第2話 神様を推すってどんなこと?

 朝、目覚めた鈴花は部屋の中に見慣れぬ存在を目にして悲鳴をあげるのをすんでのところでこらえた。

 コンタクトを入れる前のぼやけた視界でもわかる、見慣れているが見慣れていないもの。


「……ジン様、おはよう」

 

 鈴花は布団から起き出して、高瀬臣の祭壇横に浮いているジン様に声をかけた。

 昨日、仕事帰りに気まぐれに手を合わせた小さな神社からついてきたという神様。

 鈴花の熱気に影響されて、高瀬臣と同じ姿をしているという。理屈も原理もわからないが、とにかく最高だ。


「おお、おはよう。早いな」

「勤め人の朝は早いんですよ」

  

 壁の時計は五時半を指している。なかなか早起きとはいえるが、就職してからはこれが当たり前になっている。


「人間は大変だな」

 

 さっさと布団を畳んでキッチンに向かう鈴花を感心したように見ているジン様は、朝から眠そうな様子も寝癖もなく、ピカピカの美貌である。

 それをこっそり拝んでから、推しと同じ姿をした神様が家にいるのはいいなあと、非日常なことを鈴花は思った。


「そういえば、ジン様にお供えってしたほうがいいよね? 何食べる?」

 

 鈴花が自身の朝食の支度をしながら尋ねると、ジン様は考え込んだ。その考える顔もまた尊いと、鈴花の心のシャッターを切る指は止まらない。


「そうじゃな……何でも良いぞ。こだわりは特にない」

「えー? でも、調べたら生のものしかダメな神様とか、調理したものも大丈夫な神様とか色々いるっぽいけど。生饌、熟饌っていうらしい」

 鈴花は一応スマホで調べて尋ねてみたのだが、ジン様はいまいちピンと来ないようだ。


「ワシはどちらでもいけるな。ミカンをもらうこともあれば、饅頭を供えられることもあった。じゃから、そなたと同じもので」

「わかった」


 同じものでいいのであれば簡単だと、鈴花は材料をいつもの倍入れたミキサーのスイッチを入れる。そのけたたましい音を聞いてジン様は目を丸くしていたが、グラスに入った鈴花と同じ〝朝食〟を見ると眉間に深く皺を寄せた。


「……これは何じゃ?」


 薄い緑色の液体が並々と注がれたグラスを前に、ジン様はシワシワの顔をしていた。


「青汁入りグリーンスムージーだよ」

「ぐりーんすむーじぃ……」

「小松菜とバナナとリンゴと蜂蜜を豆乳で割ってるの。それに、私の勤めてる会社の人気商品である青汁を入れたスペシャルブレンド」

「すぺしゃる……」


 説明を聞いたところで理解できないのか、それとも受け入れられないのか、ジン様はグラスに顔を近づけてから、さらに顔の皺を深くした。一気に歳をとったような、不思議な生き物になったようなその顔を見て、鈴花は慌ててグラスをジン様から離した。


「無理にとは言わないから! 推しの顔でそんなしおしおな顔しないで!」

「すまんのぉ。せっかく用意してもらったのに」

「いいよ。おいしいんだけど、たぶん神様には早すぎたんだよ」

「何でもいいと言っておきながらな……塩むすびをもらえると嬉しい」


 よほどグリーンスムージーが苦手な見た目をしていたのだろう。ジン様は鈴花がグラスをキッチンに持っていくまで、顔のパーツを中央に寄せてシワシワしていた。

 高瀬臣の顔でいつまでもそんな顔をさせていたくなくて、鈴花は慌てて冷蔵庫の冷ご飯を温め直す。

 温め直したとはいえ冷ご飯は握りにくく、明日は絶対に米を炊飯器にセットしてから寝ようと心に決めた。

 そうこうしている間にも時間は進んでいて、時計を見て鈴花はやや焦る。できた塩むすびを祭壇に供えてから、スムージーを二杯飲み干した。

 そして、着替えて手短にメイクをして、もう一度祭壇前に向き直る。


「それじゃあ、行ってきますね。帰りは七時くらいになると思う」

「うむ。気をつけて」


 少しバタバタしたが、推しと同じ顔をした神様に見送られて家を出るのはいいものだなと鈴花はにんまりする。まだ朝の早い時間で周囲に人がいないからよかったものの、なかなかに不審者だ。



