母親
今更だけど、野田も学校に行ってないのな」
「もっと大切なことがあるからね。元から学校なんて好きじゃないし」
仁と野田は最低限の装備だけを懐に隠し、長田茂から聞き出した飯島ジュンゴと進藤トモヤの家へと向かう。しかし現地に着くと表札には全く関係ない名前が書いてあった。
「‥‥あいつ、騙しやがったのか」
「まだ決めるのは早くない? チャイムを押して確認しよう」
野田はインターフォンを鳴らす。出てきたのはやはり全く関係のない老人だった。仁はやられたと思った。殺意に支配され、あの時冷静に物事を考えられなかった結果がこれだ。普通に考えたら予想ができたことだった。
「長田茂の家に行く?」
仁は考える。あんな出来事があって未だあの家に帰るだろうか? 自分が長田茂の立場だったら仲間の自宅にでも泊まる。そう考えると無駄足な気もする。
「無駄だろうな多分。‥‥悪い、これは俺のミスだ」
あまり昼間にウロウロしていることも良くない。住民の目に止まるし、警察の目にもつくだろう。「君たち学校はどうしたの?」なんて言いながら近づいてくるのは目に見えている。
ーーその時、見知らぬ電話番号からの着信が仁に入った。非通知の設定で書いてある。気になり着信に応じると男の声にノイズがかかっていた。
「‥‥白石仁ですか?」
「‥‥そうだけど」
ノイズが大きく、元の声が全くわからない。それでも自分の名前を知っているということは知り合いの可能性は高い。
「今村朱理の仇が取りたくないですか?」
どうしてこいつは朱理のことを。このことを知っているのは今の所限られた人間のはず。
「‥‥お前誰だ」
「そんなことはいい。奴らを殺すつもりなら協力する」
スピーカーにしている為、目の前の野田にも聞こえている。野田は小さく頷いている。その表情は話に乗っておけと言っていた。手がかりがない今、話を聞いてみる価値はある。実際の所、罠でなければこいつの正体などなんでも良いのだ。
「どんな協力だ?」
「‥‥奴らの居場所を教える」
「既に一人の家は知っている」
電話の奥の人物は数秒黙り込む。そして小さく笑った。
「‥‥何がおかしい」
「とにかくまた連絡する。このスマホは常に持ちあるいていてください」
そして電話は切れた。いったい誰だったのか仁には想像もつかなかった。
「‥‥どう思う?」仁は野田に尋ねた。「電話を待つしか無くない? 無駄に動く手間も省けるし」その通りだとは仁は思った。しかし罠で仁達をおびき寄せようとしている可能性も考えられる。
「全部でまかせの嘘っぱちだったら?」
「そしたらその時考えようよ。なんか低姿勢なやつだったし私は大丈夫な気がするけど」
結果次の連絡を待つということで、野田の自宅に戻ることに二人はした。
自宅に着いた仁は、一旦三峰に連絡を入れることにした。警察の捜査の進捗を確認しようと思った。
「今、大丈夫ですか?」
「仁くんだよね? 今は一人だから大丈夫。何かあった?」
相変わらず三峰は優しい女性だと思った。同情してくれてるのかもしれないが、こうして話を聞いてくれているだけでありがたかった。
「犯人の手がかりは見つかりそうですか?」
三峰は何も言わない。仁に言おうか悩んでいるのだろうか? 悩んでいるということは何かしらの手がかりを見つけている可能性が高いと仁は考えた。
「仁くんは安心して。犯人はもうすぐ捕まえるから。朱理ちゃんの無念は絶対に警察が責任を持って晴らすから」
「‥‥そうですか。安心しました」
そして仁は着信を切った。間違いない。捜査は進展している。なにか手がかりを見つけている。さっきの人物からの連絡が仁には待ち遠しかった。
「‥‥冷静になりなって。白石、朱理のことになると人が変わりすぎだよ」
野田は仁をなだめるように、暖かいコーヒーを差し出してきた。そのカップには小さなクマが描かれていた。それがなんだか仁には意外だった。野田もこんな可愛いものを揃えると思うと、普通の女の子の一面もあるんだと思った。
その時、棚の上にひっくり返された写真立てがあることに気がついた。自分には見られたくないものなのだろうか? 別にそれをわざわざ見ようとはしないが、少し気になった。
「‥‥あの写真は?」
「写真? ‥‥あぁ、あれね」
仁は野田の表情が曇ったのがわかった。知られたくないものだったのだろう。これ以上は詮索するのはよそうと思った。
しかし野田は「別にいいか」とつぶやき、写真を仁に手渡した。そこには楽しそうな表情の三人の家族が写っていた。夫婦の間にいる小さな女の子はクマのぬいぐるみを抱え、写真だけで幸せな家庭だと想像できた。
