05 安藤恭太 4
「安藤くんに江坂さん」
後ろから声をかけられた僕らははっと振り返る。
「西條さん、三輪さん?」
「うん。久しぶり」
「久しぶりやなあ」
僕と真奈はこちらにやって来た西條奏と三輪つばきに挨拶をした。まともに話すのはあのタコパ以来だから、一ヶ月ぶりだ。
「えーっと、どちら様だっけ……」
西條さんがなぜか小首を傾げている。あれ、一ヶ月前とはいえ一緒にタコパしたのにもう忘れたんだろうか。
不思議に思っていると、三輪さんも眉を潜めている。しかし彼女が「安藤くんとその彼女の江坂さんだよ」と耳打ちすると、「あ、ああ」と慌てた様子で「こんにちは」と挨拶してくれた。
「二人も来てたんや。あれ、でも三輪さんって確か彼氏と——」
と言いかけたところでしまった、と口を噤む。僕が三輪さんのデート事情を知ってるのは昨日学に聞いたからだ。それなのにここで口にしてしまえば、学が僕に余計な個人情報を話したことがバレて気を悪くするのではないか……。
「ああ、御手洗くんね。二人は仲良いものね」
「す、すんません……」
「いいわよ、慣れてるから」
涼しい顔で答える三輪さん。慣れているというのは、色恋沙汰には噂話がつきものだということだろうか。それなら確かに僕にも身に覚えがある。
「彼、なーんか予定が入っちゃったみたいで。来られなくなったのよ」
「それで補欠役の私と回ってるんだよねえ」
「ごめんって。埋め合わせは今度焼肉でも奢るからさ」
「やった〜。あ、でも焼肉よりお寿司がいい」
「お寿司はこの前食べたじゃない」
「あれ、そうだっけ?」
本気で不思議そうに首を傾げる西條さん。好きなものを食べたことを忘れるなんて、よほど天然なのかワザとなのか。どうやら今日の西條さんは忘れっぽいらしい。
「お二人はデート? 相変わらず仲良いね」
「まだ熱々の交際一ヶ月目ですから」
と答えたのは僕ではなく真奈の方だった。そうかと思えば彼女はぐっと僕の右腕に自分の左腕を絡めてきた。
お、おえ? 急にどうしたんだっ。
真奈がこんなふうに幸せアピールをするなんて珍しい。基本的には僕の一歩後ろを歩いてくれるタイプの控えめな女の子だからだ。
「それはお熱いことで。江坂さん、幸せそうだね。羨ましい」
西條さんが真奈の方を見て微笑んでいる。その笑顔を見て、真奈はよりいっそう腕に力を入れてきた。公共の場で突然の密着攻撃を受けた僕は反射的に硬直してしまう。くそ、これだからモテないインキャ男は。彼女からの幸せな攻めに対応しきれていない。むむむ、これから要修行だな……。
「幸せですっ」
おお、やっぱり真奈のアピールがすごい。そんなに必死にならなくても、見たら分かるってー。
「それはそれは、邪魔して悪かったわね」
今度は三輪さんがふふふ、と意味ありげに笑った。なんだなんだ、二人して高校生みたいないじり方じゃあないか。
とはいえ、高校時代にこれほどの幸せないじりを受けたことがなかった僕は、正直悪い気はしない。というより気持ちがいい。ふっふ!
