第29話 臨戦
ドーヴァー海峡に浮かぶ青龍の死骸。
その内部、
『神谷くん、無事かい!?』
孝介が身に付けている腕輪型通信機から先程の少女のような声が切迫した様子で呼び掛ける。
「はいッス」
『ホントに、本当に大丈夫なんだね!? 高度一万メートル地点で亜空音速機の反応が途絶したから──』
「大丈夫、大丈夫ッスから! …悔しいけど八鍬さんのおかげでなんとかなって、今は
『そうかい……』
ホッとした様子で少女の声が落ち着きを取り戻すと、一転して真剣味を帯びた声色に。
『では、現状の報告をしてもらえるかな』
「了解ッス」
孝介は伝えた。事細かにこれまでの出来事を。
落下中にアルトカタストロフの身体に孝介の能力によるレストルームを造り、秀雄と共に避難し事無きを得た事。
そして…秀雄が外部へ出る事を禁じ、単身敵地に飛び込んで行った事まで。
『そっか……恐らくだけど、八鍬の判断に従ったのは正解だったと思う』
孝介の報告を聞いた後、少女の声は深刻な様子で口を開いた。
「それは、どうしてッスか」
『これを見てほしい』
少女の声と共に、セーフティールームに備え付けてあるモニターが起動し、成層圏外からイギリスを写した画像が表示される。
「これって──!」
画像の内容に驚愕する孝介、少女の声は続ける。
『ダイモンドが保有する虚数観測衛星エンリルにハッキングして得られた情報だ。
イギリス全域には到ってないまでも、見ての通りブリテン島全体が金色の雲に覆われている。
恐らくは救魂の
もし一歩でも外に出ていたら、どんな影響に晒されていたか判ったものじゃない』
「そんな……だから八鍬さんは、僕にあんな事を」
孝介は思い返す、自らに出るなと告げた秀雄の顔を。
『敵ながら彼の実力と本質を見抜く目には感服するよ。いけ好かない奴ではあるけど、味方であればこれ程心強いなんて、敵対しているのが残念でならない』
「勧誘はしないんッスか?」
自らで発した疑問ではあるものの、すぐさまそれが実現した場合の内容を想像し、孝介は身震いする。
敵でなかったとしても、あれ程の覇気に満ちた者が仲間としてでも側にいるのは大変胃によろしくない。
『一時的な同盟を持ちかけられた際にそれとなく探ってはみたんだけど、ありゃダメだね。彼の理念と私達の使命が致命的に合っていない。
今回の事は、たまたま私達と部分的に利害が一致していたから協力出来ているに過ぎない奇跡の作戦と考えるべきだろう』
「そッスか」
『戦力的には惜しいんだけどね』
内心でホッと胸を撫で下ろす孝介の前で、残念そうにボヤく少女の声。
八鍬秀雄、通称能力者殺し。
ダイモンドコーポレーション関東支部の所長を務める彼の能力にかかれば、例えABWであろうと能力者であろうと全ての異常性は取り除かれ、抵抗する間もなく絶命に至る。
断片的な情報を得てはいたものの、アルトカタストロフとの戦いを実際に目にした後ではその凄まじさがひしひしと伝わっていた。
「大丈夫なんッスかね」
孝介は秀雄が出て行ったドアに目をやってポツリと漏らす。
『ん? 何がだい』
「八鍬さん、あんな概念領域じみた敵地に一人で乗り込んで」
概念領域。
それは、能力者が自らの力を極めた果てに辿り着くとされる技術の極意。
能力者は自らの内に秘める前提思想、即ちこの世界に対して持ち得る概念を具現化して能力を行使する。
それは夢であったり、願いであったり、思想であったり……。
人によってその起源は様々だが、いずれにせよ共通しているのは【現在の自らを構成するに至った存在の核】が起源となって能力が行使されている。
概念領域とは、そんな自らの想念を現実世界に部分的に当て嵌める事で、自らに有利な領域を一定の範囲内に展開して行使する、言わば能力者に於ける一つの完成形とも言える代物なのだ。
それ故に孝介は憂慮していたのだ。
如何に最優の能力者の一人と称されるようとも、一国を覆う程の大規模な概念領域に踏み出した八鍬秀雄の事を。
