16:一夜明けて


 馬車で王城に戻り、ひとしきり使用人に世話をしてもらったエルシーは、ベッドに入り、顔を顰めた。


「血の匂いが……取れない……」


 すっかり身を清めたはずなのに、なんとなく鉄のような匂いがする。


 あの時は、しっかりしないとと思って、なんでもない顔をして立っていたが、今になって血生臭い光景をまざまざと思い出して、気が遠くなりそうになった。


 自分のスキルのおかげで、遠くから襲撃を眺めるだけで済んだが、あのまま馬車から出られずにいたら、状況把握もできず、もっと怖い目に遭っていたはずだ。


 ダルネルはどうだったのだろう。もしかしたら、明日にはこの騒動が解決して、お役御免になるかもしれない。


 そんな風にとりとめもなく考えている内に、眠りについてしまった。


 明くる朝、エルシーが支度を終え、部屋で朝食を待っていると、扉をノックする音が響く。部屋に残っていた使用人が扉を開けると、そこにはライナスが立っていた。


 慌てて立ち上がり、扉の近くに歩み寄る。


「殿下、おはようございます」

「おはよう、エルシー。気分はどうかな?」

「……良いとは言えないですけれど。大丈夫です」


 昨日の今日で、とても取り繕う気にもならない。正直に話すと、ライナスが苦笑した。

 

「これから、父上と母上に昨日の報告に行かなければいけないので、先に寄らせてもらいました。突然、ごめんね」

「いえ、お心遣い感謝いたします」

「今日のエルシーの予定は全てキャンセルさせたので、ゆっくり休んで。ただ、まだ気を抜くことができなくて、あなたを屋敷に帰すことができそうにない」

「……そうですか。ダルネル様は逃げたのですね……」


 ダルネルが見つからないために、まだ気を抜けないという意味だと理解したエルシーに、ライナスは首を振る。

 

「いや、亡くなったよ」


 亡くなったのに、気が抜けない? ライナスを狙っていた犯人がいなくなったのに、どういうことだ? とエルシーは眉を顰める。ライナスは申し訳なさそうにエルシーを見つめた。


「詳しい話はまた後で必ず」

「分かりました」


 とりあえず、まだ終わりではないのだと理解して、ライナスたちを見送った。


 そして、朝食を済ませると、屋敷に言伝を頼もうと思い立った。今日のスケジュールが終われば、いつも通り屋敷に戻ろうと思っていたので、帰れないのなら、迎えの馬車を出さなくて良いと連絡しなければならない。手近にいた使用人に声をかけると、快く引き受けてくれた。


 予定がなくなったらなくなったで、落ち着かない気持ちになる。けれど、部屋でできることもなく、昨日のことを考えずに無心になれるよう、刺繍に勤しむことにした。ちくちくとひと針ひと針縫っていると、使用人に声をかけられる。


「お嬢様、王妃陛下がお呼びでございます」

「えっ!?」

「心配されていらっしゃるようで、顔が見たいとのお達しです」

 

 エルシーは、急いで片付けをして、使用人と共に王妃の元へ向かうのだった。


 ◇


「エルシー、よく来てくれたわ。急に呼び出してごめんなさいね」

「いえ、お呼びいただき、光栄にございます」

「ほら、そこの席にかけて。お茶やお菓子も遠慮せず食べてね」

「ありがとうございます、王妃陛下」


 ニコニコと優しい笑みを浮かべて、王妃はエルシーに向かいの席をすすめる。案内された部屋は王妃のサロンなのか、観葉植物がいくつか飾られており、日当たりも良く、落ち着く雰囲気だ。


 すでに席に着いている王妃の蜂蜜のようなブロンドの髪と相まって、まるで妖精の国に迷い込んだような気持ちになる。


「昨日のこと、ライナスから聞いたわ。大変だったでしょう」

「はい……。ですが、殿下や護衛の皆様に助けていただいたので、私は何ともございません」

「……強がらなくて大丈夫よ」


 王妃は立ち上がり、エルシーの横に移動すると、椅子に座らせたまま抱きしめた。ドレス越しに暖かく柔らかい感触に包まれる。


「あなたはもう、ライナスの婚約者なのだもの。娘と同じなの。だから、私の前で無理をしなくても良いのよ」

「王妃陛下……」


 人の体温に触れたからか、反射的にじわりと瞳に涙が浮かぶのが分かった。王妃の手が柔らかいエルシーの髪を撫でる。


「怖かったわね……。エルシーもライナスを助けるために手を貸してくれたのよね……?」

「……はい。大したことは、していませんが……」

「ありがとう」


 王妃はひとしきりエルシーを慰めると、体を離して席に戻り、青の瞳を細めていたずらっぽく微笑んだ。


「いきなり抱きしめたりなんてして、ごめんなさい」

「……少しだけ気持ちが軽くなりました。ありがとうございます」

「ふふ、ジョイ、お茶が冷めてしまったわ。いれ直してもらえる?」


 王妃の後ろの方で侍っていた使用人に声をかけると、すっとすぐにカップが取り替えられる。


「ありがとう」


 ジョイと呼ばれた使用人に、エルシーも会釈する。


「ジョイのいれたお茶は、他の使用人のいれるものとは比べ物にならないほど美味しいのよ」


 勧められるがまま、カップを口に運ぶ。香りや味わいは強く感じるのに、口当たりは柔らかく渋みが少ない。茶葉のおいしいところだけを抽出したような味わいだ。


 エルシーは、驚きながらジョイへと目を向ける。顎の辺りで切り揃えたブラウンの髪に、エルシーと同じくグレーの瞳。歳は王妃と同じくらいに見える。


「王妃陛下の使用人は、やはり一流なのですね」

「ふふ、ジョイは私の護衛なの。驚いた?」

「護衛?」

「護衛なのにお茶を入れるのが得意なんて、珍しいわよね」

「ええ、本当に」


 ジョイと目があって、エルシーはこれ以上自分の話をされるのは、彼も居心地が悪いだろうと話題を変える。


「そういえば、ユージン王子は大丈夫ですか?」

「……朝からすっかり塞ぎ込んでいるわ。今はきっと何を言っても聞かないでしょうから、一旦見守ることにしたのよ」

「そうでしたか……」

「大切な人がこの世からいなくなるというのは、とても悲しいことよね」


 エルシーは黙ったまま、頷きを返す。


「けれど、この経験もユージンをきっと成長させるはずよ。大丈夫、あの子も私の息子なのだから、乗り越えてこれからを生きていく糧にしていくことができるわ」


 願うように話す王妃に、エルシーはまた頷いた。

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