メイド修業もどき?

「信じられない!」


 自室に戻った私は、ベットに飛び込んでふわふわの枕に八つ当たりしていた。かわいそうな枕は私の拳にあてられてポスポスと音を立てている。


「落ち着いてください~! アリシア様~!」


 イナが泣きそうな顔で私を抱きしめる。そんな彼女にはっとなって、私は冷静さを取り戻した。昨日倒れたばかりの彼女に心労をこれ以上増やしてはいけない。


「ごめんなさい。イナ。私、ついかっとなって……」


 イナがぶんぶんと首を振って、私を心配そうに見つめる。彼女の瞳に映る私の髪はぼさぼさになっていた。せっかくイナが整えてくれたのに申し訳ない。


「そういえば途中になってしまったけれど、今日のメイド修業は終わりなのかしら?」


 途中で旦那様に呼ばれてから、シェアン達とは別れてしまった。私の魔法によって今日の掃除業務は終わってしまったものの、まだ不完全燃焼感は否めない。明日の準備もあるかもしれないし、これからどうすればいいのだろう。

 ぼーっと考え込んだまま、イナに崩れた髪を櫛で梳いてもらっていると、部屋の戸がノックされた。


「アリシア様。今よろしいですか?」


 ノックの主は、シェアンだった。彼女は、旦那様からパーティーの話を聞いたようで、その準備の話をしに来たのだという。デニスやカレンたちは、いつもの仕事の続きにとりかかっているらしい。メイド修業については、はじめは掃除の仕事から教えようと計画されていたらしく、その他の準備はまだできていないようだった。私の能力値が予想以上だったらしい。


「そういえば、シェアン達は旦那様からパーティーのことについて聞いていなかったの?」


「はい。私も先ほど初めてお聞きしました。ですが、それよりアリシア様、その呼び方……。『旦那様』って……」


「ああ、それは……」


 私は、シェアンに先ほど旦那様に言われたことを話した。


 オリヴァー様は私を利用していた。そのうえ、自分の今までの対応を一つも悪いと思っていないらしい。もともと何か裏があることを覚悟で受け入れたはずの結婚だったのにも関わらず、何だか無性に腹が立ってしまった。これが愛のない結婚であることを知って、メイドとしての主の呼び方である『旦那様』の方がしっくりくると思えてしまったのだった。


「……そうだったのですね」


 私の話を聞いたシェアンは、申し訳なさそうに俯いた。別に愚痴を聞いてほしいわけではなかったけれど、自分の気持ちを打ち明けることで少し楽になれたような気がする。


 とはいえ、私のせいですっかり場が暗くなってしまった。シェアンもイナも悲しそうな顔で目を伏せている。


「えっと、あ、明日の準備だったわよね? 私は何をしたらいいのかしら」


 無理やり話題を変えてみると、二人は顔を見合わせてから微笑んだ。

 そうして、シェアンがとある提案をしてくれたのだった。


「……そのことなのですが、準備をしながら、少し修業もどきなことをしてみませんか?」


 *


 シェアンとイナに案内されたのは、屋敷にある被服室だった。少し手狭な部屋に、足踏みミシンや針刺しに刺さった大小様々な針とカラフルな刺繍糸・毛糸など、たくさんの手芸用品が立ち並んでいる。


「すごいわ。なんだかわくわくしてくるお部屋ね」


「嬉しいですね。そんな風に言っていただくのは初めてです」


 シェアンはそう言って、嬉しそうに部屋のことを教えてくれた。

 ここはメイドたちが日々裁縫を行う部屋。雑巾の作製から、使用人たちの衣服の修繕・主人たちの簡単なドレスの修繕まで、様々な作業が行われているということだった。


「お裁縫も大事なメイドの務めです。その修業もかねて今回は少しだけ、お裁縫に挑戦してみましょう。今回は修行もどきなので、わたくし―イナが先生をします!」


 イナは今日、基本的にお休みはずなのだが、本人が楽しそうなので指摘しないでおくことにする。修業もどきということだから、きっと簡単な作業なのだろうと油断していると、指導内容は予想外のものだった。


「明日のパーティーで旦那様がお召しになるスカーフに刺繍を施しましょう」


「……し、刺繍?」


 刺繍ということは、何かの模様を縫いあげるということだろうか。しかも、刺繍を施すものは、旦那様の身に着けるもの。これは難しいうえに失敗できない、とんでもない課題かもしれない。


 作業台の前に座り、隣でイナが楽しそうに説明をしているが、旦那様の鋭い目線を思い出してしまって何も入ってこない。というか、先ほどの私は旦那様に失礼な態度をとったばかり。冷静に考えて、下手な刺繍でなくとも、私によるものだと分かっただけで彼の怒りを買ってしまうかもしれない。どうしよう。


 固まっていると、シェアンが隣に座って私の手を握ってくれた。今は修行中だから無礼講ですよね?と珍しくいたずらに笑う彼女に私は思わずほっとする。


「すみません、アリシア様。先ほどのこともありますし、今は坊ちゃんのためのことなどしたくはないとお思いかもしれませんね」


「い、いえ、そんなことはなくって……」


 焦る私に、シェアンは優しく微笑みかける。


「実は、坊ちゃんの母君―ディアナ様もお屋敷に来た頃は、旦那様と仲があまりよろしくなかったのですよ?」


「そうなの?」


「はい。私は、かつてディアナ様の専属メイドをしておりましたが、それはもう毎日、旦那様に対する不満ばかり口にしておいででした」


 懐かしい過去の記憶に笑みをこぼしながら、シェアンは私に昔話をしてくれた。


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