『キミが敵を心配するなんて珍しいねぇ、彼と何かあったのかな?』
楽しげに訊いてくる少女の声に対し、孝介は慌てて否定する。
「し、心配いなんてしてないっすよ! 寧ろあんなのが敵として立ち向かって来たら、絶対に勝てないし殺り合う前に恐怖で心臓止まっちゃうッスから、これを機に
ひとしきり捲し立てたあと、ケラケラと笑う少女の声の前で孝介は一呼吸置く。
「そうじゃなくて、相手はあの救魂の
──ギュイィィッ、 ギュイィィッ
孝介が続けようとした時、レストルームに甲高く鳴り響く警報。
その音が意味するものは──
「ッ! 世界終焉シナリオの発令?!」
『神谷くん、大変だ!!』
先程とはうって変わり、少女の声から余裕が消える。
しかもその焦り様は、孝介が入隊して以来初めて見せるほどのものだった。
「救魂の
『違う!! 状況はもっと深刻だ!』
半ば怒鳴り散らすような少女の声に孝介は当惑。
ただ一つ、これまでに無い何かが起こっているのだけは確かだった。
『ノストラダムス演算機が未来を──…いや、現在を叩き出したんだ!』
「現在!? ノストラダムス演算機は憂慮される未来を算出して、それを結果として提示する装置の筈ッスよ! それなのにどうして未来を観測してないんッスか」
『してたんだよ! してたけど…八鍬秀雄が自分の研究都市とこの世界の連続性を剥奪していたからラグが発生したみたいなんだ!!』
「そんな、じゃあ今何が起きてるんッスか!?」
孝介の疑問に心底深刻な状況であると知らしめるためだろうか、少女の声に徐々に重みが乗っていく。
『起きてるんじゃない…起きたんだよ』
かつてない程に深刻そうな少女の声に、孝介の言葉が詰まった。
起きたとは一体、どういう事なのかと。
『いいかい、落ち着いて聞いて欲しい。
我々はもう死んでいる……この世界と共にね』
「…………………………………………は?」
『この世界だけでは無い。信じられない事だけどノストラダムス演算機によれば、この世界を含めた七つの平行世界が同時に滅んだらしいんだ』
「ちょ、ちょっと待って欲しいっす! 何が……どうして……………」
『原因は分かっていない。だけど研究都市で何かがあって、その結果七つの平行世界が同時に滅ぶ程の何かが起こった。
幾ら八鍬の能力によって現実性の連続がこちら側と剥奪されているとは言え、世界が七つも消滅するレベルの脅威には耐えられなかったんだろう』
「そんな、なんとかならないんスか!? これまでだって僕達は世界滅亡案件に対処してきたじゃないッスか!」
『──っ、無理なんだっ!』
気を動転させた孝介の言葉は少女の悲痛な叫びで静かになる。
数秒の重い沈黙が流れた後、少女の声が続けた。
『……これまでとは違って、今回はこの世界を守るために講じた八鍬の対処が悪影響を及ぼして何が原因となったのか全く解らないんだよ。
原因が判らなきゃ、対処なんてしようがない……』
「そんな………………」
孝介はその場に崩れ落ちる。
絶望で思考停止した脳内に、少女の声を響かせながら。
『もう実際に影響が出始める頃だ。
我々は既に亡き存在だが、その原因をこれから体験する。これまでこの世界のために我々と共に尽くしてくれて、ありがとう』
直後ノイズが
レストルームに流れる静寂。
そんな中、孝介の頭に希望が舞い降りる。
「そうだ、僕のレストルーム。それと、後で極刑は免れないだろうけど……これならいけるかもしれない──!」
世界は既に滅びた、その事実はもう覆せない。
だが、滅びた七つの平行世界のうちこの世界だけであれば或いは。
この事が知れれば例え目論見が上手くいったとしても組織を追放、或いは死よりも恐ろしい極刑が課されるかも知れない。
それでも孝介はこの案を閃いたと同時に行動を開始していた。
迷っている暇はない。
実際の影響が表層化するまでの時間が残されていないのだから。
孝介はセーフティールームのトイレに駆け込む。
孝介の能力、
