日々の語り
柊木ふゆき
帰省
お題:墓参り 立ち回り レア度
ジャンル:現代ドラマ
私の母方の実家は奈良の山手にあって、夏には墓参りのために家族総出で訪れる。父は婿養子で親がないため、私たちの唯一の祖父母が住んでいる。母は三人姉妹の末子だ。二人の姉のうち真ん中の姉も結婚して子供が五人もいる。長姉は海外で働いており未婚のため、会わせる孫もおらずわざわざ盆に帰ってくることは少ない。私と妹の
真ん中の姉、
私はたかくんと同じ歳の二十四で、梨沙はただくんの二つ下で十九だ。盆に休みの取れないよしくんはここ数年墓参りに来ない。年末年始の休みは父方の実家に行くのが常で、彼ともしばらく会っていない。
祖父母の家へ向かう時は車を使うのだが、働き始めてからは私が毎年運転している。はじめて私が運転して行った時は、山を囲むように走る道を運転するのはすごく怖かった。その話を聞いた芳子おばさんは声をあげて笑った。
私たちが祖父母の家へたどり着くと、すでき芳子おばさんのバンが泊まっていた。黒の七人乗りの大きな車で、上の二人が巣立った後も愛用している。それとは別にグレーのレンタカーらしき車がその後ろに停まっているのが見えて、私は「あれ?」と思わず声を上げた。
「誰か来てるん?」
祖父母は車を持っていないし、免許も返納している。
「なに?」
母が後部座席から身を乗り出して言う。
「しらん車おるで」
私はレンタカーを指し示す。すると母は座席に身体を戻して納得したように言った。
「姉ちゃんのやな」
「芳子おばさんのは黒いのやろ」
「ちゃうよ。
貴子ねえちゃんとは長姉のことだ。
「え、貴子おばさん来てるん?」
梨沙が弾んだ声を出す。彼女は貴子おばさんが大好きなのだ。中学のころに会ったきりだが、彼女の影響で梨沙は外国語大学に通っている。
「お母さん知ってたん?」
「いや、聞いてない」
私たちは車を止めて広い土間に入った。犬のさくが迎えてくれる。雑種のこの逞しい犬はもう十歳になるのだがまだまだ元気だ。梨沙は私の後ろに隠れるように家に入った。さくは喜ぶと飛びかかってくるのでそれが怖いのだ。
「いらっしゃい。遅かったね」
祖母が建て付けの悪いガラス戸を開けて出てくる。あきちゃんがその隙間から顔を覗かせてニコッと笑った。
「お母さん、貴子ねえちゃん来てんの」
「そうやで、今年は仕事暇やねんて、おととい突然よ」
祖母はそう言って笑う。
「お母さんかて買い物とかあるんやから、早よ言うてくれたらええのに」
母が呆れ顔で言うと、祖母はにこにこと笑みを湛えたまま
「お母さんのこと心配してくれんのは唯子だけやわ」
と返すので、母も満更でもない様子で不満を述べるのをやめた。
土間を上るともはや物置となっている中途半端に広いスペースがあり、曇りガラスの両引き戸の向こうが二間の居間になっている。住んでいるのは祖父母だけだが、毎年二度こうやって家族が集まるので、ソファやテーブルは大きなものを置いていた。それでも足りないので、奥の間にも折りたたみのテーブルが置かれ、大抵子供達はそちらに座る。
今のソファはすでに芳子おばさん夫婦とその子供たちが占領しており、貴子おばさんは奥の間のテーブルに一人座って昼間からお酒を飲んでいた。
「あれ! よしくんおにいちゃんもおるやん!」
梨沙が嬉しげな声をあげる。今のソファの真ん中を陣取っていたよしくんが手をあげて応えた。梨沙だけはよしくんのことをよしくんおにいちゃんと呼ぶ。あきちゃんが生まれるまで梨沙が末っ子だったので、可愛がってもらったのだ。だから梨沙はよしくんのことも大好きだった。
「ふたりともおるんか。レアやなあ」
「こどもが生まれまして、育休もろたんです」
「男も育休取れるんか」
よしくんはお父さんのお気に入りでもある。彼は父と同じ営業職で、愛想が良く気が回る。
「奥さんは?」
母の問いに答えたのはよしくんではなく芳子おばさんだった。
「ただと子供連れて川行ったわ」
「大丈夫なん?」
「ただおるからいけるよ」
