番外編08ぎこちないダンス(2)
「ライナス皇太子殿下のご入場です」
エルシーは、主催者の家の娘として、晩餐会の準備が整ったホールに先に入場して、各貴族の出迎えをしていた。
ライナスは一番最後の入場だ。ホールに入ってきた彼はすぐにエルシーを見つけて、微笑んだ。
「エルシー、その形のドレスもとても似合っていますね」
エルシーの身につけた青いマーメイドラインのドレスを見て、ライナスは目を細めた。
足元に向けて広がったレースが、いっそうエルシーの華やかさを引き立てている。髪飾りやアクセサリーは金色で、ライナスの髪色を思わせていた。
エルシーは口元に笑みを作って、なんとか微笑む。
「……ありがとうございます。殿下も素敵です」
ライナスは、エルシーの瞳の色であるグレーを基調としたタキシードに身を包んでいる。
今回は、ささやかな夜会のためか、落ち着いた材質の布を使用していて、カフスボタンなどの小物にエメラルドがあしらわれていた。
「ありがとう、さあ、お手をどうぞ」
差し伸べられた手に、エルシーはそっと自分の手を重ねる。それを見て、気を利かせた楽団が音楽を奏で始めた。
二人は、そのまま、広間の中央に出て、さっそくファーストダンスを踊り始める。周りから痛いほどの視線を感じた。
――どうして、あの方が選ばれたのかしら?
――やはり少し見劣りするわね。
エルシーはそんな風に言われているような気持ちになってしまい、いつものステップもターンもぎこちなくなってしまう。
「エルシー? 調子が悪いのでは?」
耳元で囁かれた言葉に、はっとしてライナスに目を向けた。青い瞳は心配そうにエルシーを見つめている。
「そんなことは……。大丈夫です」
そう言って首を振る彼女の手が小さく震えていることにライナスは気づいていた。朝から何か様子がおかしいことにも。
エルシーを信じて、話してくれるのを待とうと考えているうちに、リズムの合わないダンスは終わっていく。
そして、エルシーとライナスが踊り終わって中央からはけると、二人のもとへ、ブレンダとジョエルがやってきた。
ブレンダは桃色の可愛らしいドレス、ジョエルは深い紺色のタキシードを身に纏っている。
「殿下、クルック嬢、ご機嫌麗しゅうございます」
「こんばんは、アストリー卿にアストリー嬢」
ライナスは近づいてきた二人に、にこやかに挨拶を返す。
ジョエルは右手を胸元に当て、少し頭を下げた。
「僭越ながら、クルック嬢に一曲お相手いただけないかと思いまして、こちらに参りました」
ライナスはエルシーに視線を向けて、まだ離していなかった手を密かに強く握り直す。
「そうでしたか。今日はあまり調子が良くないようなので、もう休ませようかと思っていたのですが」
「それはそれは……大丈夫ですか?」
ジョエルは顔をあげて、エルシーを見つめた。エルシーは、ここで断ってしまうのは、婚約者として外聞が悪いと判断して、笑顔で頷く。
「大丈夫です。ぜひ、一曲お願いいたします」
「エルシー……」
「本当に大丈夫なのです、殿下」
心配そうなライナスに、エルシーはもう一度頷いてみせた。
ライナスは仕方ないという顔をして、繋いでいた彼女の手を名残惜しそうに離す。
「殿下、もしよろしければ、私たちが踊っている間、私の妹と一曲いかがでしょうか?」
ジョエルの隣で、ブレンダは期待に満ちた顔をして、口を挟まずに待っていた。
お互いのパートナーを交換して、交流を深める。いつもの貴族の社交だ。ライナスは断ることはできず、了承する。
「……わかりました、そうしましょう」
ジョエルはエルシーの手を取り、ライナスはブレンダの手を取る。
二組の男女は、ホール中央に躍り出た。エルシーは胸の痛みに気づかないふりをして、ライナスとブレンダを盗み見る。
――まあ、お似合いね、美しいわ。
――まるで、本当の婚約者のよう。
また周りの貴族たちにそう言われているような気持ちになって、エルシーは視線をジョエルに無理やり戻す。
ダンスの前に外したのか、ジョエルは眼鏡をいつのまにか身につけていない。露になった金色の瞳と目が合う。
「ジョエル様、眼鏡をしなくても平気なのですか?」
「短時間なら、問題ないよ」
「……そうなのですね」
気づくと、エルシーとジョエルはすっかり注目の的だ。周りの夫人や令嬢が、ジョエルを見て頬を赤らめている。
「ジョエル様……きっとこの後忙しくなると思います」
ジョエルは先日隣国から戻ったばかりで婚約者がいないのだ。申し分ない家格といい、この容姿といい、放っておく女性はいないだろう。
「……僕はルーシーと踊れるだけで、それだけでいいよ」
「え?」
ジョエルは金色の瞳を細めて、エルシーを見つめていた。
「ルーシーが助けてくれたあの日から、いつか迎えに来ようと思っていた」
「ジョエル様……?」
「……ルーシー、よく聞いて? 殿下が欲しいのは、君のスキルだけだ」
ジョエルの太陽をすかしたような瞳から目が離せない。エルシーは声も出せずに、ただそれに魅入られていた。
「殿下がこちらに来てから、君はずっと辛そうだ。それに、あの二人を見て、ルーシーもお似合いだと思った、そうだろう?」
穏やかなステップと声に、頭の中に靄がかかるような感覚。
「君に悲しい思いや辛い思いをしてほしくないんだ。頷くだけ、それだけでいいんだよ」
「……それは……」
「決定から日の浅い今なら、まだ引き返せる。君が幸せになる道を選んでほしい」
「しあわせ……?」
ライナスのことを好きになってから、エルシーの幸せは彼の傍で、少しでも力になることだった。
なんの努力も辛い思いもせずに、優秀なライナスの隣に居続けられるなんて、そんな甘い夢は、最初から持っていない。
執務の手伝いも勉強も美容も、ライナスの隣で幸せを掴むためのエルシーができる精一杯の努力だ。
『エルシーを信じている』
ふと、ライナスがくれた手紙に書いてあった一文が頭の中を過った。彼はいつもエルシーに、そうやって手を差し伸べてくれる。
――その手を取って、一緒に笑い合うのは、私でありたい。
「……ジョエル様、私は」
「うん?」
「あなたの言葉に頷くことはできません」
ジョエルは、強い輝きを見せるエルシーのグレーの瞳に、思わず息を呑んだ。
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