どちらかと言えば、手で触れられる物体を媒介にして虚数空間に造っておいた部屋に
従って媒介にした物体が存在する世界で何が起きようと、部屋の中にまでその影響が及ぶことは無い。
そしてその更に外部、つまりは部屋が存在出来ている虚数空間への直接的な介入が出来る手段が一つだけ存在している。
それがこの部屋のトイレだ。
セーフティールームのトイレは虚数空間へと繋がっており、虚数空間へと排出された物体は現実世界からの存在定義が失われ、物質データとして崩壊しこの世界に取り込まれる。
そんな一方通行の干渉ではあるものの、孝介は初めてトイレを通して虚数空間に封じられた物質を取り出そうとしていた。
その名も【封殺指定十二武器ヘファイストスシリーズ】
かつて孝介が所属する秘密組織が設立して間もないころ、あらゆる天変地異に対応するための兵器の開発計画が発足。
そんな計画の一貫として当時創られたのが【自律型兵器開発装置ヘファイストス】。
秘密組織の者達は当時存在していた脅威となる十二個の災厄のデータをヘファイストスに読み込ませ、それに対する特攻兵器の開発をその装置に期待していた。
然し結果は、不幸な事にその期待を大きく上回る事となる。
確かに産出された兵器はそのどれもが読み込ませた厄災に対するこれ以上ない特効薬だった。
ただし、その兵器を使用した場合副次的な影響によって世界そのものがそれぞれの形式によって滅んでしまう。
よって秘密組織の最高幹部達はヘファイストスによって自動創造された十二個の兵器を【ヘファイストスシリーズ】として定義し、この世界の構成する
それに伴い、自律型兵器開発装置ヘファイストスとその設計図の即時解体、廃棄を実行。
この一連の騒動によって秘密組織の幹部を中心に新たな条約が制定。
それは、例え世界消滅案件であってもヘファイストスシリーズの使用を永久的に禁止するというもの。
例外的な措置として対処不能の災厄に対峙した場合のみ、事態に応じたヘファイストスシリーズの設計図が限定的に公開される。
但しどれだけ技術を駆使しようとも人類の手ではヘファイストスシリーズは再現不可能なため、オリジナルとは程遠いレプリカ品となるが……。
しかし孝介は今、レストルームのトイレを通じて虚数空間からキューブを
その試みは、孝介の所属する秘密組織に於いて最大の禁忌。
そのため手を出せば死よりも恐ろしい極刑は免れない。
それでも孝介は自らの独断で事に及んだ。自らの安全を顧みず、世界の命運を懸けて。
「我、求む。故に我、在り」
体内を流れる虚数回路を喚起。
蓋の開かれた洋式トイレの中に手を翳し、詠唱。
其れは、孝介が所属する組織内での最大級の禁句。
オリジナルのヘファイストスシリーズを取り出すための極秘詠唱。
かつて一度だけ違反事件の対応員として任務を遂行していたからこそ知る事になった、自らの内に仕舞い込んでいた奥の手。
「其は、常世全ての認識を覆す物。
其は、常世全ての知識を翻す物。
起きよ、起きよ、起きよ。
我の求めに応じ答えるならばその意、その理を我が前に示せ」
ガタガタとセーフティールームの存在定義が揺らぐ。
少しでも気を緩ませれば存在概念が解け、虚数空間に取り込まれてしまいかねない。
それでも孝介は手を緩めなかった。
まるで千本の針に一度のミスも許さず連続で通すかの様な所業。
精神も神経も摩耗し、いつ焼き切れてもおかしくは無い。
だからと言って失敗なんて結果は許容出来なかった。
「我が名は神谷孝介、未来を補完する者。
その意、その価値に見合うならば、その力を我に預けたまえ」
ゴポゴポとトイレの水が沸騰する。
沸騰した水は光を放ち始め、十二個の光の玉を浮かび上がらせると、光速で回転し始め一つの光の輪を成し始めた。
「
詠唱が終わると光の輪は縦三本に分裂。
そして三本に分裂した光の輪は一つの円柱を内側に出現させ、広がってトイレの内部を光で満たした。
「……よし、これで」