「じゃあ私たちはこれで。おデート、楽しんでね」
「言われなくても楽しいですよぉ」
今度は両腕で僕の右腕に絡みつく真奈。さ、さすがにそれはやりすぎじゃないですか、真奈さん。
西條さんと三輪さんが僕らに手を振って去っていく。真奈は二人の背中が見えなくなるまで腕を解こうとしなかった。二人の姿が遠のいて、ようやく彼女が僕から離れる。寂しいような、ほっとしたような感覚に襲われた。
僕たちは椅子に腰を下ろし、僕は少し冷めてしまったココアを彼女に渡した。
「もうびっくりしたで。こんなところで密着するから」
非難覚悟で言おう。実のところ、まだ真奈と手を繋いだことがない。学にもまだこの事実は伝えていない。だって、もし彼にこのことが伝わったら鼻で笑われるに決まっているからだ。「フン、恭太くん、君も懲りないねぇ」などと適当な言葉で馬鹿にしてくる学の顔が目に浮かぶ。
恋人ができても所詮、僕は冴えない京大生のままだということだ……嗚呼。
真奈の方はたぶん、手ぐらい繋ぎたいはずだ。でもこれまで自分から手を繋いでくることはなかった。あくまで僕が主体的に動き出すのを待っているというふうに。
しかし今日、ついに彼女の方から行動に出た。不甲斐ない僕に業を煮やしているのかもしれなかった。
「だって、そうでもしないと恭太くん、私と手すら繋いでくれないから」
「……申し訳ございません」
やはり。まったく予想どおり、彼女は奥手な僕にやきもきしているらしかった。
「いやあ、どうしても知り合いに会うかもと思うと難しくて……」
「うん、分かるよ。だから私からしてあげたの。それに……」
そこで一旦言葉を切ると、彼女はその先の言葉を紡ぐかどうか迷っている様子だった。上目遣いに僕のことを見つめる。うぐ、そんな目で見つめられたらHPがもたないじゃないか……!
「どうしたん?」
「恭太くんって、あの二人と仲良いの? 大学で会ったりするのかなあって」
一瞬、彼女の言っていることの意味が分からなかった。僕があの二人とそれほど関わりのないことは、さっきの「久しぶり」という挨拶からすぐに分かることではないのか。
僕は、潤んだ瞳で僕を見上げる彼女を見つめた。むっと口を閉じて、何か言いたげな表情をしている。
「あのタコパ以来、全然会ってへんよ」
「そっか……それなら良かった」
良かった?
僕があの二人と仲良くしたら、真奈に都合が悪いことでもあるんだろうか。いや、ちょっと待て。もしかして真奈は……。
「真奈、きみは二人に嫉妬して……」
「え、そんなことないよっ」
さっと視線を逸らし、飲みかけのココアを一気に流し込む真奈。そんなに慌てて飲んだら気管にでも入ってまうよ——と言いかけたところで案の定ケホケホとむせた。
「ごめんごめん。変なこと言うて」
「……ううん、私の方こそごめんね」
なんとなく、二人の間に気まずい空気が流れる。真奈と付き合い出して一ヶ月だが、こんな雰囲気にのまれたのは初めてだ。
ココアを飲み終えた真奈は、考え事でもしているのかめっきり話さなくなった。今日会ってから今までいい感じでザ・青春的な文化祭デートを楽しんでいたのだが一気に熱が冷めたみたいだ。
あああああ、余計なこと言ってしもたな……。
彼女が黙りこくってしまったのは明らかに僕の発言が原因だ。とはいえ一度謝罪したのにさらに詫びなんか入れると、余計に空気が重たくなりそうだ。
こ、こうなったら。
僕は、緊張しながら彼女の手をすっと握った。
初め彼女はビクッと肩を震わせ、僕の行動に目を丸くした。そんな彼女にお構いなしに、僕はより一層手に力を入れる。真奈がきゅっと僕の手を握り返す。おおお、なんて柔らかくてあったかいんだ。と、彼女の手の感触を噛み締める余裕はなかった。だって僕の心臓は、初めての行為に年甲斐もなく激しく脈打っているのだから。
「い、嫌だったら言うて」
「嫌じゃないよ」
真奈の掌から伝わる温もりは、僕の頭を次第に熱くした。だんだんと手が汗ばんでくる。気持ち悪いと思われてたらどないしよう、と冴えない男は考えてしまう。
しかし真奈の方は手を繋いだことに満足してくれたのか、唇をきゅっと結び何も言わずに手を握り返してくれていた。それが僕の行為に対する肯定の意だと分かりほっとする。
これは絶対に誰かに見られたなあ。
