渓流釣り(中編)

砂山かと思っていたそれは、異様なものだった。


木立の間に、黒い板張りの人形がいる。


丸い黒色の板に、丸いガラス質の目がはめられ、細い木材で眉毛と、鼻と口が作られている。

まるで子供の工作のようだ。


胴体も黒一色に塗られた板だ。


手足に関してはよく見えない。

木立の闇と同化している。


ただ、そのガラス質の目は蠢いていた。

黒目がしきりに、僕の顔と僕の足元のヤマメを行ったり来たりしている。


昼間だったら吹き出したかもしれない。

趣味の悪い工作だと。


だが、薄暗くなった森…とりわけ噂になる禁足地で、妙な動く工作と向き合うのは恐怖だった。


工作は、暗がりから腕をすっと振り上げた。

腕は黒々とした毛で覆われた長い手だった。


工作の裏に、何かがいるのか。


何かが光って、僕の2メートルほど前に落ちた。

美しいイワナだった。

まだ、えらが動き、新鮮だった。


工作は僕の方を見て、イワナを見る。

「これをやる」と言わんばかりに。


僕は気味が悪かった。

先ほど見た腕は、どうも人間の腕には見えなかった。

動物園で見る、チンパンジーのような腕だった。


だが、放ってくれた魚は非の打ち所がない大物だった。

これを持ち帰れば砂山に一泡吹かせられるだろう。


つい、僕は自分の足元にあったヤマメを拾い上げた。


僕の心は満たされつつある。

もっと欲しい、もっと美しい魚が欲しい。


僕はさらに、イワナを拾いあげた。


工作人間はまた何かを放った。


僕の3メートルほど先に、丸々と太ったゴギが落ちた。


僕は飛びつく。


顔を上げる。


工作人間は何かを投げる。


そこで僕ははっとした。

工作人間は、僕を少しずつ接近させている。


美しい魚を拾わせることで、一歩一歩自分の方へ僕を引き寄せている。


僕は、工作の丸い顔を見た。

胴体と同じように板でできた、奇怪な外見だった。

目はガラス質で、真ん中にある黒目は、底知れぬ闇のようだった。


よく注意すると、荒い、獣のような息遣いが聞こえる。

穏便な息遣いではない。

何か、敵意や、獲物を見つけたような、邪悪な息遣いだ。


少なくとも僕はそう解釈した。


僕は、目が覚めたように、後ずさりした。


その様子を見た瞬間、そいつは一歩近づいてきた。


化け物だった。

丸い板の顔、四角い板でできた箱のような身体。

猩々のような毛むくじゃらの長い手足が箱から生えている。


そいつのガラスの目は一層泳ぎ、板でできた眉毛は吊り上がった。


僕は、下がる。


すると、そいつは後ろの茂みに手を突っ込んだ。

引っ張り出すと、なんと首根っこを掴まれた砂山がいた。


「砂山!」僕は叫んだ。

よこし』の主だよ…」砂山は、鼻血を出し、青あざを作った顔でつぶやいた。「さっき、俺も釣りをしてて捕まった。俺はバカだった。釣りなんかでこんな危険を冒して…」


砂山は体中傷だらけで汚れていた。

『よこし』の主…この板人間に襲われたのは確かだ。


「よこせ、よこせ」


とつぜん、低く、奇妙なイントネーションで板人間が言葉を発した。

僕を見て、左手で砂山を僕に突き付けている。


「『よこし』は君がほしいらしい。君か僕が必要なんだとさ」砂山は震える声で言う。


「何をする気だ?」


「分からない」砂山は言った…そして震えはじめた「なあ…お願いだよ。助けてくれ!このいかれた怪物は、多分俺か君を…下手すると食っちまう気なんだ。君が助けてくれるなら、俺はすぐに助けを呼んでくる」

砂山は泣きそうな声で言った。

「俺より君の方が優秀なんだ!頼む、しばしこいつの相手をしていてくれよ…変わってくれ」


砂山が怪物の手に掴まれたまま言った。


僕は、少し変わってあげるべきかと悩んだ。

このまま砂山を預けていては、彼は殺されるかもしれない。


散々に打ちのめされ、抵抗する意思もなさそうだ。


僕は砂山を助けるべきだ。


僕は怪物の方へ一歩進んだ。


砂山の悲痛な顔に、喜びの表情がよぎった。


【つづく】

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