28:救出


 ライナスがエルシーに向かって叫んだ瞬間、目の前でこちらに手を伸ばそうとしていたジョイをはじめとする全てのものの動きが止まった。


 ライナスのスキルがエルシーのスキルを感知して、看破したのだ。


 コンコンと床がかすかに音を立てている。ライナスは耳を澄ませながら、邪魔なカーペットを捲った。床を叩く音と、エルシーの小さな声を頼りに床を観察する。


 違和感を感じたところに触れると、床が取り外せることに気づいた。急いで持ち上げると、そこにはエルシーがいる。


「まぶしい……」

「エルシー!」


 エルシーは、暗闇に慣れていた瞳に入ってきた光の刺激に、思わず手をかざす。


 その手を掴み、ライナスがエルシーを助け出して、抱きしめた。


「……無事でよかった」

「殿下……」


 ライナスは、はっとして身体を離し、エルシーの怪我を確認する。腕にいくつかすり傷があるのが見ただけでも分かった。


 焦るライナスとは対照的に、エルシーは思った通り、ライナスがジョイを調べに来ていたことに安堵して微笑む。


「他にも怪我をしていますか!? 早く、医局に……!」

「大丈夫です、それよりも……」


 エルシーは、冷静に周りを見回し、王妃とジョイを見つめた。


「エルシー、ここで待っていてください」

「はい」


 ライナスは、エルシーから離れて、ジョイの元へ歩いていく。そして、彼女の持つ武器を取り上げ、床を滑らせて手の届かないところへ動かした。


 そして、振り返ってエルシーにうなずく。ライナスの合図を見て、エルシーはスキルを止めた。


「あなたは……!」


 ジョイは一瞬のうちに現れたエルシーに目を見張る。やはり、うまくはいかなかった。王妃の願いを叶えられなかった。


 ならば、私のできることは、これ以上の苦しみから王妃を解放するために――瞬時に王妃に視線を向け、ナイフを持っている手を王妃に向かって振りかざそうとして、握っていたナイフが消えていることに気づく。


「あ、あ……」


 身体から力が抜けて、王妃を離して、へなへなとしゃがみ込んだ。王子を殺すどころか、彼女を楽にさせてやることもできない無力感がどっと彼女を襲った。


 ライナスは、カーティスにジョイを捕まえるように合図する。


「ローナ様……」


 王妃は無表情で、うずくまるジョイを見つめていた。その顔が、ライナスに向けられる。


 まるでその動きは魂のない人形のようだった。王妃のそんな顔を初めて見たライナスは目を離す事ができなくなる。


「……ライナス、あなたが死ねば、その分だけ私が生きようと思えるのよ。この世界から、いなくなりたいなんて思ってはいけないの。私は生き続けなければ……あの子や、父や、母の分まで……」


 王妃の醸し出す言い表すことのできない雰囲気に、皆が動きを止めた。王妃は両手で顔を覆い、天井を仰ぐ。

 

「……でも……ごめんなさい……もう無理なのよ……」


 突然、王妃は自身のドレッサーに駆け寄った。そして、無造作においてあった髪飾りを手に取る。


 飾りの反対側の先端部分は、細く尖っていた。


 床にうずくまったままのエルシーは、王妃を止めようと急いでスキルを使おうとするが、疲労と痛みでうまく集中できない。


「母上!」

「ローナ!」


 ジョイとライナスが駆け寄る。あと少しで手が届くというところで、王妃は髪飾りで自分の喉笛を迷いなく刺し貫いた。


 エルシーはあまりの光景に見ていられず、顔を伏せた。


「ローナ! ローナ!」

 

 ジョイは、床に崩れるローナを血まみれになりながら掻き抱く。


 ライナスが、医局から人を呼ぶように叫んでいる。その声はひどく遠くから聞こえた気がした。


 太い血管を傷つけているため、出血が止まらない。ローナの顔色がどんどん青くなっていく。


「ごめんなさい……! 私が、ローナを……楽にしてあげるべきだった……!」


 祖国を追われ、帰る場所と大切な両親を失った。そのときに。


 あるいは、大切な妹を目の前で亡くした。そのときに。


 彼女の幸せを願う言葉が呪いとなり、彼女を蝕む。その前に。


 彼女を大切に思っていたから、自分が一人になりたくなかったから、彼女をずっと苦しめた。


 ローナは苦しそうに呼吸をしながら微笑む。


「ジョ、イ」


 そして、ただ彼女の名前だけを掠れた声で呼んだ。それはとても小さな、彼女たちにしか聞こえないような声だった。


 ◇


 ライナスは、王妃を抱えてうずくまったままのジョイを見下ろしながら、医師の手配を叫んだ。


 呆然としていた従者や騎士が弾かれたように動き出す。


 おそらく話すのが最後になる母親にきちんと理由を話して欲しい気持ちはあったが、無理やり二人から視線を逸らした。自分が割って入るような隙はなかったからだ。


 視線を逸らした先には、顔を伏せたまま、身動き一つしないエルシーがいた。


 駆け寄り、片膝をついて彼女の体を支えようとすると、ライナスの方へ体がかしぐ。


「エルシー?」

「…………」


 体を起こして顔を覗き込むと、瞳は閉じられて、ぐったりしている。声をかけても返事はない。


 ライナスは急いで、エルシーを横向きにして抱きあげ、室内にあった王妃のベッドに仰向けに寝かせた。


 呼吸が問題なくできていることを確認して、とりあえず安堵する。そして、横向きに寝かせ直すと、ところどころ破けたドレスからのぞく肩や腕が赤くなって腫れていることに気づいた。


「エルシー、すまない……」


 届くはずもない謝罪をすると、エルシーの出てきた地下を見に行っていたトレイシーが戻ってきた。


「殿下、下は非常時に隠れるための部屋だったようです。扉の前に荷物が置かれて開けられないようになっていたのを、クルック嬢がなんとかした音が、あの大きな音だったと思われます」

「分かった」


 王妃の部屋の入り口がざわついたのに気づいて目を向けると医局から医者が到着していた。


 部屋の惨状を見た医者は、すぐに王妃の様子を確認して、険しい顔で首を横に振った。ジョイは王妃を抱いたまま動かず、すすり泣いている。


 ライナスは、拳を強く握りしめた。今は悲しんでいる場合ではない。


「こちらの令嬢も診てもらいたい」

 

 ライナスの呼びかけに、医者は今度はエルシーの元へ歩み寄り、一通りの診察をする。


「こちらのお嬢様は、脱水の様子はありますが、疲れで眠っているだけでしょう。怪我や打撲はありますが、骨は折れていませんから、ご安心なされよ、ライナス王子殿下」


 その言葉に、ライナスは詰めていた息を吐き出した。

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