真奈の方は自分が通っている大学ではないので知り合いに会う確率は低いだろう。ホームタウンにいる僕は、あとで要らぬ冷やかしのメッセージが来ないかと内心ヒヤヒヤしていた。
その後、僕は真奈が気に入ったハンドメイドのピアスを買ってあげた。彼女は控えめに「ありがとう」と笑う。しかし先ほどから明らかに口数が少ない。照れているのかもしれないが、なんとなく別の理由な気もする。男の勘ってやつだ。
鴨川の方面に夕日が沈み出し、お客さんの数もまばらになってきたところで、僕たちもそろそろ帰ろうという話になった。
「夜ご飯でも食べていく?」
「ごめん、今日バイトがあるの」
「そっか。じゃあご飯は別の日に」
「うん」
おかしいな。真奈の様子が変だ。明らかに元気がない。
「あのさ、今日僕が何か気に障ることしたかな? そやったら教えてほしい。今後またしないとも限らないし」
僕がそう言うと、彼女はハッとして僕の方を見た。漆黒の瞳に飲み込まれそうだ。
「いや、恭太くんは何も悪いことなんてないんだけど……」
真奈は明らかに今の心境を僕に伝えようかどうか迷っているようだった。何度も僕の顔と自分の足元を交互に見る。なんだなんだ。気になるじゃないか。
そして、ついに意を決したかのように口を開いた。
「私以外の女の子と、あんまり仲良くしないでほしいの」
「え?」
一瞬、彼女が何を言いたいのか分からなかった。
仲良くしないでほしい。
私以外の女の子と。
意味は分かる。しかし、なぜ急にそんなことを言い出すのだ。考えられるとすればやっぱり。
僕は彼女に、予想していた言葉を投げ掛けようとした。しかし僕が口を開くよりも先に、彼女が「いや、別にたいしたことじゃないんだけど」と切り出す。
「なんとなくね、恭太くんが他の女の子と仲良くしてるところを見たくないっていうか……」
「な、なるほど」
ぐるぐると、思考がめぐり彼女の真意を読み取ろうと必死だった。
しかしどう考えても行き着く答えは一つ。
彼女は西條さんたちに嫉妬しているのだ……!
僕はまったくそんな気はないのに、真奈は彼女らに僕をとられるんじゃないかと危惧している? いやいや、でも。だって。僕は日本の大学生の中でもトップを争うほどの「モテない男」だぞ? そんな僕なのに嫉妬なんて。
嫉妬、というワードが頭の中で渦を巻くにつれ、気分が高揚していくのが分かった。
まさかこの僕が誰かの嫉妬の対象になるなんて! ああ、人生捨てたもんじゃない。真奈からすれば死活問題なのかもしれないが、僕としてはこれほど有頂天にさせられることはない。
「ごめん、そんなこと言われても迷惑だよね」
真奈は自分の発言が自分勝手だと承知しているらしく、両手を合わせて「ごめんね」のポーズをとる。その仕草すらなんだか可愛らしくて笑いがこみ上げてきそうだ。
「いやいや、滅相もない! もちろん、他の女の子と仲良くなんかせえへんよ!」
高笑いしながら僕は彼女に言い切った。
「本当? ありがとうっ」
安堵と喜びが入り混じった表情で彼女は笑った。これが、女の子から求められる男の気分か。こんなものを世の男性たちはこれまで楽しんでいたのだな。ほんと世の中不公平だ。
「じゃあ、これからは他の女の子との付き合いはなしね。連絡とかもしちゃダメだよ」
「分かった分かった〜任せて」
いま鏡があったら、鼻の下を長くした自分のアホ面が映ることだろう。
僕は、求められる喜びを噛み締めたまま、出町柳駅で彼女を見送った。夕映の鴨川の景色がどこか懐かしさを感じさせる。鴨川デルタでは今日も頭のおかしい大学生たちが上半身裸で川に飛び込んでいる。浅い川なので飛び込んだとたんドスンと尻餅をついて馬鹿みたいに痛そうだ。それなのにゲラゲラ笑っている男たち。僕はいま、彼らの気持ちが分かる気がした。
今日はいい夢が見られそうだなあ。
駅前に停めていた自転車を回収して、ほろ酔い気分で北白川の自宅へと漕ぎ出した。ビールを一杯飲んでしまったから文字通りほろ酔いだ。どうか警察に捕まりませんように。
しかし、この時の僕はまだ知らなかった。
これから彼女がとんでもなく変貌していくということを……。
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