第8話 眉間に皺寄るスーパーヒーロー


「我の居所に招待しようか」


 ドリアーデ辺境伯の言葉は、すぐさま実行された。


 大袈裟な旅支度は必要ないと付け加えた彼は、とんでもない手腕を発揮して翌朝すぐの出発を可能にしてしまったのだ。


 『微妙な修繕リペア能力』を持つレーナは、ヒロイン聖女と認定されかねない。だからゲーム本筋に関わるのは、絶対に遠慮したい。彼女が求めるのは推しの最高神リュザスだけだから、他の攻略対象に近付きたくもない。面倒な試練イベントも、ゲーム本筋に関わる恐れがある地雷案件だ。だから、攻略対象に近い血筋である彼からの申し出をなんとか煙に巻きたかったレーナだが……。


 事態を理解しきらない父娘は、辺境伯軍に所属する20人ばかりの集団に恭しくも速やかに案内されて、日の出とともに天を駆る大型飛獣スレイプニルの引く馬車に乗せられた。陸路なら脱出も出来ただろうが、さすがに空路では大人しくしているほかない。更に馬車は驚くようなスピードで天空を駆けて、太陽が傾き始めるころには目的地へと辿り着いた。


「ようこそ、我がシュルベルツ領へ」


 使用人によって馬車の扉が開けられると、ドリアーデ辺境伯が景色を紹介するように片腕を広げてみせる。その背後には峻嶺が間近に迫り、緑豊かな景色が広がっていた。どこまでも平野と畑が広がり、王国の穀物庫とも呼ばれるプペ村周辺とは別世界だ。ドリアーデ辺境伯の治めるシュルベルツ領は、険しい山を挟んで隣国と接する要所であり、そこを守護する彼ら一族は『王国の盾』と呼ばれている。


 そして、精霊姫ドライアドと結ばれて生まれた一族の伝承を裏付けるように、領主一族はもれなく美形だ。――と、ゲームの設定には有った。


(うーわぁー……)


 シュルベルツ領主館へ一歩踏み込んだ途端、レーナの目に映ったのはズラリと居並ぶ美しい使用人らの姿だった。採用条件に容姿端麗の必須条件があるのではないかと思う程のレベルの高さだ。


「ようこそいらっしゃいました」


 ぽかんと大口を開けた父娘に、執事を名乗るロマンスグレーの男が胸に片手を当てて、恭しく頭を下げる。


 目の前の執事をはじめ、使用人らの顔面偏差値の高さに圧倒されて、レーナと父は言葉もでない。


(精霊姫の血を引いてるのって、領主一族だけじゃないの!? ナニコレ、落ち着かない~!)


 やはり現実として生きるのと、ゲームとしてプレイしているのとでは違う。想像外のことが起こりすぎると実感するレーナだ。


「レーナ! 問題ないぞ!! やっぱりレーナが一番だ! 可愛さが尊すぎるレーナには、不埒な奴なんかに指一本触れさせたりしないからな! 安心しろっ」


 父が、 娘の愛らしさを再確認して力強く応える姿には不安しかない。レーナは、曖昧な笑顔で相槌を打ちつつ、キョロリと周囲を見回した。


 歴史ある博物館のアプローチに似た、広い玄関ホールの奥に存在感を示す大階段。それは、丁度一階と二階の間に作られた踊り場で左右に分かれて、優美な曲線を描きながら上へと続く。ステージのようにも見える広々とした踊り場の壁には、初代ドリアーデ婦人である精霊姫だろうか、美女を描いた絵画が飾られている。彼女は桃色の小花がいくつもついたネリネの花束を抱えて幸せそうに微笑んでいた。


(確かネリネの花言葉は「幸せな思い出」「また会う日を楽しみに」だったわね。満足げに微笑んでるわけよね)


 レーナが可憐な美女の絵画をぼんやりと眺めていると、すぐ傍から声が響いた。


「慣れない移動で疲れたであろう。客室でゆるりと休むがいい。今宵の晩餐で会おう」


 レーナらと共に屋敷へやって来たドリアーデ辺境伯が、一段とキラキラしいかんばせを見せつけて来る。


(美形が続くのも、うんざりするものなのね……。初めて知ったわ)


 むむ、と眉間にしわを寄せて彼を見上げたレーナに、ドリアーデ辺境伯は「おや」と器用に片眉を持ち上げる。


「ふむ。我が館において、そのように潰れた蛙でも見るような顔をする者も珍しいな」


 からかう口調ではあったけれど、それを聞いた使用人らは、気配をざわつかせる。お高くとまって距離を置かれ、ツンと冷えた感覚だった雰囲気が、一気に珍獣を見るソワソワしたものに変わった。


(なんで?)


