月餅們(月餅たち)

中原恵一

月は無慈悲な夜の女王じゃないっ!

1. 月宮唐人街(月面中華街)

 チャイニーズ・ディアスポラ——東南アジアからアメリカ、ヨーロッパまで、世界中に移住して巨万の富を築いた中国人たちが今や月面に進出し、そこに中華街チャイナタウンを作るのは歴史的必然であった。


「おい、!」

 分厚い耐圧ガラス越しに映るまん丸い地球をぼんやりと眺めている小悦シァオユエに、後ろから声をかけるものがあった。

「……その呼び方、やめてくれない?」

 彼女は眉間にしわを寄せて、低い声で答えた。彼女の視線の先に立っていた王浩然ワン・ハオランは悪びれる様子もない。

「ほら、もうすぐ中秋節だろ?」

 ワンは茶化したようにそう笑うと、居住区画の中心にある「月宮ユエゴン唐人街」と書かれた牌楼を指差した。その先にある月面中華街チャイナタウンは赤い提灯がぶら下がり、すっかり祝賀ムードだった。

 二〇五〇年の九月も半ばに差し掛かった頃、月面都市「月宮ユエゴン」では建設二十周年を記念して様々なイベントが開催されていた。

「地球の暦の話なんて、どうでもいいわ」

 小悦シァオユエは興味なさげにワンの言葉に相槌を打った。

「それより、私がなら、アンタなんてよ」

 彼女はフン、と毒づいた。

「そうかも」

 ワンは頷いて、再び笑った。彼の笑顔をチラリと見て、彼女はため息をついた。

「何分待ったと思ってるのよ」

「ごめんごめん。お昼ご飯、どうする?」

「私、今朝は油条ヨウティアオ一つしか食べてないから、お腹ペコペコなの」

「いつも思うけど、そこは中国人なんだね」

 彼らはしばし雑談に花を咲かせていたが、やがて中華街チャイナタウンの方へと向かって歩き出した。

 二人が付き合い出してから一年。途中、一時的に地球と月との超遠距離恋愛になったこともあったが、今でもなんとか続いている。


 メインストリート沿いに立ち並ぶお店の幟には「蛋黄月餅」に「葱油麺」などの文字が踊っていた。

 フードコートにやってきた二人は、これまたお決まりのごとく中華料理を頼んだ。

 買ったのは米粉ビーフンで、材料はこれまた全て月面で生産されたものを使用しているんだとか。

「しっかし、20年で月面に人が暮らせるこんな立派な都市を建設するなんて、イカれてるよな」

 盛況な中華街チャイナタウンを見渡して、ワンは皮肉めいた賞賛の言葉を漏らした。「江洲菜館」や「嫦娥大飯店」などといった漢字の看板がせり出す町並みは、一見すると北米や東南アジアのチャイナタウンを彷彿とさせる。しかしここはアメリカでもシンガポールでもなければ、地球上ですらない。

「もう少し、やり方をしてほしかったものね」

 小悦シァオユエは何やら不満げな顔だった。

「まー、最初の入植者にとって月は金儲けの道具でしかなかったワケよ。月の土地が購入可能になってからはバブルとかもあったし」

 ワンはそこまで得意げに口上を垂れて、慌てて付け足した。

「……そりゃあ、君たちからしてれみれば色々と複雑なんだろうけどさ」

 申し訳程度に申し訳なさそうな顔する彼に、彼女はぴしゃりと一言。

「こんな空気も何もないマイナス二百度の砂漠の土地を買って何が楽しいの?」

 二人の間に気まずい沈黙が流れた。

「……まあ、私にとっては、ここが故郷なんだけど」

 小悦シァオユエは今年二十歳になるだった。

「『さぁさぁ、の皆さん、今年も『中秋彩票』の季節がやって参りました! 今回の当選者は一体、誰なんだぁ〜?』」

 突然、街頭テレビが特別番組を映し出した。

 これは小悦シァオユエのような月生まれの華人たちに向けて年に一度、月宮ユエゴン政府から販売される特別な宝くじだった。

 当選者はなんと、地球に行くことができる。

「お、これこれ! 実は俺、小悦シァオユエのために何枚か買ったんだよね」

 ワンはポケットからチケットを取り出すと、興奮気味にまくし立てた。

「お金の無駄だからやめたほうがいいよ。親戚みんなで今まで何百枚も買ったけど、当たった試しないから」

 小悦シァオユエは諦め顔で月宮ユエゴン一年目のワンを諭したが、彼は夢中だった。

「『えー、それでは皆さんお待ちかねの当選番号を発表します。』」

 続いて司会者の男が番号を読み上げた。

「『C397L!』」

 この時、ワンは悔しそうに頭を叩いた。

「あー、これで三枚外れた!」

「ほら、言ったじゃない……」

 しかし、小悦シァオユエはある異変に気づいた。

「あれ? 一枚だけ当たってない?」

「え、ホント?」

 彼らが一喜一憂している間にも、次の番号が読み上げられる。

「『A179D!』」

「また当たってる!」

「ウソ?」

「『Q801E!』」

 最後の番号が読み上げられた瞬間、二人は歓喜のあまり思わず立ち上がった。

「当たった……?」

 

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