第4話 それは神的ファンサ

 炊きたての米のいい匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、鈴花は心を込めて丁寧におにぎりを握った。米も、良い銘柄のちょっと高いものを買ってきている。

 自分が食べるだけなら、安さ重視で味は二の次の選び方をしていたのだが、ジン様に供えるのだから少しいいものをと選んでみた。

 ラジオの公開収録に当選させてくれただけでなく、勝手に番組にメッセージを送って読ませてしまうというサプライズプレゼントをもらってから、鈴花の中でジン様への思いに変化があった。

 推しと同じ姿をしていることで、最初から愛着はあった。ご利益も信じていた。

 だが、そういった〝存在をありがたがる気持ち〟から、家族や友人に対するような、大事にしたいという友愛の気持ちを持つようになった。

 向こうが鈴花を大事にしてくれるのだから、鈴花もジン様を大事にしたくなったという、当然の流れだ。


「ジン様、おにぎりできたよ。あ、また『シェアハウス鍋奉行』見てるんだ。好きだねー」


 鈴花ができあがったおにぎりを運んでいくと、ジン様は録画していたドラマを診ていた。

 高瀬臣や緒形トオルが演じるこだわり強めの五人の男性たちが、ひょんなことから一緒に生活することとなり、鍋バトルを介しながら互いを知っていくというコメディドラマだ。それぞれに抱える悩みや事情があり、それを人間関係と鍋が解きほぐしていくという内容が、どうにもジン様の気に入るものだったらしい。


「〝すき焼き回〟はやはり神回じゃの。関西風か関東風かというところで喧嘩になったのが、互いの出身地や好みを知るきっかけとなるというのが、仕掛けとして面白い」


 祭壇横でふよふよ浮きながら、ジン様はご機嫌で言う。

 ツイッターアカウントで細々とファンを増やしているからか、鈴花がせっせとおにぎりを供えているからか、家にやってきてこの数カ月でジン様はかなり生き生きとしている。神々しさも増している。


「『シェアハウス鍋奉行』ってタイトルなのに、第五話まですき焼き回を取っておいたのも、やっぱりすごいよね。脚本家のセンスが。鍋をテーマに物語を作ろうとしたら、すき焼きなんて真っ先に出てきそうなのに」

「そういうものなのか? それにしても、男たちが鍋を囲んでおしゃべりしているだけでこんなにも面白いというのは、すごいのぉ」

「だよね。視聴者としては、かっこいい俳優さんをこれだけ揃えてかっこいいこと一切させてないっていうのも、面白くて好き」

「そういえば、全然キラキラしとらんのぉ」


 すっかり鈴花の推し活に影響を受けて、ジン様とはこうしてドラマの感想を言い合ったり、一緒にDVDで観劇を楽しんだりできるようになっている。神様というよりも、オタ友に近いかもしれない。

 当然、神様としてのご利益もしっかりあるわけだが。


「あー、やばい。そろそろだよ。緊張してきた……」


 ジン様と一緒にドラマを楽しみつつも、ください鈴花はスマホを気にしていた。今日はせっかく週末で休みだというのに、ずっとこんな調子だった。

 というのも、今日は鈴花にとってすごく大切な知らせが届く日だからだ。


「今回、公演回数が少ないし、劇場は小さめ。それなのに出演者は今をときめく二・五次元界隈のスターたちよ? 倍率やばいに決まってるよ……」


 今日は『シェアハウス鍋奉行』の舞台のチケットの当落メールが来るはずの日なのだ。

 今回は一般のチケット抽選販売に先駆けた最速先行抽選というのがあり、鈴花は迷わずそれに申し込んだ。


「これがだめでも、ファンクラブの抽選がある。美里さんもチケット頑張って取るって言ってた。だから、大丈夫大丈夫。一枚くらい取れるはず」

「心配するな。ワシがついておるんじゃから」


 取れているようにというイメトレと、だめだったときのためのショック軽減をしようとする鈴花に、ジン様はにっこり微笑んで言った。

 高瀬臣にそっくりの顔でそんなふうに微笑まれると、落ち着かない気分のときでも嬉しくなってしまう。それに、ジン様の表情はただかっこいいというだけでなく、ほっとするような安心感がある。


「いくらイケメンを揃えたといっても、寄ってたかって鍋をつつくだけの舞台をみんなが見たいと思うわけもなかろうて」

「何をぅ? そんなの、みんな見たいに決まってるでしょ!?」

「そうかのぉ?」


 せっかくなだめてくれたと思ったのに余計なことを言い出したため、鈴花はむくれた。それを見て、ジン様はおかしそうに笑っている。

 そんなことをしていると、手の中のスマホが震えてメールの受信を知らせてきた。ドキリとして、鈴花はちょっぴり飛び上がり、恐る恐るメールを開いた。


「……当選だ! やった! 『厳正なる抽選を行った結果、お客様はご当選されました』だって! ジン様、ありがとー! おっとっと……」


 メールを開いたと同時に目に飛び込んできた定型文に、鈴花は万歳をして喜んだ。だが、その喜びを分かち合おうとジン様に抱きつくも、虚しく空振りしてしまう。

 あまりにもこの空間に馴染んでいるから忘れてしまいがちだが、ジン様は神様で、触れることができないのだった。


「わー、一公演だけかと思ったら、二公演取れてる! あ、美里さんからメッセージ来てる。美里さんも二公演取れたって! しかも私と同じ日だ! これ、ジン様?」


 友人の美里から届いたメッセージを見て、鈴花は驚いた。美里も無事にチケットを取れたこと自体奇跡なのに、それが同じ日の公演だなんて奇跡的だ。

 さすがに席までは近くなかったが、当日一緒に現地入りできるのは嬉しい。


「どうせなら、親しい者と語り合いたいだろうと思ってな。同じ日に見れば、同じ内容を語り合えるじゃろ? 本当なら、全通とやらをさせてやりたかったんじゃが、そこまでの力はまだないし、何より鈴花がモヤシを食って生きていかねばならなくなるからなぁ」

