ライトノベル(喫茶フィガロで生まれた9の物語)

バケツズ

フィルム


 初恋の人が亡くなったと聞いた。

 31才。

 少し若く感じる。


「好きやったん?」

「……。」

「なあなあ、私のこと、好きやったん?」

「……。」


 誰かを失ったり何かを奪われたりした時、人はそこに何か理由をつけて、それが自分にとって必要だったとか大切だったとか試練だったとか勝手に思ったりするのだけど。


「正直どうなん?」

「……。」

「あの、ギラギラした目は私を欲してたと睨んでるんやけど。」

 いなくなった当人は案外何も感じていなかったりするものらしい。

「おっぱいに目線が、よくいってましたね。」

「……。」

「あわよくば私を抱こうとしてたよね。」

「……。」

「スケベ。」

「……。」

「変態。」

「……。」

「男根至上主義者。」


 初恋の人が幽霊になって自分の目の前に現れた。



 彼女の主張はこうだ。

「幽霊ってぇ、なんかぁ、この世にぃ、未練的なものがある場合、彷徨ったりするらしいやん。」

 つまり、霊体の彼女は、自分に何かやり残した用事があるらしい。 

「でも、正直、なーんも思い当たる節がないねんなあ。」

 自分の前に化けて出た理由が見当たらないということのようだ。

「だって、私、君のことなんか走馬灯にも出てけえへんかってんで。」

 同じサークルの仲間だったのに薄情な話だ。まあ、幽霊だから実際に物理的にも色素は薄い訳だが。

「好き好きビームを散々こっちに出しといて、チャンスも3回くらいあったのに、何もせえへんかったヘタレやからなあ。」

 死人に口無しって、あれ、誰が言った言葉なんだろうか。


 しかし、こうも、ペラペラ喋られたら困る訳である。

「……君、夢叶えたんやね。」

 この差し迫った締め切り前に。

「映画監督。」

 MacBookが熱を持って仕方がない。

「今、どんな映画撮ってるん?」

 その彼女の言葉に自分は、吐き捨てるように呟く。

 Vシネ。

 さほど興味のないジャンルである。

 同じことを思ったようで、幽霊は私に、こう話しかけた。

「そんなん、サークルの時、好きやったっけ?」 

 好きとか嫌いとかで何かをやる年じゃないからなあ、なんて言葉は流石に、いなくなった人に話せるほど、がさつではなかった。 


 大学生の時、芸大でも偏差値の高い大学でもなかった中で、自分たちは映画サークルを立ち上げた。

 もちろん先代からの知恵もなければ学校サイドからの公認もなかった中で、独学と映画への熱意だけで映画制作に乗り出した。

 あの頃は、自分たちが面白いもの、楽しいものさえ作れば何だってできる、どこへだっていける。


 そう信じて疑わなかった。

「私、主演にして撮りたかったのってこんな組同士の抗争やったん?」

 血みどろの赤に、青い彼女の身体が透ける。混ざれば紫だけど、どちらかと言えば自分の心は、真っ黒って感じだった。

「あの頃の君ってさ、【素晴らしき哉、人生!】とか【モンスターズ・インク】とか【ライフ・イズ・ビューティフル】とかそういう、みんなが笑ってみんなが感動して、みんなの心に残るような傑作を作りたいって言ってなかったっけ。」