「まぁ、わかると思うけどこれ私の家族。これ私」過去を懐かしむような表情を野田は見せた。その表情は普段の野田は見せないような幼い顔だった。「小さい頃、両親は事故で死んだの」
高校生の一人暮らしをしている時点で何かあるとは思っていた。仁は自分も両親の離婚を経験をしているが、母親が精一杯育ててくれているのを目の前で見てきた。しかし、目の前の少女は一人だったのだ。普通の子供が両親から貰い続ける愛を、彼女は小さい頃に失っていたのだ。
「未成年の無免許運転だったの。犯人は大した罪に問われず、今はきっと何事もなかったように暮らしてるんだろうね」
かける言葉が仁には見つからなかった。きっとこんな時にかける言葉に正解なんてない。理解してやるフリは出来るだろう。しかし理解できるはずはない。野田は同情をして欲しくて話したわけではないだろう。
仁は野田はこうした経験をして、人と関わることをやめたのだと思った。
「正直。生きてることが辛かったんだよね。世の中に一人、みたいな? 強がってたけど多分周りの人たちが羨ましくて、そして憎かった」野田の言葉を仁は黙って聞く。「でも、朱理と出会ってからは楽しかった。私の勝手な押し付けなんだけど。おねぇちゃんがいたらこんな感じだったのかなって思ってた。お節介で、面倒見が良くて‥‥」
野田の声は次第に震え、言葉に詰まる。仁はカップの中のコーヒーに視線をやる。
「‥‥だから絶対に許せない。犯人は法で裁く程度のことじゃ甘い。殺してやらなきゃ」
声色から確かな覚悟が聞いて取れた。自分と同じだと思った。親近感というわけではないが、野田のことを信頼していいと仁は思った。
仁はこれまで自分は不幸だと思って生きてきた。しかし、それは失礼だったのだと気づいた。人の気も知らず。そんな言葉が自分の人生にはお似合いだと仁は自嘲気味に笑った。
「野田。うちに来ないか?」
「‥‥え?」
今日は仁の母親は休みだった筈。きっと母親も喜んでくれると仁は思った。どうせ連絡が来るまではやることはない。正直いてもたってもいられないのは事実だが、すぐに周りが見えなくなるのは自分の悪い癖だと思う。
それなら形だけでも日常に戻り、気持ちを落ち着けるのも悪くないかもしれない。仁は状況の理解できていない野田を連れ、自宅へと向かう。時間はすでに高校生の下校の時間を過ぎているので外を歩いていても怪しまれることはないだろう。
母親には予め連絡をしておいた。友達を連れて行くと。
「ねぇ、やっぱりやめない? どう考えてもおかしいって! なんで私があんたの家に!」
「いいから。泊めてくれたお礼だよ」
自宅に帰ると、母親が出迎えてくれた。嬉しそうに野田に駆け寄っていく。
「あなたが仁が言ってた花ちゃんね! 友達って聞いたけどまさか女の子を連れてくるなんて流石私の息子」
野田は仁の母親の勢いに押されているのか、戸惑っているように見える。想像だにしない歓迎ぶりに慌てているのだろう。野田のあんな焦っている表情は初めてみた。山の中でガラの悪い連中がうろついてる時もあんな表情はしてなかった。
「の、野田花です。‥‥お邪魔します」
「そんな改まらなくていいの! 晩御飯食べていくわよね? できたら呼ぶから仁の部屋でくつろいでなさい」
仁はオロオロしている野田を連れ、自室へと向かう。
「‥‥なんかアンタの母親には見えない」
「はは。よく言われる」
野田は一度入っているから仁の部屋は落ち着くのか、入った途端にすぐ腰を下ろした。考えてみると朱理を家に入れたことはない。朱理の母親には付き合っていることを話していたが、仁の母親には言ったことはない。
朱理が「恥ずかしい。まだ心の準備ができてないんだもん! 失望されるよきっと!」と言っていたが、仁自身としてはそんなことは絶対にないと思っていた。そうなるとそもそも家に誰かを入れているのは初めてなのかもしれない。彼女はおろか友達を入れたことすらなかった。
「‥‥どうして私を連れてきたの? 同情でもしてくれちゃった?」
「なんだろうな。ご飯は大人数で食べたほうが美味しいかなって思っただけだよ。これを同情ととるかはお前の自由だよ」そう仁が言うと野田は笑った。
「あんたらしい。朱理はそういうところが好きだったんだよきっと」
「どうかな」
仁自身、本当に野田にはとても感謝をしているのだ。一人でいたらきっとここまで立ち直っていない。あの場所で長田茂を殺し、すでに仁は警察に捕まっていたはず。飯島ジュンゴと進藤トモヤを殺すこともなく終わっていただろう。
