04:候補期間
返事をした次の日から、エルシーの王城通いの日々が始まった。寝足りないと、ベッドの中で縮こまるエルシーから無情にも使用人は寝具を取り上げる。
「おはようございます、お嬢様!」
なんとか朝起きたら、使用人に手伝ってもらい、支度をして、馬車で王城へ。
「クルック嬢、今日は隣国とのこれまでの関係をおさらいしながら、歴史の知識を深めてまいりましょう。隣国に関しては、すでに学んでいらっしゃいますか?」
「家庭教師から一通りは……。ただ、未熟かと思いますわ」
「いいでしょう。では、遡ること――」
午前中は言語や歴史の講義を受け、
「今日は西方の国の食事のマナーを指導させていただきます」
お昼は、交流のある国々の作法や所作を学びながら済ませ、
「眠くなる時間は、ダンスをいたしましょう! さあ、今日はこちらの曲に合わせて――」
食後の休憩の後、ダンスレッスン。
その後は、日替わりで音楽や芸術、刺繍の練習などその内容は多岐に渡る。そうして、その日の全てのカリキュラムが終わると、授業課題をするために、王城の資料室に籠るのだ。
エルシーは、元来真面目な性格で、建前上の役割だとしても、できる限り完璧にこなそうと努力していた。
「エルシー、今日もがんばっていますね」
「殿下、ごきげんよう」
「えぇ。今日は、歴史のレポートですか。そのテーマであれば、ちょっと待っていてくれるかな」
ライナスが資料室の本棚の奥へと消える。しばらくして、いくつかの本を抱えて戻ってきた。自然な動作で、エルシーの隣の席に腰掛けて、レポートに使えそうな部分を探す。
エルシーはレポートを書く手は止めず、ライナスに話しかけた。
「毎日お忙しいでしょうに、手伝っていただいてしまって申し訳ありません」
「いえいえ。手伝うと言ったのは私です。それに、この講義もとうの昔に終えていますから」
「ありがとうございます。今日も助かります。なんとか夕方には終わりそうです」
一旦手を止めて、エルシーは笑顔を向ける。最初こそ、自分を脅してこんな状況に巻き込んだ悪魔のような男と恨んでいたが、教育期間が始まってから欠かさず毎日、様子を見にきてくれるライナスに、少しだけなら許してもいいかと思えるようになった。
「それはよかった」
そこで言葉を切ると、ライナスは、紙を押さえるために机の上に置かれていたエルシーの左手に自分の右手を重ねて、軽く指を絡める。
「大切な婚約者の役に立ち、さらに一緒にいる時間を増やせるのだから、すっかり私はこの時間が楽しみですよ」
「……えぇ! 私も殿下と過ごせて、嬉しいですわ……」
婚約者の演技をしつつ、エルシーが左手をさりげなく動かして、離してと目で訴えるのを、ライナスは気づいていないふりをした。こうやって毎回、異性との触れ合いに免疫のないエルシーを揶揄ってくるのだ。エルシーは、溜息を我慢して、笑顔を作る。
「あの……殿下、なんだか書きづらくて……離していただけませんか?」
「ああ……つい……。私の婚約者が愛らしいもので……」
思ってないですよね?とエルシーは周りに気づかれないよう、手を離したライナスを軽く睨む。真っ赤な顔でそんな顔をしてもライナスを逆に楽しませるだけなのだが、エルシーは全く気づいていなかった。
最初の頃はそんなに誰も見ていないから、婚約者の演技は必要ないのではと小声で反論していたエルシーだったが、ライナス曰く、この時間のおかげで、二人は仲良しと王城では専らの噂らしい。見られていないと思っていても、どこかから密かに見られているらしい。
エルシーの辿々しい演技に、ライナスは片手で頬杖をついたまま、楽しそうに目を細める。エルシーは、そっぽを向き会話を切り上げ、レポートを再開した。
「殿下、こちらでなく、あちらをご覧ください」
手を止めずに、左手で自分と反対方向を指さして示す。ライナスは片眉を上げて、右手でエルシーの書くレポートを指し示した。
「……あ、そこ、間違えているよ」
「えっ」
「ほら、エルシーを見ていたほうがお互いにとっていいでしょう?」
「うう……」
小一時間ほど手伝ってもらって、ライナスが退室するのを見送ってからレポートを終わらせ、日が暮れる頃には屋敷から迎えがくる。そして、自分の部屋に戻って倒れるように眠り、また朝が来るのだ。
そんな生活が二週間過ぎ、王子の命が狙われているとは思えない平和な生活に、全部が夢だったんじゃないかとエルシーが思い始めた頃。
いつものようにエルシーの手伝いに来たライナスは、明日は授業は休みだと告げた。
「なぜです? 先生たちも何もおっしゃってませんでしたが」
「私が口止めしていましたから。明日は、ここで夜会を開くんです」
「ということは……」
ぎぎぎ、と、エルシーは首を動かし、顔を顰めてライナスを見つめる。ライナスは、ニコニコと笑いながら、
「おや、察しがいい! 私の大切な婚約者のお披露目です」
なんて、爆弾発言を落とすのだった。
「なぜ前日に言うんですか、殿下!?」
殿下じゃなかったら、相手の両肩に手を置いて揺さぶっていたと、エルシーは両手を握りしめる。
「前々から言っておいたら、緊張とプレッシャーで潰されてしまうかと。緊張しやすい、と手紙に書いてあったので」
「ドレスとかどうするんですか!?」
「初日に計測したの忘れてしまいましたか? もう全ての準備は終わっていますから」
ライナスの言葉に、候補期間一日目の怒涛のスケジュールを思い出そうとするが、ここまで忙しすぎたせいかすっかり記憶が曖昧だ。特に一日目は慣れていないために、午後はへとへとだったせいかもしれない。
「覚悟を決めてくださいね。私がしっかりエスコートしますから」
「ワァー、ウレシイデス……」
やっと見慣れてきたライナスの顔を半ば放心状態で見つめながら、エルシーは明日に思いを馳せるのだった。
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