お母さんは芳子おばさんの隣に腰を下ろした。
「ただ、意外と子供好きなんよ」
「桃できて一番喜んどったんあいつやったなあ」
よしくんが言うとみんなわっと笑い声を上げた。
「あきちゃんのこともよう面倒見とったわな」
よしくんを中心に話し込む面々を尻目に、私はおばあちゃの側によった。
「なんか手伝うことある?」
「ええよ、あんたも話しといで。久々やろ」
「私はええよ。なんかやるで」
「じゃあ一緒におにぎり作ってくれる?」
台所は土間を挟んだ向こうにあった。祖父が作った簀子の橋を渡って行く。広いキッチンでダイニングテーブルもあるのだが、ここで食べる人は誰もいないので、テーブルの上にはいろいろなものが置かれている。みずや深みのある茶色の大きなものだ。設備は古い型のガスコンロだが、祖母には使い勝手がいいようである。
台所の隅では祖父がむっスリとした顔で鍋をかき混ぜている。豚汁だろう。祖父の料理は豪快で、具材はどれも大きくて、ときどきとんでもないものが入っている。一度カレーにシシトウを入れられた時は、さすがにこっそりと残した。
「おじいちゃんこんにちは」
祖父はこちらをむいて「おう」と挨拶をすると、またそっぽを向いてしまう。
「梨子ちゃんお手伝いしてくれるんよ。ほんまええ子やわ」
祖父は反応しない。いつものことだ。だから祖母も気にしていない。祖母は相手が話を聞いてなくてもお構いなく話し続けるのだが、それは多分なこんな夫とずっと過ごしてきたからだろう。
私はダイニングテーブルに座って祖母とおにぎりを握り始めた。祖母は素手で握っているが、私はラップを使う。中身は梅としゃけとおかか。しゃけはわざわざ祖母がせっせと焼いたのをほぐしたものだ。
「梨子ちゃんお仕事どうなん」
「普通よ」
私は小さなメーカーの事務をしている。従業員がそれほど多くないので、事務といっても業務範囲が広く、車を走らせて客先へ向かわされることも時折あった。偏屈だがおもしろい社長のことが私は気に入っている。給料は低いが休みは取れるし、不満はない。
「梨沙ちゃんはお勉強どう?」
「留学したいけどお金ないから短期しか行かれへんて拗ねてたわ。お母さんはあんた自分でお金貯めて行きなさいよって」
「かわいそうに。おばあちゃん出したるよ」
「お母さんが絶対あかんって言うよ。あの子おばさんの住んでるところに行きたいんよ」
「梨沙ちゃんは貴子のこと好きやもんね」
「そうやね。卒業して働いてからワーホリ行こうかなって言ってたわ」
「ワーホリってなに?」
「ワーキングホリデーって言って、一年くらい海外で働けるんよ。若いうちだけやけど」
いまごろ梨沙は貴子おばさんにその相談をしているだろう。貴子おばさんは祖父に一番よく似ていて、そっけないし忖度しない性格だが、相談にはしっかりと乗ってくれる。私も進路や就職に悩んだ時、お母さんに相談するよりもおばさんに電話した。
「貴子も子供おったらねえ」
祖母はためいきをついた。
「ほんまにしっかりした子なんやけど、しっかりしすぎなんやね。男の人にはちょっと可愛げないんやろなあ」
「でも貴子おばさん美人よ」
「美人やから余計なんよ」
貴子おばさんは美人じゃなくてあれほど仕事ができなかったとしても、結婚はしなかったんじゃないかとおもったが、私は黙っておいた。祖母のことは大好きだ。裏表がなくてお人好しで、決して人に悪意を持たない。恨みや妬みとは無縁の人だ。それに身内に甘いので、私たち孫はずっと甘やかされてきて、祖母を嫌いな子なんていない。それでもときどき、祖母のこういう発言に私はショックを受ける。生まれ育った時代の価値観の違いなのだろう。本人にそれを言うわけではないし、子供や孫の世代との間に深い溝があることもわかっているので、理解はできなくても好きなようにさせてくれる。長姉が非常に語学に優れてていると気付いた時も、祖母は迷わず大学と留学の費用を工面してその道に進ませた。そんな祖母でも、昔の価値観からは抜け出せないのだ。