 今は、一部の熱狂的なファンが好むエロでグロを撮り続けてる。

「全然ピント合ってないんちゃうん?」

 彼女は、昔のように、そんなことをぽつりと呟いた。



 彼女は、チャンスを何度も無下にしていたと話していたが、あれは嘘だ。

 実際は3テイクくらい彼女に想いを伝えている。

 ただし、問題は彼女の口癖にも合ったように、ピントがズレていたのか、彼女に真意が伝わらず、まるで自分がヘタレという偶像が出来上がってしまっているだけなのだ。


 一度目は彼女を主演で撮った映画のクランクイン。

 何をクランクインにのぼせ上がって告ってるんだと思われるかもしれないが、正論すぎて何も言い返すことが出来ない。

 監督である自分は、主演女優の彼女にこう伝えた。

「なんかずっと、こんな感じで、おれたらええよな。」

 すると彼女は、ふふ、と笑って「あんまり意味わからんなあ。」と意地悪く笑って、その場は終わった。


 二度目は主演で撮った映画のクランクアップ。

 クランクアップは、それはもう、チャンスも大チャンスなので許して欲しい。

 監督であった自分は、主演女優の彼女にこう伝えた。

「なんか、こんなんがずっと続いたらええのになあ。」

 すると彼女は、ふふふ、と笑って「いや、顔!」と話しの腰を回し蹴りで折った。


 三度目は映画の上映会の終わり。

 彼女はよく自分に、こんな話をしてくれていた。

「私はな、誰かの心に残りたいと思ってるねん。」

 どうして主演の映画を引き受けてくれたかを尋ねた時にも彼女はそんな話をしてくれた。

 そんな経緯もあり、自分は主演女優の彼女にこう伝える。

「この映画、自分の心には間違いなく残ってるで。」

 すると彼女は、キョトンとした表情で「いや、みんなの心に残らな、映画としては失敗やろ。」

 つまりまあ、ヘタレなりに愛を伝えてはいたのだが、どうやら思いが届かなかった。

 ピントは、なかなか合わなかったということなのだ。



「生きてる時さあ。」

「……」

「君の名前なんか一回も聞かんかったわ。」

「……」

「『誰よりも有名な監督になって世界中のみんなを笑顔にさせる。』って。」

「……」

「あんなん嘘やったんやね。」

「……」

「すごい、せまーい、せまーい、青春ごっこやったんやなあ、って。」

「……」

「ね。」

 透き通る声は、あの頃の割と意地悪な声色で自分の心を捻り曲げ続けた。


「中野くん。覚えてる?」

「……」

「中野くんな、ネズミ講で捕まったんやって。」

「……」

「あの天才俳優言われてた子が、やで。」

知ってる。


「田柄さん、結婚2回目やって。」

「……」

「相手、滋賀県の元ホストらしいわ。」

「……」

「地獄やね。」

知ってる。


「ぬっるーい地獄やわ。」

「……」

「君のVシネは、どうなん?」

「……」

 ぬるい地獄だということは全部知っている。


 そうして。

 彼女が死んだことも、どこで死んだかも、そして、どんな風に死んだかも、知っている。

 スマホをいじる手が、昨日のとある記事を読み込む。

 そこには大きな見出しでこのように書かれていた。

「高速道路」「追突事故」「居眠り運転に巻き込まれ」「死亡」

 彼女は、望まない形で有名人になってしまっていた。


 大学四回生のモラトリアムみたいな映画制作は、何だか、最後の楽園のようだった。

「こう、なんていうんかなあ。」

「何?」

「人生があるやんか、長あい人生が。」

「うん。」

「で、映画っていうのはさ。」

「はいはい。」

「その人の一番を記録するものだと認識しておる訳ですよ。」

「ほおほお。」

「一番美しい場面。一番素敵な仕草。一番嬉しそうな笑顔。」

「うん。」

「そういうシーンに人は感動するんやと思うのですね。」

「すごいですね、ほろよいだけで人は、そんなにも饒舌になれるものなのですね。」

「酒じゃなくて映画に酔ってる夜な訳でね。」

「私は嫌いですね、その感じ。」


 思えばあの頃は、見てくれの笑顔だけが全てで、その中に何かが潜んでいるなんて考えもしなかった。

 そこに表現されることが全てで。


 だけど違った。

 それはモラトリアムの世界でしか成立しない世界で。

「誰が面白いと思うのこんなの。」

「すごいね、あ、これは悪い意味でだけどね。」

「ダメダメ、こんなのじゃあ。」

 それでも作る。

「カスだな。」

 何度も作る。

「しょうもな。」

 作る作る作る。

「最低だね。」

 そうして結局。


「今度Vシネ作るんだけど、脚本書いてみない?」

 自分の信念を曲げてでも作ることになってしまった。

 人生のピントもずらして。



「でもな、でもな。」

「……」

「それやったらおかしいねん。」

「……」

 彼女は大学を卒業した後、劇団に所属して、働きながら生活を続けていたという。

「それやったらな。」

「……」

「誰かの心に残ってるんやったらな……」

「……」

 けれど、大手のプロダクションでも何でもない彼女の女優としての半生は。


「私、もう、成仏してると思うねん。」

「……」

 誰かの心に残ったものだったのだろうか。

「……」

「誰の?」

「……」

「なあ?じゃあ、誰の?」

「……」

「あんな訳のわからん事故に合うまで私のこと、知ってる人なんかおったと思う?」

「……」

「……どうなん?」

 しばらくの沈黙。


「あー、変わってもうたんやね。ぜーんぶ。」

「……」

「昔の君やったらさ。」

「……」

「それでも幸せにするとか何とか。」

「……」

「言ってたと思うけどなあ。」

「……」

「私、どうやったら成仏できるんやろ。」

「……」

 きっとこうやって、自分は合わそうと思えば合うはずのピントを外し続けてきたのだろう。


 これまでも。 

 そして、このままなら、きっとこれからも。


 なら。 

 変えるしかない。

「この映画、みんなの心に残そう。」


 そうして、彼女の瞳から、あるはずのない涙が溢れて。

 そんなこと、どうやってするん、という彼女に対して。

 自分は、あの頃のような笑顔で答える。


「もちろん、映画使って。」



 仕掛けはとても簡単だった。


 Vシネマのラストシーン。

 何の面白みもない、血で血を洗う抗争。

 そこに主義主張、またはロジカルのようなものも存在せず。

 ただ、そこに、いてもらうだけ。

『われー!!!』


 生きてる時に、どんなシーンを撮って貰いたかったん?

