嫌な予感

「た、大変です。アリシア様」


 早朝、私を起こしたイナが真っ青な顔でそう言った。今日は王宮のパーティー当日。とはいえ、パーティーがあるのは夜なので、午前中はメイド修業の二日目を実施してもらうことになっていた。


 今朝、早く起こしてくれたのも、使用人朝礼があるからだと思っていたが、そうではなかった。朝礼が中止になってしまうくらい深刻な事態が起こっているらしい。


「落ち着いて、イナ。また思いつめて倒れてしまったら大変よ。ゆっくり深呼吸して、何があったのか教えてもらえる?」


 イナがゆっくりと深呼吸をする。

 彼女は落ち着くと、私をとある場所に案内してくれた。



「……えっと、これってもしかして」


 案内された場所にはウィルやシェアンをはじめとした上位の使用人たちが数人集まっていた。そして皆、駆けつけた私を深刻そうな顔で見つめる。何だか嫌な予感がする。皆が集まるその先に目を向けると、嫌な予感は見事的中していた。


 シックで落ち着いた扉の前に見覚えのある魔法陣が浮かんでいる。その前で立ち尽くす銀髪の青年がいた。


「ギル。………もしかして、旦那様、また閉じこもってしまわれたの?」


 ここは旦那様のお部屋の前。びりびりと音を立てる魔法陣に拳を突き出したまま、ギルが沈んだ表情をしている。


「……ああ。見ての通りだ」


 今朝、ギルが旦那様の様子を見に訪れたところ、すでにこの状態になっていたという。


 大抵の場合、旦那様はこうなると最低二・三日は部屋から出てこない。このあいだは例外的に一日で済んだが、今回がもしそのケースだとしても夜のパーティーには間に合わない。


「……いったい、何を考えていらっしゃるのかしら」


 旦那様の真意が全く分からない。今夜はホワード家の今後を左右するような大事なイベント。それは彼が一番分かっているはずなのに、このままでは最悪欠席になってしまう。


「ギル、昨夜の旦那様について、何か変わったことはあった? パーティーに行くことへの不満を口にされていたとか」


「いいや。特には。……ただ、少し元気がなかったかもしれないな」


 ホワード家の者は代々社交の場を好まない。それは、現当主である旦那様も同じだと聞いている。彼はきっと今夜のような大きなパーティーには慣れていない。当日になって、嫌になってしまったことも考えられなくはないと思ったのだが、それでも少しひっかかることがある。


「……妙ね」


 昨日初めてお会いした旦那様は、当主たる威厳と責任を持った方という印象だった。私を物のように考える態度は気に食わないが、それでも彼はこの家を守るために動いているという感じがした。そんな方が、わざわざ自分勝手な想いでこのようなことをするとは思えない。


 それに私には少し気になることがある。無論、この間、透視魔法で見た旦那様の部屋に人影がなかったことだ。


 もともと、旦那様がこのように閉じこもるのは、研究に熱中しているからだと教えてもらっている。だが、それは旦那様がそう言っているだけで、研究をしているところを誰かが実際に見たわけではない。つまり、真相は分からないのだ。


 旦那様には何か秘密がある。そんな気がしてならなかった。


「アリシア様。どういたしましょう。今夜のパーティー、旦那様がこのような状況ですと、最終判断はアリシア様にしていただくことになりますが……」


 ウィルが不安そうに尋ねてくる。そこで初めて、私は自分の立場を思い出した。当主と話が出来ない以上、今夜のことは私に決定権がある。


 ならば、一つ試してみたいことがある。


「私、旦那様と話をしてきます」


「は? 何言ってんだ」


 私の発言にギルが目をまんまるにする。それも当然だ。いまだかつて、旦那様の魔法陣を破って中に入ったものはいない。それどころか、ドア越しの呼びかけにも反応はないという。普通に考えて話すことは不可能だ。


 しかし、方法はある。


「こういう時こそ魔法です」


 ギルを始め、まわりの使用人たちが皆ぽかんとしているなか、私はパチンと指を鳴らす。すると、私の足元に大きな魔法陣が展開された。緑色に光りとともに、柔らかな風が吹く。


「これは、風魔法を応用した魔法。転移魔法と呼ばれるものです」


 この前、透視魔法を使ったときに、実は一つ発見したことがあった。それは、旦那様の魔法陣の力が建物自体にしか影響を与えていないということ。なかでも部屋とのつながりをもつ扉にのみ力が働いている状態なので、独自の時空を介して移動する転移魔法は旦那様の魔法の制限を受けないのだ。


「私の場合、一度自分が足を踏み入れて記憶した場所には移動することが出来るので、旦那様の元に行くことは可能だと思います」


 魔法の説明をするとギルは自分も連れていけとせがんだが、それはさすがにできなかった。部屋に無理に入るということは、旦那様の意思の背くこと。使用人であるギルにそのようなことはさせられない。転移できるのは自分だけだということにしておいた。


「皆はここで待っていてください。旦那様のことは私が何とかします」


 私がそう言うと、シェアンが私にあるものを手渡してきた。


「昨日準備した坊ちゃんのスカーフです。もしも坊ちゃんが今夜のことをためらっておられるのでしたら、何か役に立つかもしれません」


 私が刺繍を施したスカーフ。それを再び目にしたことで、私の素直な気持ちを再確認した。


「……ありがとう。行ってくるわね」

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