「ジン様……」


 全通ーー複数回ある公演に全部通うことは、推しを持つオタクの夢だ。財力と体力が許すのならばいつかしてみたいと思うが、ジン様のいう通りしばらくモヤシ生活は免れないだろうし、そんなことをしていては体も持たない。

 だから、粋な計らいをしてくれただけでなく懐具合の心配までしてくれていたことがわかって、鈴花は感激した。


「この前のラジオのときもそうだけど、どうしてジン様はこんなことしてくれるの? ただ願いを叶えるだけじゃなくて、こんなふうに嬉しいことをしてくれるというか」


 家に住み着いている神様とはいえ、あまりにもサービスが過ぎるのではないかと鈴花は思った。

 嫌なわけでも迷惑なわけでもないのだが、こんなにしてもらっていいのだろうかと、そんな落ち着かない気分になる。


「ワシは人間が好きじゃからの。もともとは人里で頼りにされ、願いを叶えてきた存在じゃ。それが今は願いを叶えてやる相手がそなたしかおらぬから、大盤振る舞いもするよの。ファンサじゃ、ファンサ」

「ファンサって……やっぱりこれ、大盤振る舞いなんだね」


 ジン様の自分に向ける慈愛に満ちた表情に思わずキュンとくる鈴花だったが、やはり力の使い過ぎは心配になった。

 鈴花のところについてきたというのも、元は忘れられて眠りについていたからなのだ。それが鈴花の熱い推しへの想いに触発されて目覚めたとはいっても、神として本調子なわけではないはずだ。


「……願いを叶えてくれるのは嬉しい。でも、無理はしてほしくないかな」

「ワシのことを心配してくれるのなら、せっせと絵を描かんか。ファンを増やしてくれよ。推されるのが、ワシの力じゃ」

「はーい」


 「新規絵じゃ、新規絵」とジン様に急かされ、会社のサンプルでもらった玄米粥と青汁プロテインで昼食を済ませた鈴花は、それからしばらく集中してイラストを描いた。ジン様のリクエストで、なぜかカニ鍋を食べる姿を描かなければならず、カニの資料集めで地味に時間がかかったが。


「それにしても、何でカニ鍋? 『シェアハウス鍋奉行』には今のところカニ鍋は出てきてないけど、どこで覚えたの?」


 カニ鍋を前に嬉しそうにするジン様のイラストが描き上がりつつあるが、なぜカニ鍋なのだろうと鈴花は気になった。さすがに神社にいた頃もカニ鍋はお供えされたことはないだろう。


「カニ鍋は鍋の王様じゃろう? 憧れぬ者はおらんだろうて」


 鈴花の問いに、ジン様はわかったふうに答える。鍋の王様が何鍋かなんて考えたこともなかったから、その独特の言い回しがおかしい。


「まあ、アレルギーでもない限りみんな好きなイメージはあるね。……今は無理だけどいつか頑張ってお供えするよ」

「楽しみじゃのぉ。鈴花がカニ鍋を食べられるようになったら、ワシは嬉しい」


 優しい笑みを浮かべて言われてしまうと頑張るしかないと思えて、鈴花はとりあえず絵を完成させた。


「さあ、あとはサイズを調節してツイッターにあげるだけ……え?」


 完成させたイラストを投稿しようとしてツイッターを開いたところ、タイムラインのざわめきが気になった。

 今ログインしているのはジン様のアカウントではなく、日頃推し関連の情報を得るためや推しへの愛を呟くために使っているアカウントだ。つまり、タイムラインのフォロワーのざわめきは、何か舞台に関連するものということ。

 嫌な予感がしてトレンドを見ると、トップに恐ろしい画像と見出しが出ていた。

 それがあまりにも衝撃的で、ショックのあまり鈴花はスマホを落としてしまった。


「なんじゃ? 鈴花、どうした?」


 落としたスマホを拾おうともせず呆然としている鈴花を見て、ジン様が心配そうに声をかけた。

 だが、鈴花はすぐに答えることができない。顔を上げてジン様を見ると、声の代わりに漏れたのは嗚咽だった。


「……じ、臣くんが……」

「高瀬臣がどうした……?」


 やっとのことで言葉を発すると、たまらなくなって鈴花はワッと泣きだした。

 体は熱くなって、でも指先や爪先は冷たくて、全身の血液はドクドクとうるさく駆け巡って、呼吸がままならなくなる。

 息が苦しくて涙が止まらないのに、気になって仕方なくてスマホをまた見てしまった。

 ツイッターを見ても、ネットニュースを見ても、目につくところに「人気俳優・高瀬臣、交通事故で緊急搬送」という見出しが出てくる。


「……臣くん、稽古場に行く途中で車に跳ねられたって……」


 どれだけ情報を漁っても覆らないらしい事実をどうにか口にして、鈴花は声を殺して泣いた。


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