 首を傾げたのは父も同じだったようで、親子は互いに顔を見合わせるのだった。







 使用人らの間に流れた奇妙な雰囲気の原因は、そのすぐ後の晩餐の場で知ることが出来た。


「お前か! 父上たちに、踏みつぶした毛虫以下を見る目を向けた、ウワサの娘は! カケラでも審美眼を持ってれば見惚れる顔なのに……。お前、凄いな!!」


 レーナと父が晩餐室へ入るや、先に着座していた少年が弾む気持ちを抑えきれないのか、頬を上気させて声を上げた。ヒーローを見るキラキラした視線を向けて来る少年に悪意はないのだろう。けれど、何とも言えない微妙な気持ちになる褒め方だ。


(しかも、この子――攻略対象よね!)


 レーナが声の主を改めて見れば、ドリアーデ辺境伯と同じく緑の髪と、エメラルド色の瞳の少年だった。家族だと紹介されなくともわかる、精霊姫ドライアドの血を引くことで現れた特徴的な色彩の容姿だ。ゲームの設定では、今の少年はレーナと同じ12歳であるはずだ。彼とドリアーデ辺境伯の他、テーブルには淡い金髪の神々しい美女、そして彼女と瓜二つの幼い女児が揃っていた。


「父上、ご覧ください! 今も、蜻蛉がアクロバット飛行するのを眺める目です。本当だったんですね!」


 尚も、興奮ぎみに話し続ける幼き攻略対象に、ドリアーデ辺境伯が満足げな笑みを浮かべて「そうであろう」と大きく頷く。


「言ったでしょ、父上は嘘など仰いませんと。けれど本当に……」


 女神と見紛う美貌の夫人は、何が心に刺さったのか、うるりと目を潤ませて微笑む。


(あああ……やっぱり、ドリアーデ辺境伯の息子が攻略対象だったよ! 近付きたくないのに、何この興味の持たれかた!?)


「レーナ、こいつら変じゃねーか?」


 父が、ドン引きした表情で呟けば、ドリアーデ辺境伯の表情までもが輝き出す。


「やはりお前たち父娘は面白い。今宵は心行くまで楽しもう」


 定番の「面白い奴」認定を受けてしまったレーナらは、今度は辺境伯一家から珍獣を見る目を(約一名は憧れのヒーローを見る目だが)向けられて、落ち着かない晩餐を摂るのだった。





 晩餐最後のメニューであるデザートが供されたところで、辺境伯が父を晩酌に誘った。ふと視線を感じて元を辿れば、レーナに向けて声を掛けようとしているのか、口元をむぐむぐさせた辺境伯子息こうりゃくたいしょうと目が合う。


(いや待って!? 話し掛ける気満々よね、けどわたしは貴方を攻略する聖女様じゃないからっ! 貴族女子に消されかねない、ただの一般庶民モブ村娘だからねっ)


 父が、高貴な人との差し飲みからの救出を乞う顔を向けて来るが、レーナだって自分で手いっぱいだ。心の中で、父に「がんばれ」とエールを送りつつ、子息の機先を制することを優先する。


「じゃ、なれないことが多すぎて、いっぱいいっぱいですし、(きらきらしい美形の見過ぎで目が)疲れてしまったので、先に休ませてください」


 慌ててレーナが宣言すれば、子息は目に見えてしょんぼりした表情になった。


 ゆっくりと時間の過ぎる貴族の食事を、美形集団に凝視されながら摂る時間は、レーナにとって想像以上の苦行だったのだ。これ以上美形貴族集団の遊興に付き合わされては、こちらの胃がもたない――と、頑なな態度で辞去を押し通す。


 これでようやく心の平安が手に入れられる。と、レーナが細やかな抵抗の成功にほっとしたのも束の間、令息が満面の煌びやかな笑みを浮かべて口を開いた。


「ならっ、明日は私にシュルベルツ領を案内させてくれ! 緑豊かな美しい土地だから、きっと疲れもとれて癒されるはずだ」


「えぇー……」と声をだすのは耐えたが、彼女の表情には現れたらしい。


「眉間の皺も、下がった口角も、死んだ猪の目みたいな曇りも、明日にはきっと綺麗になくなってピカピカになれるぞ」


(なによ、この乙女心を踏みにじる発言のオンパレードは!? これがホントに攻略対象エドヴィン・ドリアーデなの!?)


 自信満々に告げる令息に、不覚にもグーに握った手を振り上げそうになるレーナだった。

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