おっちゃん達のひそひそ声が聞こえてくる。完全に娯楽じゃないか、と夕良はうんざりした。人の運命を決するお見合いを賭けの対象にしないでほしい。

「それでは結果発表です」

 坂田さんの言葉に、拍手が起こる。

 夕良は会議室の入口側に一人立たされていた。左右に並ぶ会議机の間の細い通路が花婿候補達の列に向かって開いていた。

 坂田さんからは、選んだ相手の前に立ち結婚を申し込むよう指示を受けている。全方向からの視線を感じながら、反対側の壁に向かってまっすぐ歩く。そこには夕良と同じく緊張した顔の五人の男性が並んでいる。

 一歩一歩進むごとに、自分の心臓の音が大きくなっていくように感じた。

 夕良が立ち止まったのは双子が並ぶちょうど間の正面だった。

 穂高も睦実も、はっと息を飲む。

 その場を包む興奮がすぐさま戸惑いに変わる。夕良が穂高と睦実のどちらを選ぼうとしているのか、その立ち位置からわからなかったからだ。

 静寂の中、彼女は二人の両方を視界に収め、意を決して宣言した。


「私は……穂高さんと睦実さん、二人に結婚を申し込みます」


 室内が一斉にどよめいた。会長は笑い顔のまま首をかしげ、坂田さんは持っていたボードを取り落とし、観衆はお互いに顔を見合わせた。

 穂高と睦実もまた、目を見開いたまま固まっていた。

 周囲の訝るような視線に負けないよう自身を鼓舞しながら、夕良は続ける。

「この結論に至るまで随分悩みました。もともとこのような形で結婚することに戸惑いがありました。私は初対面で、しかも少し話しただけで相手のことがちゃんとわかるほど、人間観察力に優れているわけではありません。だから確かなことだけを理由に決めることにしました」

 確かなこと……つまり既に起こっていることだ。未来はどうなるかわからないが過去は確かだ。

 穂高と睦実が彷徨う夕良に声を掛けてくれた。その事実は変わらない。その時差し出してくれた優しさは変わらないのだ。

「二人のことはまだよくわかりませんが、二人が私を助けてくれたことは確かです。だから二人のうちどちらかを選ぼうと思いました。でもそれでは誰か一人が残されることになります」

 夕良にとって引っかかるところはそこだった。だから時間の許す限り悩んだ。

「穂高さんも睦実さんも、二人は同じ人間だからどちらが結婚しても同じ事だと気にしないようでした。だけど私にはそれは寂しいように思えました。二人で一つかもしれませんが、人数としては二人いるんです。どうせ愛するなら二人とも愛したい。取りこぼしのないように愛したいと思いました。

 それで考えたんです。二人で一つというなら、穂高さんと睦実さん、両方と結婚しても問題ないのではないかと」

「いや、問題はさすがにあるんじゃないかしら」

 それまで淡々と事を進めていた坂田さんが思わずといった様子で口を挟んだ。他の人達からも「ぶっ飛んでるなぁ……」、「いくら何でもそれは……」などという声が上がっている。

 だが彼女は気にしていられなかった。これは夕良と穂高と睦実、三人の間の問題だ。他人の意見など気にしている場合ではない。自分達が納得することが重要なのだ。

 幸せになるために結婚するのだ。それなら三人全員が幸せになる結婚をしなければならない。

 だから……この選択は理屈が通っている!

「これは私が思いつく唯一にして最良の解決法です。その、だから……いかが、でしょうか…………?」

 声がだんだん小さくなっていく。そういえばこれは夕良にとって人生初めての告白なのだ。それも衆人環視の、かなりぶっ飛んだ内容の。

 遅れて恥ずかしくなってきて、俯く。顔が熱い。こんなとんでもないことを言って断られたらどうしよう。

 夕良はちらりと二人の顔を見た。穂高と睦実は口を少し開けてしばらくぽかんとしていたが、いつものようにお互いの顔を見合わせ、それから夕良を見た。

「いいね、それ!」

「いいな、それ!」

 二人の顔がぱっと綻ぶ。

「すごいね。考えもしなかったよ、そんなこと」

「確かに俺とも穂高とも結婚してしまえば良いんだよな。賢いな、お前」

 両方から肩を力いっぱい叩かれて、夕良はふらつく。それでも二人があんまり嬉しそうに笑うので、つられて彼女も笑い出した。

 周囲が唖然とする中、三人で抱き合う。なんだか円陣みたいな格好だが、まあ悪くはないだろう。

 しばらく喜びを味わったところで、穂高が観衆の中にいた母に声を掛けた。

「母さん!」

 双子の母もやはり固まっていた。それを見て夕良は我に返った。

 そうだ、自分達三人が納得すれば良いと考えていたが、さすがに相手の家族は――母親のことは気にするべきだった。

 そりゃあ息子さん二人の両方と結婚します、なんて言ったら、母としては反応に困るだろう。今更決めたことを翻すつもりは無いが、説得は難しいかもしれない。

 慎重に話をしないと、と夕良が考えたところで、

「おふくろ、俺達結婚するぞ」

と、睦実が機嫌良く宣言した。口をぱくぱくさせる夕良をよそに、

「……いいわね、それ」

と、彼らの母親も存外あっさり受け容れた。

「でしょ?」

と穂高。

「いやー、驚いたわ。おとなしそうに見えて結構根性あるのね、あなた。うちの二人両方を相手するのは大変だと思うけど、よろしくね」

「はあ……」

 先程までは状況を噛み砕くのに時間がかかっていたらしい。みるみる機嫌良くなっていく双子の母に、夕良はひとまずほっとした。この母にしてこの子あり、なんて言葉が一瞬頭をよぎったのは内緒だ。

「これでおふくろも安心だな」

「そうね。あんた達が真面目に結婚する気になってくれて嬉しいわ。余命一年だなんてベタだとは思うけど、言ってみるもんねー」

「…………は?」

 穂高、睦実、そして夕良までもが真顔になった。

「え、あれ、嘘だったの?」

「別に嘘じゃないわよ。比喩よ。このままあんた達が結婚しなかったら心配で死んじゃうかもーってこと。二人とも馬鹿……いや、根が素直で良かったわ-。さすが私の子」

とけらけら笑う。

「さあ今日は祝い酒よ。野辺さん、この後寄るわね」

 双子の母は酒屋の野辺さんに声を掛けながらさっさと三人に背を向ける。

「あんた、そろそろ歳なんだからほどほどにしなよ」

「大丈夫よ。あたしが一升瓶を一晩で空けちゃうの知ってるでしょ?」

 いえーい、と去って行く母。取り残された三人は、

「ええー……」

と顔を見合わせた。


 こうして夕良は穂高、睦実の双子と結婚した。

 さかみち商店街においてどころか、全世界においても型破りな、夫二人妻二人の夫婦の爆誕である。

 三人はこれからこの街で、不思議で不安定で不条理な、だけれど確かに幸せな結婚生活を送るわけだが、それはまた別の物語である。


 

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