「ああ、まあ、そうやなあ、あれかなあ、この角度、かな。」

 ああ、自分が一番好きやった角度や。狙ってたんや。

「まあ、そうなりますねえ。」

 いいやん、それで、真ん中にたたずもう。

「こう?」

 じゃあさ、生きてて一番楽しかった時の話してや。

「ここで?」

 うん。

「めっちゃヤクザ役の人血みどろやけど?」

 うん。

「広島弁とか飛び交ってるけど?」

 だから、ええねん。

『ころせころせ!!!』


「わかった。やっぱり一番好きやったんは、映画撮ってた時、かなあ。」

 そうなんや。

「あの時は、私が私じゃなくなった感じしたなあ。なんか、ほんまが嘘になって、嘘がほんまになってた、っていうか。」

 あー、わかるわかる。

「その加減が気持ち良かったなあ。コンビニでお酒買って。好きなものについて延々と語ってるみたいな、あの時間。」

 うん。

「永遠やった。」

 そうやな。

「永遠やったね。」

 うん。

『いねええええ!!!!』 


「あー、なんか、なんか、なあ。もう、こうなったら、終わりやん。」

 いや、終わらへんで。

「死んでるねんで?」

 フィルムの中では生き続ける。

「……。」

『絶対にころす!!』


 フィルムの、その、君の、様子を、残し続ける。

「でも、誰もみてくれへんやん、こんなん。」

 いや、見てくれるよ。だって、この映画の主演は、ヤクザでも、チャカでもなくて

『ころせええええ』

『やってまえええええええ』

『オラあああああ』


 君なんやから。

「……。こんな人生でも、誰かの心に残るかなあ。」

残るよ。

「2番目に甘んじてた時がある自分でも?」

今は一番やし。

「……。」

どうしたん、じっと、こっちみて。

「…顔。」

顔?

「……あの頃の感じに戻ってる。」

え。


そうして、冷たく、透き通るような口づけをされた自分は、助監督のカットの声が掛かるまで、呆然と立ち尽くすままだった。


「監督?……監督!」

「あっ、ごめん」

「なんか、今日ずっと変っすよ、独り言多いし」

「まあまあ画は撮れておりますので」

「……でも、なんで、ロケの場所急に変えたんすか」

「え」

「ここ、あれでしょ?交通事故かなんかあったんでしょ」

「うん、だからええねん」

「……え、何がええんすか?」

「うん」

「いや、監督、うん、じゃなしに」


 結論からいうと、このVシネは、あらゆるVシネの動員を超えて前代未聞のロングヒットを飛ばした。

 しかし、残念なことに、その客足の要員は、脚本の力でも、演出の魔法でもなく、ある一人の役者のおかげだった。

「おい、マジで映ってたなラストシーン」

「いやあ、めちゃくちゃ鳥肌立ったわあ」


 そう、幽霊。

 心霊映像が、それもびっくりするくらいくっきりと写っていると、各所で話題になったのだ。

「いや、でも、あの幽霊割と綺麗だったくね?」

「わかる」


 しかも、あの事故現場で亡くなった女性と瓜二つというから噂は噂を呼び合い。

「でもなんかさあ、」

「うん」


 嘘が本当になって、本当が嘘になって、という具合で。

「あの幽霊、めっちゃいい笑顔だったよな」

「わかる、なんか、あの笑顔、すごい、なんていうんだろうなー、こう幸せそうな」


 この映画の成功がきっかけで、一度割と商業的な作品にも関わらせてもらえることになったりもした。

「いいよな、あの笑顔。」

「めちゃくちゃ心に残ったわ。」


 映画なんていうのは、俳優が素敵に撮れていれば、それだけで十分な訳で。

「ちょっともう一回みに行こうぜ」

「もう俺、あの謎のVシネの部分まで癖になってるわ」


 初恋の人が亡くなった。

 31才。

 ずいぶんと若く感じる。

 だから、さ。


「ちょっとくらい、ピントが合っててもええよな。」

 何十年越しで、初めて君にピントが合ったような気がした。


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