 出社してすぐはジン様のことが気がかりだった鈴花だったが、それも仕事をしているうちに意識の外に追いやられてしまった。

 鈴花は、健康食品を取り扱う会社の営業部で働いている。

 商品は主に通販でお客様のもとに届くようにはなっているが、メインターゲットが年配の人が多いため、初回の契約を促すために個人宅への訪問営業を行うのが鈴花の仕事だ。

 今日は新商品のサンプルが上がってきていて、それがどんな商品なのか把握することや、モニターをお願いするお得意様の選別をしているうちに午前中は終わってしまった。

 いつもなら昼の休憩時間に入ると何を食べようかどこに買いに行こうか悩むのだが、今日はコンビニ一択だ。

 ジン様のご利益によって得たクーポンを利用したところ、今日の昼食は結構な量になってしまった。


「カフェラテ、唐揚げ、おにぎり、ロールケーキって……どうしたの? やけ食いかパーティー?」


 鈴花の昼食を目にした先輩社員の佐伯が、驚いたように尋ねてきた。

 確かにこれらの摂取カロリーから考えれば、やけ食いかパーティーかと思うだろう。

 しかも、毎朝一時間かけてウォーキングも兼ねて歩いて出社する健康志向の鈴花がやっているのだから、心配されるのも当然だ。


「せっかく値引きクーポンや無料引換券が当たったので、つい」

「これ全部当たったの? すごすぎない?」

「運が向いていたみたいで……」

「運って!」


 佐伯があまりに驚くので、鈴花は昨日仕事帰りに小さな神社に手を合わせたところ、そのご利益でクーポンが当たりまくったと話した。

 さすがにジン様のことは話せないが。


「そっか、神社ねえ……仕事柄、お年寄りを相手にすることが多いから、たまにお守りもらったりするけど、あんまり信じてないんだよねえ。宝くじも馬券も、当たったことがないもん」

「そうなんですね」


 食いつかれたらそれはそれで厄介だったが、佐伯は興味がなくなったのか神社の話をした途端落ち着いた。

 もともと、鈴花がチケット運向上のためにやる願掛けや徳を積むという行為に対しても冷ややかに見ている人だ。信心に興味はないのだろう。

 佐伯のような人の存在を認識すると、ジン様が〝人に忘れられて眠っていた〟と言っていたことの重さについて考えてしまう。

 佐伯の言うとおり、仕事で訪問営業するのはほとんどが高齢者宅だ。だから訪問先でお年寄りから話を聞くと、神社やお寺の話が出てくることはあるが、体感としてはそう多くない。

 その多くない人々も、いずれはいなくなってしまうのだ。そう考えると、自分にジン様がくっついてきたことの重大さをひしひしと感じる。

 

「……頑張って養わないと」


 引き出しの中にこっそり飾っている高瀬臣のプロマイドを見て鈴花は言う。

 ジン様に向けた言葉でもあるが、推しに向けたものでもある。

 推しを推すことは、ジン様を推すことにもなる。推しを推すエネルギーが、ジン様を元気に目覚めさせているのだから。



 推しとジン様のことを考えてしゃかりきに仕事をするうちにあっという間に終業時刻となり、特にやり残したことがなかった鈴花は大急ぎで帰宅した。

 鈴花が就活のときに選んだのは、残業や飲み会の少なさが理由だ。なるべく就業時間内に業務を終わらせ、おのおの趣味や健康維持のために有意義に過ごすことを推奨されている素晴らしい会社なのである。