もしかしたら、祖母は寂しいのかもしれない。孫がいれば、もっと頻繁に帰ってきてくれただろう。
「梨子ちゃんは彼氏おらんの?」
「おらんなあ」
「まだ若いからね。いい人おるよ」
私が六つ目のおにぎりを握り終えた頃、貴子おばさんが台所に顔を出した。私が顔をしばらく見つめて、祖母に向かって言った。
「ねえお母さん、なんかおつまみない?」
「あんたはまた昼間から飲んで。あとでお墓参り行くんよ」
「わかってるよ。あ、おにぎりあるん。ひとつもらっていい?」
祖母は梅のおにぎりを差し出す。
「あんた、梨沙ちゃんに飲ましたらあかんよ」
「ありがとう。わかってるよ」
貴子おばさんはおにぎりをもらうとそそくさと部屋を出て行く。去り際におにぎりを持った手をあげて、私に少し微笑んだ。祖母は私の握ったおにぎりを渡したのだ。
「やっぱ子供おらんからやわ。若い頃から全然変われへん。妹らはおとなしなったのに……」
しばらくして、貴子おばさんがおにぎりを食べているのを見た芳子おばさんが、残りのおにぎりを強奪しにやってきた。彼女の家は男ばかりなのであっという間に食べ尽くしてしまうだろう。祖母は他にもいろいろと料理を作ってくれるが、そのことを思うとなんだかいたたまれない気持ちになる。食べてもらえるのが幸せなんて人もいるが、私からすれば何時間もかけて作り上げたものが目の前であっという間になくなってしまうのはなんだか虚しいことだった。
「あんたこんなところにおったん。辛気臭いなあ」
芳子おばさんは私を認めて言った。そういうのがいやだからこっちにいるのだとは口が裂けても言えまい。
「あんたらと違って梨子ちゃんはお手伝いしてくれてるんよ」
「おにぎりなにあるん?」
呆れた祖母の言葉には耳を貸さない。彼女は私に訊ねた。
「しゃけと梅とおかか」
「しゃけと梅とおかかなあ」
「もうできるから盆ごと運び。ちょっとは手伝いなさいよ」
祖母はおばさんにおにぎりの乗った盆を押し付けた。窯の中にはまだあと二つ作れるくらい残っていたが、もう盆はいっぱいだった。
「お前これも持っていけ」
祖父が豚汁の入った鍋を持たせようとしたが、盆で手が塞がったおばさんは「見たらわかるやん。あとで取りにくるから」と言って一旦部屋を出た。再び戻ってきたのはおばさんではなくたかくんだった。
「おばあちゃんどれ?」
「はいはい。これよ」
鍋を持つとお椀が持てないので、私はたかくんについて居間へ食器を運ぶ。戻ってくると、祖母はテーブルの上を片付けながらふうと息をついた。
「息子にこさせて、ほんまにあの子は」
祖母がシンクに釜を置く。台所の窓に人影が映り、私たちはそちらに視線を向けた。玄関の引き戸が開く音がして、女性の声が響いた。
「ただいまかえりましたあ」
よしくんの奥さんだ。居間の引き戸が開き、総出で迎えに出る。
「ちっちゃいなあ!」
母の声が台所まで聞こえてきた。
よしくんの奥さんには何度か会ったことがある。結婚式と、その年の正月の挨拶で。穏やかなよしくんにぴったりの朗らかな女性だ。窯を洗おうとしていた祖母は、慌てて玄関へ向かった。
残った私は代わりに洗い物をしようとしたが、祖父に
「お前も行っといで」と言われ追い出されてしまった。
みんなはすでに居間に戻っていた。L字のソファの端に赤ちゃんを抱いたよしくんの奥さんが座り、その隣によしくん、よしくんのとなりにただくん、あとのみんなは机のそばに立ったりしている。梨沙もその中にいるが、貴子おばさんだけは奥の間でテレビを見ていた。
誰も私が入ってきたことには気づかない。私は彼らのそばを通り過ぎて、貴子おばさんの向かいに座った。おばさんは私を一瞥してまたテレビへ視線を戻す。テレビではお盆の帰省ラッシュのニュースが流れている。
「梨子、赤ちゃん見た?」
私にやっと気がついたらお母さんが言ったが、私は聞こえていないフリをした。お母さんはそれ以上私に声をかけなかった。
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