第34話 音宮鈴音 方針転換

 失態だ。

 私は大失態を犯した。

 まさか自分の部下に、研究過程で生じた問題に関する全てのペナルティを背負わせてしまう事になるだなんて。

 しかもよりによって、一番これ以上後が無い久我真人くがまひと君に。


 私はレンウッドに事の撤回を求めたものの、やはりと言うべきか、決定が取り下げられることはなかった。


 私が罰を受ける分にはいい。

 何故ならこれは私の研究なのだから。

 しかし他の研究員は私の理想わがままに付き合ってくれているだけだ。

 幾ら仕事だからとは言え、私の研究に付き合わされている彼等が責を負う必要は無い。


 だが私が彼の前で無様を晒してしまったばかりに、久我君は全ての責任を勝手に引き受けてしまった。

 どれだけ馬鹿で、お人好しなのだろう。

 いや、それは私もか。


「いつまで潔癖であろうとしてんのサ、科学を発展させるにハ、少なからず犠牲が必要不可欠なんだゼェ?」

 レンウッドに言われなくとも、そんな事は分かっていた。

……解ってしまっていた、これまでの研究成果によって。


 試験管の中の命ホムンクルスは人工的に生み出し、培養液の中で育てることは出来ても、それを外部に排出すればたちまち絶命に至ってしまう。

 どんなに状態が良かったとしてもだ。


 外部に排出しても完全な健康優良児として成長を続けさせるには、やはり培養させるのが生物由来の正常な器である必要があった。

 要するに子宮だ。


 試験管内で創造した生命を子宮内に人工受胎させ、成長から生誕までのプロセスを代理母に担ってもらう。

 体外受精に似てはいるものの、受胎させるのはあくまでも人工的に創り出した命。

 そのためどんな影響が代理母に起こるかは未知数。

 それでも理論上であれば、成功率は今よりもぐっと高くなる。


 けれどそれに手を出すには倫理性や母胎への安全性があまりにも欠落し過ぎている。

 何より、私の悲願でもある母体によらない人工生命ミュータントという目標を自らの手で破棄する事になりかねない。

 それだけは……受け入れ難い選択だった。

 私が積み重ねたこれまでを全て否定するみたいだから。


「ハァ……」

 気を晴らすため私は研究所から外に出て、誰もいない真夜中の浜辺を歩く。

 心を落ち着かせてくれる、押し寄せては返す波の音。


 ハワイこの支部に来てから、行き詰まったり思い悩んだりしたらこの場所に訪れるのが私の日課になりつつあった。

 思考が整理されて突破口が見えたりしたものだったけど、最近では先の見えない問題を前に二の足を踏んでるだけにも思える。


「あれ、音宮主任?」

 聞き馴染みのある声に迷宮入りしていた意識を現実に引き戻されて振り返ると、そこには部下の久我君の姿。


「あら、まだ起きてたの。先に上がらせたのにまだ帰ってなかったのね」


「アハハ、ちょっと寝付けなかったんでジョギングしてました」


「そう」

 そこで会話が途切れて、私達の間に少しの沈黙が流れる。

 私が何を話せば良いやらと考えていた時、久我君が穏やかに笑って切り出した。


「最近、何か悩んでますよね」

 ドキリと心臓が脈打った。

 周りに下手な疑念や心配を抱かれないよう毅然と振舞っていたのに、隠し通せていなかったのだろうか。


「安心して下さい。多分ですけど、自分以外は気付いてないと思います」

 久我君の言葉に私はひとまず胸を撫で下ろす。

 だけどダイモンドこの企業で弱みを見せればそこを突かれ、あっという間に奈落へ落とされる。

 これからはもっと用心しないと。


「ちょっと休んで話しませんか? 自分、飲み物取って来ます」

 そう言って走って行った真人を見送ると、私は近くのベンチに腰を下ろす。


湿り気を帯びた深夜の空気。

雲ひとつ無い快晴の夜空から見下ろしている満月をボンヤリ眺めていたら、程なくして久我君が戻って来た。


「お待たせしました! どうぞ、オススメの一品です!」

 彼の手には二つの同じ缶ジュース。

 確か、最近発売されたエレクセントリックとか言う名前の飲み物だ。


 確かダイモンドコーポレーションの傘下に入っている企業が最近発売したとか言う科学飲料だったかしら。


 微弱な静電気を内包したフルーツフレーバーを溶かし込んでいて、液体の中で程良い強度で帯電させている事による飲んだ際の刺激が丁度良く、学生を中心とした若者の間で密かにブームが巻き起こっているのだとか。


「ありがとう」

 開け口からピシリといった独得の開栓音。

 口を付けると炭酸とは異なった、素材特有のパチパチした甘味が口に広がる。


 新鮮な味覚の余韻に浸っていると、隣に座った久我君は一息に自分の手にした缶を飲干していた。


「く〜っ、口の中が弾ける感覚、これなんですよこれー!」

 嬉しそうな久我君の顔に、私も頬が緩む。この電気飲料が開発された経緯を知っていたから。


 元々、エレクセントリックは新たなる新型液体軍事兵器としてダイモンドコーポレーション傘下の飲料メーカー、トワイライト株式会社によって密かに研究が進められていたらしい。


 中でも高圧電流を宿した海水の効果的な利用法について注力されていたみたいだ。


 だが研究は思うように進まず、研究費がかさむ一方で成果を出せない状態が続き、ダイモンドからは無駄にかさみ続ける研究費をどうにかしろとかなり圧力をかけられていたみたい。


 そこに当時の若手社員の一人が、いっそのこと兵器路線は諦め、これまでの研究結果を自分達の本文である飲料水に還元し、その利益を以て研究費を返そうと提案したのが事の始まりらしい。


「仕方……ないわよね」

 私は重い息を吐き出して立ち上がる。

 もう迷っている場合じゃないのは分かっていた。

 だから、私もトワイライト社のように路線を変え、せめて結果だけでも残さないと。


「久我君……いえ、真人君」


「ど、どうして急に下の名前を!?」


「いいから、大事な話なの」

 呼び方を変えたのは彼に対する信頼の証。

 だけどそれを言うと調子に乗るだろうから、私は敢えて話を進める。


「研究路線を変更するわよ。それによって、他の研究みたいにかなり非人道的な実験も多くなると思うわ。

 それでもあなたは、私を信じて着いて来てくれるかしら」

 私の真剣な面持ちから察したのか、真人君も平静を取り戻し、すっと立ち上がる。


「もちろんです。

 自分は音宮主任を護ると誓いました、なので最後までお供させて下さい」

 まったくこのは……。

 最初に選んだ研究員が彼だったのも、何かの因果だったのかもしれないわね。


「なら最後まで頼らせてもらうわ。

 それと、これからは鈴音と呼びなさい。主任もいらないわ」


「! はい、鈴音さん」

 鈴音さん、か……何だか一気に互いの距離が縮まったような気もする。


 こうして十九年前の六月。

 私は新たなる決意と真人君を道連れに、血塗られた一歩を踏み出した。

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