光が治まった時、孝介の手にはキューブ状の淡く光る半透明の物体が握られていた。
術は成功、だが安心はしていられない。
トイレを出て、
幸いまだ崩壊は始まっていない。ドアから身体を離し、ドアの向こうにある現世に向けてキューブを突き出す。
「
孝介はキューブを上下から挟み込む様に握ると、捻る。
途端キューブが上下に分かれ、姿を表したのは角張った螺旋。
その螺旋はレストルームの外に拡がる現実世界のありとあらゆる情報を瞬時に感知し吸収、記録。
それが終わると螺旋の内側で演算、再定義。
──ゴガガガガガガガ
時空と大地が同時に揺れて、世界の終わりが始まった。
外の世界では様々な物質がまるでミキサーにかけられたかのように空間ごと切り刻まれ、崩壊していく。
「頼むから上手くいってくれッスよぉぉ」
振動が大きくなる部屋の中、孝介は脂汗を滲ませ必死に捻ったキューブを握り締める。
演算はもう終わっている、しかし今手を離せば再構築された定義が狂い、何もかもが虚無の藻屑だ。
外部では世界そのものが膜のように薄くなり、そして小さな虚空のエネルギー体に呑み込まれていっている。
そんな外界で無事なのは、青龍の体に出現していたレストルームのドアだけ。
虚空のエネルギー体は他にも膜となった六つの世界を呑み込むと、眼の形をした世界へと放たれた。
正しく七つの世界そのものが弾丸となった一撃として、目の形をした次元に空いた異界を破壊するために放たれていたのだ。
そして異界に当たると花開き、それぞれの並行世界の光景を映した爆炎となって散る。
「今っ─────!」
孝介はドアを蹴り開け、手にしていたキューブを放り出す。
すると孝介のセーフティールームを起点として再構処理がされた世界が宇宙空間に拡がっていく。
まるで走馬灯のように幾つもの光景が煌めき、拡がり、何も無くなった空間全域にまるで風呂敷を広げるかの様にして様々な光景が
「一か八か、上手く……いって下さいッスよ………」
コロコロと変わる様々な元素のガスや空気の影響によって孝介は苦し気に笑うと、そのままドアを閉めて床に倒れ込んだ。
⌛ ⌛ ⌛
「ぅう……ん…」
暫くして孝介は目を開けた。
ゆっくり身体を起こし、腕輪型通信機を確認する。
どうやら三十分程気を失っていたようだ。
激しく痛む頭を抑えフラフラとドアに近付くと、ドアスコープ越しに外の様子を伺う。
レストールームの周りには崩壊前と変わらず金色の雲が織り成す概念領域が拡がるドーヴァー海峡周辺の風景。
「ハァ……ハァ…、せ、成功した……ッス」
安心感と共にドッと噴き出した汗。
今更ながら自らのしでかしたとんでもない行為に腰が抜けてしまい、孝介はその場に崩れ落ちた。
ヘファイストスシリーズのキューブを司っていたラビリンスを使用した反動か、それとも失敗する可能性が高かった試みを成功させた反動からか……いずれにせよ体全体が痙攣して力が入らない。
ヘファイストスシリーズの使用によって精神力を大幅に消耗したものの、孝介の心は今、滅亡を乗り越えた達成感によって満たされていた。
『孝介! 神谷孝介聴こえるか!!』
先程の少女の声では無く、孝介が所属する秘密組織の支部長の野太い声が腕輪型通信機から響く。
『こちら、神谷孝介……』
『ヘファイストスシリーズの不正な使用が確認されている、本部からも怒りの通達が来ているぞ! どういう事かキッチリ説明してもらうからな』
『もちろん……ッスよ』
どうやらラビリンスは元の世界の完璧な再現は出来なかったらしい。
ノストラダムス演算機による世界終焉シナリオを原因とした滅亡の事象はこの世界線から無かったことにされているようだ。
疲れた顔で孝介は笑う、それでもいいかと。
自分にやれる事はやりきった、後に残されている
「スンマセン。どの道今動けないんで、ドーヴァー海峡まで迎えに来てもらってもいいッスか」
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