「俺も小さい頃、両親が離婚してるんだ。それからずっと母さんと二人。俺のことを頑張って育ててくれた」
「少しだけ話しただけだけど、いい母親だと思う」
仁は自分が犯罪者になったら迷惑をかける。そう言おうとしてやめた。きっと野田は言わなくても理解をしているようだった。ふと窓の外に楽しそうに歩く学生達が見える。きっと自分はもうあそこに戻ることは出来ないだろう。復讐を達成しようがしまいが戻れない。仁はそう思った。
「連絡いつくるんだろうな」
この空気が仁には耐え切れず、思わず話を逸らす。家族のことを話されるのはどうもむず痒い。
「いつするか言ってなかったからね。今は待つしかないってことだよね」
ーーその時、ノックの音が聞こえてくる。そこには嫌な笑顔の母親が立っていた。
「ご飯できたわよ! お母さん、花ちゃんには色々話聞きたくて! 楽しみだわ」
野田は仁のことを見た。どうも助けを求めるような表情に見えるが、戸惑う野田を見ているのは案外悪くはないので、しばらくは仁も楽しませてもらおうと思った。
リビングには普段では出てこないような、豪華なおかず達が並んでいる。母親は完全に張り切ってしまっている。四人掛けのテーブルに母親と向き合うように仁と野田は腰をかける。
「遠慮なく食べてね!」
「い、いただきます」
野田はこういうのは慣れていないのか、大量のおかずのどれに手をつけていいのか迷っているのか箸が迷子になっている。
「ねぇ、どっちから告白したの?」
「‥‥は!?」
母の突然の質問に思わず仁が大声を出してしまった。これまでの母の言動と、笑顔の意味が仁にはようやく理解できた。どうやら野田のことを彼女だと勘違いしているらしい。
「付き合ってないから。友達だって言っただろ」
「えぇー。そうなの花ちゃん?」
野田は仁の方を不思議な視線で見てくる。野田には朱理と付き合っていたことを、母親には言ってないと伝えといた方が良かったかもしれない。
「ええと‥‥はいそうです」
野田はゆっくりと手探りで答えを探すように言った。
「えぇー。じゃあいつ付き合うの?」
「‥‥付き合わねぇよ! そういうんじゃないから!」
「ごめんねぇ花ちゃん。うちの子意気地なしみたいでー」
ーー仁は諦めた。きっと何を言っても意味がない。とりあえずはなんでもいいと、今は食事に集中することにした。野田もだんだん慣れてきたのか、母親との会話も自然になってきている。しかし、だんだんと野田の声が震えていることに仁は気づいた。
「は、花ちゃんもしかして口に合わなかった!?」
野田は涙を流していた。雫はポタポタとテーブルの上に溢れ落ちる。
「違います‥‥。すごく美味しいんです‥‥」仁には涙の理由がわかった。野田にはこうして少しでも家族らしいことをしてやりたいと思った。だから突然家に連れてきた。仁のただの自己満足だが、朱理が大切にしていた友達を放っておくことは出来なかった。
母親も野田には何かあるとわかったのだろう。優しい笑顔でテイッシュを差し出した。
「たくさんあるから遠慮なく食べていってね」
「‥‥はい。ありがとうございます」
野田の家族の代わりとはいかないだろう。それでも仁に思いつくことはこんなことだった。
野田は泣き止み、楽しそうにご飯を食べていた。うちの母親も娘が欲しかったと前から言っていたので、「娘ができたみたいで嬉しい」と言っていた。仁もいつもは一人でご飯を食べることも多く、こうして賑やかな食卓は楽しかった。
ーー束の間の幸せ。そんな言葉が似合うと仁は思っていた。
そして夕飯を食べ終え、食器の片付けを野田が手伝っている。とんでもない量の夕飯はみるみるなくなり、あれだけの量がまさか無くなるとは仁は思ってもみなかった。野田が想像以上に大食いで、どんどんとお皿を空にしていったのだ。
「食器洗いも手伝いますよ」
「いいのよ。花ちゃんはうちの子の相手でもしてあげて」
「すいません。お言葉に甘えます」
仁と野田は再び部屋へと戻る。心なしか野田は嬉しそうにしているように仁の目には映った。
「白石、ありがとね」
「なんだよ急に」
「ううん。別に。なんとなく言っておきたかっただけ。朱理がアンタのこと好きになった理由がなんとなく分かった」
「そっか」
仁も久しぶりに食べ物を美味しいと思ったかもしれない。今、仁にとって野田の存在が支えになっているのは間違いはなかった。安心したのか、仁は途端に眠気に襲われた。野田が寝ていいというので甘えることにして、静かに瞼を閉じた。
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