 〝働くために生きるにあらず 生きるために働くべし〟という社訓は、まさに鈴花の人生のテーマだ。

 鈴花は、推し活生きるために働いているのだから。


「あ、そっか……ただいま」


 帰宅して玄関を開けて、気配があることに鈴花は戸惑った。

 ジン様が家にいるのだと頭でわかってはいても、ひとり暮らしが長いと誰かの気配があることに慣れないものだ。

 それに気配だけでなく、何やら聞き慣れたにぎやかしい音が聞こえてくるのも気になった。


「お、帰ったか」

「うん。あ! 臣くんの舞台、観てたんだ!」


 テレビを見ると、高瀬臣出演の舞台「白雪と七人の騎士たち」のDVDが流れていた。聞き慣れた音の正体は、これだったのだ。


「楽しめた? てか、再生とかできたんだね」

「念でちょちょいとな。朝飯前じゃ」


 どうやらDVDプレーヤーに入れっぱなしにしたものを再生したらしいのだが、家電をいじれるということに鈴花は驚いていた。中身を入れ替えてやれば、毎日留守中にいろんなものを見せてあげられそうだ。いろんなと言っても、高瀬臣が出ている舞台のDVDばかりなのだが。


「……ジン様、ご機嫌ななめ?」


 鈴花が炊飯器に研いだ米をセットして戻ると、テレビではちょうどカーテンコールの挨拶が流れているところだった。たくさんの拍手と歓声が客席からあがっている。

 ジン様はそれをじっと見て、唇をとがらせ眉間に皺を刻んでいる。

 拗ねた推し《高瀬臣》の顔も素敵だなと思いつつ、拗ねている理由が気になった。


「……ワシも、こんなふうにされたい」

「え?」

「ワシも! こんなふうにキャーキャー言われたいんじゃ!」


 戸惑う鈴花に、ジン様はジタバタしながら叫んだ。宙に浮いているとはいえ、百八十センチある長身の男性がジタバタしているのは、やばい。

 それに、推しの姿でジタバタされているという絵面の破壊力に、鈴花は嬉しいやらドン引きするやらで心が混乱していた。


「キャーキャー言われるって……臣くんたちはこれが仕事だからね? ただキャーキャー言われてるわけじゃないんだよ?」


 混乱からやや回復して、鈴花はそうツッコミを入れた。DVDを見ての感想がまずそれなのかと、そこをツッコミたい気持ちは当然ある。だが、ジン様のジタバタに対する的確なツッコミは、まだわかっていない。


「ワシとて神じゃぞ? それにこんなにかっこいい」

「え、はい。それはそうだけど……」


 自分の顔を指さして自画自賛するジン様を前に、鈴花は笑っていいのか呆れていいのかわからなくなった。

 それに、推しの顔なのだからかっこいいのは当たり前だ。


「ワシも人前に出ることができれば、キャーキャー言われるんじゃがのぉ」


 ジン様は、ジタバタするのをやめて言った。まだ唇はとがったままだが。それでもかっこいいのだから、推しの顔は強い。

 ジン様はチラチラと鈴花に視線を送ってきていて、どうやら何かを察してほしいようだ。

 これは、どうにかせよということなのだろう。


「写真にでも写れば、コスプレですってワンチャン、SNSで見てもらうこともできたんだけど……やっぱり写らないか」


 スマホを構えてカメラアプリを起動してみたが、画面には高瀬臣の祭壇が写るだけだ。その隣で渾身の決め顔をしているジン様は写っていない。


「……むぅ。姿を写し取るばかりが人に見てもらう手段ではなかろう? ほれ、そなたは絵が描けるではないか」

「えー?」


 いい加減ジン様をなだめるのをやめて夕食の支度に取りかかろうとしていた鈴花に、ジン様はニヤリとする。

 心当たりがないわけではないため、鈴花の目は泳いだ。


「ほほう? しらばっくれると? そなたのことなら大体把握しておるというのに? あくまで白を切るというのなら、そなたが描きかけで放置しておる絵を壁に投影してやるが?」

「そんなことが……!?」

「できるが? 念でな!」

「くだらないことで神の力を使うのやめてー!」


 描きかけの絵は何だったろうかと考えて、それが男同士のカップリングの二次創作のイラストだったと思い出し、鈴花は慌ててイラストを描くのに使っているタブレット端末に飛びついた。

