「黄色いおじさん」の話
シダレヤナギ
「黄色いおじさん」との初めての会話
その人のことを、みんなは「黄色いおじさん」と呼んでいる。
なぜ「黄色い」おじさんなのかというと、被っている帽子から着ている上下の作業着まで、全部黄色いから(ただし、首からかけている銀のロケットペンダントを除いて)。
まさにそのまんまだ。ネーミングセンスがあるかと言われたらビミョーだけど、結構覚えやすいし、なぜかしっくりくるから僕は気に入っている。
黄色いおじさんは毎朝、僕らの通学路の途中にある横断歩道の前に立っている。
手に持つのは、「横断中」と書かれた旗(これもなぜか黄色)。信号が赤になったら小学生が道路に飛び出さないように旗を下ろし、青になったらまた上げる。
まるで電車の踏切みたいだな、なんてことを僕は思ったりもする。
──得体の知れない変な人。
小学一年生だった頃の自分にとって、黄色いおじさんはそういう存在だった。
真っ黄色の派手な格好はもちろんだが、その一番の理由は、小学生が通りかかるたびに「ハイオハヨー」と声をかけているのが不気味だったからだ。
「ハイ、おはよう」という意味に決まってるけれど、幼かった僕にとっては、謎の暗号でしかなかった。それも、その言葉を毎日呪文のように繰り返しているのだからなおさらだ。
僕はいつも、黄色いおじさんの前に通りかかったら全速力で駆け抜けていた。とにかく怖かった。
※
小学二年生になって、さすがに「ハイオハヨー」は解読できるようになったけれど、何となく近寄りがたい感じがするのは変わらなかった。
ダッシュまではしなくても、横断歩道に差し掛かると自然と早歩きになってしまう。
──そんなある日、お母さんが教えてくれた。
本当は、「黄色いおじさん」ではなく「交通誘導員」と言うのだということを。
…てことは、「黄色いおじさん」って本名じゃなかったのか!
と、この時の僕は相当な衝撃を受けた。
そして同時に、その発見は小さな勇気を与えてくれたのだった。
──明日こそ、自分からあの人に「おはよう」って言ってみよう──。
※
翌朝。
おじさんはいつも通り、学校の子供たちに挨拶していた。
でも、返ってくる反応はまちまちだ。
「おっはー!」と友達を相手にしているような口調で返す女の子。「おはよ…」までしか声が聞こえない男の子。
もちろん、無視する子もたくさんいた。そういう子が一番多いかもしれない。
──そして。
いよいよ僕の番がやってきた。
この日は、心臓が、軽く吐き気がするほど激しくドラムを叩いていた。
いつも早歩きだった足は、ちょっとずつしか進まない。
「ハイ、おはよう!」
おじさんが明るく挨拶してくれる。
普段は何も答えずに、逃げるように横断歩道を渡っていた。
…でも。今日は違うんだ。
僕は鼻から大きく息を吸い込んだ。
「おはようぎょざいます」
あああぁ!!
心の中で絶叫する。
なんだよ、「おはよう『ぎょ』ざいます」って!さかなクンじゃないんだからさ!
恥ずかしい!めちゃくちゃ恥ずかしい!!今すぐこの場から消えたい…!!
それ以外何も考えられなくなった僕は、俯いたまま横断歩道へ足を踏み出したけれど。
ひらり。
黄色い旗が、行手を遮った。
「危ないよ」
おじさんの声。
慌てて顔を上げると、青だったはずの信号には、いつの間にか赤いランプが灯っている。
あああぁぁ最悪!!
再び心の中で、絶叫マシンばりの悲鳴があがった。
どうしよう、きっと、笑われる──。
僕はぎゅっと手のひらを握りしめる。
「…ありがとうね」
「えっ」
振り向く。
おじさんは、とても優しい目で僕を見つめていた。
にっこりと笑う頬には、深くシワが刻まれている。黒く日焼けした顔では、鼻の下の白いちょび髭が、トレンドマークのように輝いていた。
──そう言えば、おじさんの顔をちゃんと見たの、初めてだったな。
「みんな、なかなか挨拶してくれないんだ。寂しいことにね。でも、君はちゃんと返してくれたでしょ。おじさん、嬉しいよ」
「…嬉しい?」
おじさんは目を細め、ゆっくりと首を縦に振る。
「そうだよ、とっても。ボク、初めておじさんに挨拶してくれたよね」
「うん…」
覚えていてくれたんだ。怖がって、とことん挨拶を無視していた僕なんかのことも。
「えらいねぇ、勇気がいるのに。挨拶は続けてね。『おはよう』って言うだけで、今日が良い一日になるから」
僕はこっくりうなずいた。
心の中が、あったかいものでいっぱいになっていく。
それはとても、心地良い気分だった。
「ほら、もう青だよ」
信号の色は、いつの間にか変わっていた。
最初は、恥ずかしい思いをさせようとばかりに赤になった信号機のことを恨んでいたけれど、おじさんとの会話のきっかけをくれたんだと思うと感謝してもしきれない。
ありがとうございます、ありがとうございます…!
僕は口には出さずに、何度も何度もお礼をする。
そして、心のぽかぽかした温かさを感じながら、今日は本当に良い一日になりそうだな、と思った。
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