ろうそくの物語【短編集】

サトウアイ

店主の気まぐれグラデーションキャンドル



非日常の世界に住む 引きこもりがちな店主の話



非日常の世界には、星空を作るという仕事があるという。

この世のものとは思えない美しい星空は、小さなろうそく屋の手から出来上がる。


星空の素を見たくはないか?


誰かがそう囁くと、そこにぽつりと火が灯る。

そこからは嘘か真か。小さな星屑が宙を舞い、暗い空へと姿を消した。




店主がまだ人間の世界で暮らしていた頃のこと。

彼はよく、空を見るためにお気に入りの川に行きました。


山の中にあるろうそく屋で、祖母に育てられたその男の子は

友達と外で走り回って遊ぶことはなく、いつも1人で絵を描いたり川で水の流れを眺めたり、空を見上げたりしていました。


祖母は時々、夜遅くに薄暗い灯りの中で大きな鍋で何かを溶かし、大きな筒の中にその溶かしたモノを流し込んでいました。


その時の、ろうそくの火で照らされた祖母の横顔にはとても深いシワが刻まれていて、悲しんでいるのか笑っているのか彼には分りませんでした。


そんな夜は、なんとなく怖くなって、心細くなった彼は架空の友達と会話をしながら眠りにつくのでした。





そのままの性格で大きくなった彼は、社会に出てからも人見知りは全く直りませんでした。人と関わることに疲れた時、彼はいつも子供の頃に見ていた夜空を思い出していました。




その昔。

彼は祖母が寝静まったあとに、こっそりと家を抜け出して少し山を下りた場所にあるお気に入りの川に行きました。


近くに民家はなく、月あかりと星のあかり、それから祖母が作ってくれた濃い青色のろうそくの灯りで森の中をそっと歩き、澄んだ空気をお腹いっぱい吸い込みます。


鬱蒼と生い茂る木々の間からたまに見える、明るい星や満月は彼の気持ちを穏やかにし、1人の寂しさを包み込むように遠くから彼を見守っていました。


お気に入りの川はいつも月あかりが降り注ぎ、夜でも水の流れが美しく見える秘密の場所。


ろうそくの灯りを消して空を見上げれば、そこにはいつも無数の星が輝いていて、その絵の具をこぼしたような色とりどりの美しい夜空を彼は独り占めするのでした。





大人になった彼は、どこに行っても変わり者だと言われ、みんながヒソヒソと言う悪口を聞こえないふりをして過ごしていました。


この生きにくい世界で、このまま生きていくしかないのかと自問自答をする日々が続いて、抜け殻のようになりながらいくつも仕事を変え、その日まで暮らしてきたのです。


ただ、もういらない、早く消えてくれ。そんな事を言われた時から彼の記憶はあいまいになり、気が付くと祖母と暮らした懐かしい山小屋でろうそく作りをしていました。


いつからそうして作っていたのか、初めは思い出そうと必死に記憶を辿ってみましたが、出てくる言葉はヒソヒソと言われ続けたたくさんの悪口だけ。

思い出すことをあきらめてみると、そのうちどうやってここに来たのかなんて事はどうでもよくなって、1人で過ごせるこの場所がとても心地よくなりました。


お気に入りの川も、美しい星空も昔のまま。


ただ1つだけ不思議な事は、夜空に浮かぶ月が2つになっていた事でした。






そんな暮らしが始まった、ある日の昼下がりのこと。


気ままに暮らす彼が住む小さな小屋の扉が、キー、と音を立てて開くと、トコトコという小さな足音が聞こえました。


ぴくりと肩を震わせ硬直したままの彼の背に

「いつ戻ったのだ?ろうそく屋の店主」

と、妙に高くて聞き取りずらいカサカサとかすれた声が尋ねました。


彼が恐る恐るドアの方を見ると、物語の挿絵で描かれているような背丈の小さな老人が片手で長い白髪の髭を触りながら溢れんばかりの笑顔で立っていました。


その瞬間、彼はついに自分の頭がおかしくなったのだと、青白い両手で頭を抱えましたが、その老人は嬉しそうに「ばあさんのレシピは残っておるかの」とトコトコと足音を立てて小屋の中に入ってきました。

そして、毎日そうしていたかのように本棚の前にある踏み台の上に乗って、祖母の残したキャンドルの本を物色し始めました。


「僕は一体、どうしてしまったんだ…」

やっとの思いで絞り出した声にその小さな老人は

「そんなことはどうでもいい、この世界は非日常の世界。ろうそく屋、お主が必要なのじゃ」

そう言って、小さな老人は彼に1冊の本を差し出しました。


「ばあちゃんの、日記…」

彼が夢中でそれを読む間、その老人は自分はこの世界の大賢者レリオンだと名乗ります。


そうしてレリオンは、棚に並べられた彼の作ったろうそくを見上げて、これじゃこれじゃと満足げに大きく頷きました。


彼が日記を読み終わったのは、その日の日付が変わる頃。


レリオンが部屋のランプに火を入れて、見頃の時間になったと言いながら彼の作った美しいグラデーションのキャンドルを灯し始めました。


「これが星空の作り方じゃ」

日記から顔をあげた彼は驚きで声も出ません。


そこはただの空間ではありませんでした。

灯していたキャンドルからは、煙のようにキラキラとした空気が立ち上っています。それは薄暗い部屋の中で混ざり合い、互いにぶつかりながら少し大きな煌めきができたり色が変わったり。

そうして出来上がった、まるで天の川のようなとても明るいキラキラとした空気が、渦を巻きながら少しだけ開いていたドアの隙間からすーっと外に流れていきました。


「成功だね、これでやっと元通り」

また聞いたことのない声と一緒に、キー、とドアが開いて今度はスラリとした背の高い男が入ってきます。


「こんばんは、便利屋のサトウです」

黒縁メガネのその男は、片手で名刺を差し出しながら

「やっと見つけました、行方不明のお兄さん」

そう言ってニコッと作り笑いをしてきたのです。


祖母の日記には、非日常の世界の事や星空作りのこと、彼の家系が代々続けてきた生業の事などが書かれていました。何を信じてこれから生きていけばいいのか、よく分からなくなった彼は恐る恐るそこにいる2人に問いかけました。


「僕は一体、何者なんですか?」


「まだ分からぬか、お主はろうそく屋の店主。そして、この世界の星空を作る者じゃ」


人間界とこの非日常の世界。


両方の世界を生きることができる生物は極わずかで、その生き物たちは物語に出てくるような不思議な生き物たちばかり。


彼の家系は、代々不思議な力で星空を作る者として両方の世界を行き来しながら暮らしていた、特殊な種族なんだそう。


自分が死んだか、頭がおかしくなったかと思ってうろたえる彼を見て、新しい友達が顔を見合わせて笑っていました。


そうして、ろうそく屋の店主となった彼の作るキャンドルは、ほとんどが星空を作るために灯されるため、めったに世に出回らない貴重なものとなりました。




end


こんばんは、店主です。


僕があの頃見ていた星空は、ばあちゃんがこうやって作っていた星屑たちで。


僕は相変わらず引きこもりで、誰かと一緒にいるのが苦手。


こちらの世界の事はレリオンに任せて、人間界の仕事は便利屋に任せることにして。


僕は好きなだけろうそくを作る。


星空を作るという仕事は、なかなかぶっ飛んだ発想で物語を読んでばかりいた僕にとってすごく合っていて楽しい。


こちらの世界は今夜も2つの月が輝き、新しい星屑が夜空に浮かんでいます。


ようこそ、非日常の世界へ。








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