 きっとジン様ならタブレット端末に触れずに操作することくらい簡単なのだろうが、そんなことはさせられない。させるわけにはいかない。

 絵を描いていたのはもうずいぶん前だ。昔の絵というだけで見るのが恥ずかしいのに、それが際どいものだとなお見るのに勇気がいる。

 だから、脅しに屈してジン様の絵を描いてやったほうが気持ちは楽ということだ。


「絵って、描けるけど……別にうまくないからね」

「良い。というより、ワシはそなたの絵が好きじゃ」


 ジン様ににっこり言われて、鈴花は仕方なくタブレット端末を起動させてペンを握った。

 舞台にハマるまでは、漫画やアニメが好きで、絵を描くのも好きだった。今でも好きだが、社会人になって描くよりも楽しいことができてしまった。それが、観劇だ。

 もとは絵を描くのが好きだったわけだから、当然高瀬臣のことも描こうとしたことがある。だが、あまりにも好きすぎて、あまりにも美しく思いすぎて、それを再現する画力が自分にないことを思い知らされて、描くことから遠ざかっていた部分がある。

 大部分の理由としては、描くよりも高瀬臣を推すことが楽しすぎたということなのだが。


「顔はこのままでいいとして、服装は変えなきゃだよね……神様っぽいのって考えたら、やっぱり平安の頃のかな……」


 今のジン様の姿は、「帝都あやかし恋うた」ので高瀬臣が演じた団三郎そのままだ。だから、この姿を描けばオリジナルにはならない。

 ジン様をジン様として人々に認知してもらうためにはやはりオリジナルとして発表するしかないと、鈴花はそのデザインに頭を悩ませた。

 顔は高瀬臣なのだ。つまり、推しにどんな服装をさせるかということだと気づいた瞬間から、ペンを握る鈴花の手に熱が入る。


「平安の衣装といえばやっぱり陰陽師! 陰陽師といえば狩衣! でもただの狩衣じゃ楽しくないから、どうせだったらセクシーに! 豪華に! でも気品を忘れず、それでいてワイルドさを感じさせる感じで……」


 そんなことを言いながらペンを走らせるうちに、タブレットの画面には白地に金の装飾が施された狩衣の大きく開いた襟ぐりから黒のノンスリーブのインナーが覗く、セクシー平安装束姿のジン様が爆誕していた。ポイントは黒い足袋とハーフグローブだ。

 好きなものを詰めに詰めたツリ眉タレ目の美男(高瀬臣似)を自らの手で生み出したことに、鈴花はニマニマ笑うのを止められなかった。

 そして、それを見てジン様も満足そうに笑う。


「ワシじゃー! かっこいいのぉ」

「わっ……!」


 感激したらしいジン様は宙でくるりと回ると、鈴花が描いた絵と同じ服装になった。

 推しの新規供給を間近で見て、胸の高鳴りを抑えることができない。

 輝くばかりのオーラを背負った高瀬臣の顔をしたジン様を前に、ただ手を合わせる。


「……うわぁ、尊いよぉ。すごいよぉ」

「そんなことはよいから、早くお披露目してくれ。ついったーなるものに載せよ」

「お安い御用だよ。あー、えっと……どのアカウントで載せるのが適切かわかんないからジン様のアカウント作っちゃうわ」


 ジン様の神々しさにあてられて、鈴花は目を潤ませながらスマホを素早く操作して新規アカウントを取得した。

 アカウント名はそのまま〝ジン様〟、そしてプロフィールの文は「かっこいい神様です」、アイコンは今しがた描き上がったばかりのイラストだ。


「『#かっこいい神様 #推してもよいぞ #呼ばれて飛び出てここに見参』っと……こんなもんでいいかな?」


 イラストをタグと共に投稿したあたりで、鈴花はようやく冷静さを取り戻した。

 目の前のジン様の姿形がよくて感激していたが、ツイッターに載せたのは自分が描いた絵だ。下手ではないと思うものの、自分で描いたからこそ粗がわかる。何より、まだラフに毛が生えたくらいの描き込みだ。


「あんまり〝いいね〟つかないかもしれないからね……?」

「ふふ。よいのじゃ」


 冷静になってしゅんとしている鈴花とは対照的に、ジン様はいつまでも嬉しそうにタブレットの画面を見ていた。

 鈴花が自分の夕食の支度をして塩むすびを供えてからも、ずっとだ。


 そして、誰か影響力のある人にリツイートされたのか、ジン様のイラストはそこそこ拡散され、鈴花が想定していた何倍もの〝いいね〟がついたのだった。





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