第20話 街道へゆく
ひさしぶりに、愛馬スペルディアの背に揺られての遠出だ。
気晴らしに平原を駆けまわったりはしていたけれど、移動のための乗馬はカナリオ村に来て以来、初めてのことだった。
けれど、ヒトが軽く駆ける程度の並足で進んでいる。
彼にとっては、全速力からはほど遠かった。
「だいじょうぶか、カレン?」
「へ、へいきです。だいぶ慣れてきました」
なぜかと言えば、同乗しているカレンを気づかってのことだ。
わたしの胴に両腕をがしっとまわし、しがみついてる。
亜麻色の前髪がわたしの頬に触れ、少し上気した吐息が首筋にかかるほどの密着状態。
カレンの身体は細身なのに柔らかく、ほんのりといい匂いがする。
そして、彼女の火照った身体の熱が、密着した背中に伝わってくる。
役得というものだろう。
けど、必死でスペルディアの背に慣れようとしている彼女に、そんなことを考えているのがバレたら、きっと冷たい目で見られるていどじゃ済まない。
ヘタすると、しばらくご飯作ってくれなくなるかもしれなかった。
「なら、もう少し速度をあげてもいいか?」
「は、はいっ。……いえ、やっぱりこのままでお願いします」
「分かった」
スペルディアはかしこい馬だ。
カレンを気づかい、揺れをおさえるように走ってくれていた。
「……すみません、レイリア様。わがままを言って」
「気にするな。できればカレンにはもっとたくさん、わがままを言ってほしい」
それはいつわりのない、わたしの本心だった。
◇◆◇
わたしをおどしまくった嵐は、一夜のあいだ荒れ狂った。
その後は、まるでそれが幻だったかのように、快晴の日が続いた。
わたしは領主として、村の被害を見て回った。
さいわいにして、家屋も畑もそこまで大きな被害はなかった。
この地方では夏の嵐は毎年のことだというから、カナリオ村の人たちにとっては慣れたものなのだろう。
ただ、今年は一つだけ大きな被害が生じた。
村から徒歩で半日ばかり、北西にある街道の一部が崩れたという。
わたしが王都から来たのとは反対方面だ。
カナリオ村から直近の町をつなぐ道で、その道を通らなければ、州都はおろか、ほかの近場の町にもたどり着けない。
言わば村の玄関口となる街道だった。
自給自足が基本の村なので、すぐに大ごとにはならない。
けど、放っておけるものでもなかった。
秋になれば、余剰収穫物を町に売りにいく。
代わりに、身の回りの品を買いつけて帰ってくるのが、この村のならわしだった。
今年はわたしも同行するつもりで、楽しみにしていた。
けど、このままではそれができなくなる。
薪や油、絹や綿を買い込まないと、冬を越すのがかなり厳しくなる。
手の空いている村人総出で、復旧工事に取りかかるつもりだった。
もちろん、わたしも現場におもむく。
そこまではいいんだけれど……。
それを告げると、カレンも同行すると申し出たのだ。
「大規模な修理になるなら、現地で
「それはありがたい申し出だが……」
炊き出しなんてなくても、カレンがそばにいてくれるだけで嬉しい。
また何かわたしが間違えそうなときは、彼女の助言が救いになる。
わたしがちゃんと領主の仕事をしてるところを、カレンに見せつけたい気持ちもあった。けど……。
「本気か? 身体はだいじょうぶなのか?」
村の中でさえ、カレンはできるだけ外出をひかえている。
まだまだ日差しの厳しいこの季節に、村の外の街道まで彼女を連れていっても、平気なのだろうか?
嵐の夜から一転、窓の外では灼熱の太陽が輝いていた。
夏の日差しは、まだまだがんばっている。
「だいじょうぶです。このところ身体の調子もいいので。それに……」
カレンは、何かを言うのを少しためらうように、目を伏せた。
「それに?」
「えっと、少しずつ変わっていくレイリア様を、わたしも見習おうかと……」
「変わっている? わたしがか?」
「……やっぱり無自覚なんですね」
「わたしがどう変わっているんだ? 良いほうにか? 悪いほうにか? 詳しく教えてくれ」
けど、カレンは大きくため息をついて、目をそらした。
「やっぱり忘れてください。この話はもうおしまいにしましょう」
「ええ!? なんでだ。教えてくれ!」
「レイリア様、しつこいです、ウザいです」
「うくっ」
カレンの冷たいまなざしが胸に突き刺さり、わたしは黙らざるをえなかった。
これ以上無理に聞こうとすると、本気できげんを悪くすることも経験上知っていた。
「話を戻しましょう。わたしも現場に連れていっていただけますか?」
「それは……」
正直、迷いはあった。
けれど、せっかくの彼女の希望を断りたくなかった。
それに、カレンといっしょに遠出したなら、話す機会も、もっとあるかもしれない。
そう思い、けっきょくわたしは了承した。
◇◆◇
「これはまた……派手に壊れたもんだな」
嵐で崩壊したという街道はすぐに分かった。
北西へと続く道は、
低地では、左右にそびえる崖の土砂崩れを、岩を組み上げて作った
その両脇の石垣がものの見事に崩れ、道をふさいでいた。
わたしはスペルディアから降りて、崩れた石垣を見上げる。
カレンには崩落現場の少し手前、腰かけるのにちょうどいい岩場に座って、休んでもらっていた。
「だいじょうぶか、カレン」
「ええ……。少し疲れただけです。レイリア様は領主のお仕事をしていてください」
「分かった。けど、無理はしないでくれ。よく水を飲んで、日陰でよく休んで身体を冷まして、何かあったらスペルディアに……」
カレンは言葉を返すのもめんどうだったのか、「しっしっ」と追いはらうように手を振った。
……心配ではあったけど、とりあえずカレンのことは置こう。
すでに、カナリオ村の男たちがちらほらと、現場に来ていた。
馬で来たわたしより早いのだから、日の出前には出発してくれていたのだろう。
つどった人の中に大工の男を見つけて、わたしは彼に呼びかけた。
「どうだ、ヘインズ。現場の状況は?」
「おう、領主様か。ええ、まあ、ご覧のとおりでさぁ。こんだけ見事にぶっ壊れたんじゃ、いっそすがすがしいってもんです」
大工のヘインズ。
職業のワリには、小柄で童顔な男だ。
それをおぎなって貫禄をつけるためにか、伸ばした口ひげが、付けひげみたいに見えて正直あまり似合っていない。
けど、大工の腕はたしかだ。
彼には嵐の前に館を補強してもらったり、身の回りの品を作ってもらったり、領地経営をする上でも、日々何かと相談ごとを持ちかけている。
見た目は小さくても頼りがいのある男だ、と言うのはよく知っていた。
「とにかく、まずはこのがれきをのけなくちゃ話になんねえや。修理はそれからだろうな」
「どれくらいかかりそうだ?」
「まあ、十日もあれば、大体の形はなんとかなると思いますや。最初のほうは村のもんみんなでかかればすぐでさぁ」
「ああ、じゃんじゃん使ってくれ」
人手が集まるまで、ヘインズとともに現場を見て回りながら話を交わす。
「とりあえず人が歩けるようにするだけなら、難しくねえ。けど、脇の石垣を修理するのは、ちぃとばかし、やっかいだな」
「なるほどな。なら、取りあえず通行できる形だけ作っておくべきか」
「いんや。それだと、また嵐になったとき大変でさぁ。ここはきちっと石垣まで直しとかねえと、修理の途中でまた崩れるなんてことがあったら、大惨事ってもんです」
「ま、また嵐がくるのか?」
あの恐怖の夜の記憶がよみがえり、声が少しうわずってしまう。
さいわい、ヘインズは気づかなかったようだ。
もし相手をしているのがカレンだったら、即バレていただろう。
「たまにそういう年もありますやね」
「そうか……。なら、きっちりやっておくべきだな」
そうこう言っているあいだに人が集まってきた。
けど、その中にカナリオ村の人間ではない者が混じっていた。
女性だった。
しかも格好から察するにあれは……。
ふと、カレンのほうを振り返ると、スペルディアの後ろに隠れるように身をかがめていた。
「何をやってるんだ、カレン!?」
わたしはあわてて、彼女に駆け寄った。
スペルディアはかしこい馬だけど、そのお尻のあたりにかがみこむなんて危険すぎる。
万一、彼が後ろ脚で蹴っ飛ばしなんてしたら、カレンの細い身体だ。
大怪我じゃ済まない。
と、カレンは、今度は駆け寄ったわたしの背に身を隠すように、回り込みはじめた。
わたしの身体を盾にするように、身をかがめる。
こんな挙動不審な彼女を見るのは、はじめてだ。
「カレン?」
「しっ。……レイリア様、大きな声で名前を呼ばないでください」
彼女はわたしの肩越しに、どこかへ目をやっていた。
その視線をたどると、彼女が見ているのはどうやら、村の者ではない、例の女性のようだった。
「……まさか、こんなとこにあの人が来るなんて。油断でした……」
「カレン、あの人がどうかしたのか?」
「レイリア様。わたし、急用を思い出しましたので、屋敷に帰らせていただきたいと思います」
「帰るって、徒歩でか?」
「はい、いまから急げば日暮れまでには……」
と、カレンの視線の先にいた人物が、こちらに近づいてきた。
「あら? カレン!? そこにいるのはカレンなの?」
呼びかけられても返事をせず、カレンはますますわたしの背に隠れようとする。
ムダなことだと思うけど……。
「あなた、正気なの? こんなところにいるなんて、いったいどういうつもりかしら?」
「ちっ」
聞き間違いか、と思った。
カレンが品悪く舌打ちするなんて……。
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