第13話❷ 救い無き現実
絞め上げられる喉。
藻掻いても抗っても、緩められることの無い凶手。
「ゲッ……け……」
首の激痛から叫ぶ。しかし
ぼやけていく視界で歪む、嗜虐に満ちた悪魔の笑い。
「苦しいでしょう」
「怖いでしょう」
ねっとりとした悪意を乗せて。
「ですが恐れることは無いのです」
殺害に至る過程を
「死は我が主による福音であり、死こそが真なる解放に必要不可欠なのですから」
楓にはもう、紫藤が何を言っているのかさえ理解出来ていなかった。
薄れ行く意識のただ中で、楓は想う。
これまでの人生を。
独り遺されるであろう父を。
そして穴に吸い込まれ消えた、唯一無二の大切な友達であり、親友を。
(琴海は、もう、逝っちまってんのかな……まだ、生きてるなら、ゴメン。あたしは、ここまで……みたい……だ……)
ぐるりと反転する視界、途切れかける意識。
しかし幼い声色がその狭間に滑り込んだ。
『かえで』
大切な友を、呼び止めるかの如く。
『しんじて』
信じる、何を?
考えるまでもない、楓の本能が反射の如くその内容を想起する。
「──っ! ゲハっ、ゴホッ」
突如として楓の身体が自由を取り戻す。
ドサリと床に崩れ落ち、せき止められていた空気を一気に吐き出すようにむせ返る。
「な、何だ」
痛む首に手を当て頭を上げると、傷を受けたと見受けられる手を擦ってニヤニヤと佇む紫藤。その視線の先に──
「あなたの、謀略も、ここまで、です」
腹部の傷を庇う姿勢で立ち、片手でアサルトライフルを構える軍服の少女、
立っているのもやっとのようで肌からは血の気が引き、その身体は小刻みに震えている。
息も絶え絶えの様子から無理に動いてはいけないであろうことは明白。
だが、そんな彼女の眼には未だ潰えぬ戦意が宿っていた。
「ま、まままだ動いちゃだだだ駄目ですよ!」
その隣では膝を付き、涙目で慌てる
軍服の少女は苦し気に目を細める。状況に怯えながらも自らの身を案じる少女に対して。
「ご、安心を。我々は、これくらいでは、殺られません」
チラリと傷口から退かされた手には、朱色に染まった一枚の札。
貫かれた腹部の傷を覆ったその札からは、何故かそれ以上血が溢れる事は無い。
「流石は虚数使い、封血の札を携えているとは用意周到ですねぇ。みっともなく足掻かれてはこちらとしても面倒なのですが」
紫藤は侮蔑と嘲笑を含めた視線を藤乃に送る。
その僅かな所作の一つだけで楓はすくみ上がってしまう。
その視線が、悪意が、藤乃に向けられたものであることは理解出来ている。
丁寧な口調。だが含まれる悪意の数々が、まるで喉元に刃を当てられ続けられているかのような錯覚を楓に憶えさせていく。
それは楓にとって初めての感覚。
能天気で、楽観的で、大抵の不良相手には負ける気もしないし、スポーツ選手が相手で無ければ大抵の競技はこなせてしまう。
そんな楓が今、手も足も出せずにただ震えることしか出来ないでいた。
殺されかけたからか?
それはあるだろう。
目の前で銃を持った軍人の少女を、素手で瀕死に追いやったからか?
それもまたあるだろう。
だが楓が動けないでいる程の恐れは、内に秘めた本能から沸き上がっていた。
頭が他者より回らないからこそ、誰よりも敏感に肌で感じてしまっていた。
その証拠に楓よりも頭の回る秋穂はその知性故に混乱し、恐怖の度合いでは楓よりも幾分かはましなものとなっている。
紫藤の言う事も、目の前で起きている状況も楓にはまるで理解が追い付かないが、それでも解る事は一つだけ。
この
「二人には、手……を、出させません」
呼気荒く、藤乃は尚も戦意を研ぎ澄ませる。
「アナタ、の、思惑は、派遣元、の、支部を考えれば、想像、出来……ます。私……は、今を生きる人類として……っ、悲劇の、火蓋を、切らせません」
瀕死の藤乃が戦端を切る。
致命傷を負っているとは思えない程の圧倒的な踏み込み。
手に携えたアサルトライフルを放ちながら、その距離を縮める。
「こんな
血濡れた片手を伸ばして嗤う紫藤、鉛の雨を一身に受けながら。
「何が出来ると言うのです」
そのままアサルトライフルライフルを掴むと、一気に握り砕く。
それを見て秋穂が、楓が、驚愕と絶望のあまり言葉を失った。
アサルトライフルによる攻撃を受けたにも関わらず、紫藤の肉体には傷一つ付いていない。
然し当の藤乃だけは冷静に銃を手離して身を屈めていた。
もう一枚、札を手にしながら。
「何もしないよりはマシです」
そのまま紫藤の脚部に貼り付け、後方へ跳躍。
直後、札の中から這いずるようにして伸びる二対の呪痣。
呪痣はまるで意思を持つかの様に紫藤の身体を這い上がり、それぞれ別々の角度から締め付ける。
「ふむ、何ですコレは」
「時限式の、呪いです。どんな相手であれ、死に至らしめるまで、効果は、続きます。例外、は……ありません」
紫藤が虚数を含んだ吐息の様な言語を発し、痣に手を当てる。
だが呪いにより構成された痣に変化は無く、確実に取り憑いた肉体を内部から締め付け続けていた。
そこで紫藤は納得したように深く頷く。
バキゴキ、メキグシャと骨や筋肉、果ては臓物に至るまでのあらゆる身体機能の崩壊音を立てながら。
「なるほど、どうやらワタシの技術では虚数理論的に解除は不可能のようですねぇ。であれば致し方ありません」
落ち着き払い、まるで憑き物が落ちたかの様な貌で紫藤は笑う。
「一度、死ぬと致しましょう」
グシャリと飛び散る紅飛沫。
それはまるで水を大量に含んだ雑巾を一息に絞り切る様な、原型も残らない程に無残な死に様。
「キャアアアアアァァァァ……」
秋穂が絶叫し、同時に失神して仰向けに倒れる。
生臭い液体を全身に浴びた楓は、眼前で起きた凄惨で不可思議な出来事に、ただただ言葉を失って動けないでいた。
顔を拭う。
ベットリと付着する紫藤の血液。
体中を覆う生々しい鉄臭さで、込み上げそうになる吐き気。
「な、何したんだ……今…」
震える声で、ポツリと一言。
視線を上げれば、紫藤の亡骸は螺旋状に捻れた肉のオブジェとして目の前で佇んでいる。
「何したんだって訊いてんだよ!」
声を荒げて藤乃に目を向ければ、軍服の少女は少し離れた地点で苦痛を堪えながらも地に片膝を突いていた。
「我々の脅威を、排除、しました。本来、であれば……外の、怪物に、使うための、切り札、だったのですが──っ」
そこで藤乃の言葉が切れる。
一点を注視し、微動だにしない。
「お、おいどうしたんだよ。何を見て……」
藤乃の視線を追って、楓も硬直。
琴海が穴に消えてからと言うもの、幾度も信じられない光景を目の当たりにし続けてきた。
だが現在目にしている現象は、それ等をも凌駕している。
視線の先には、紫藤の亡骸。
その赤い血肉のオブジェは液状化を始めていた。
輪郭が失いつつあるソレはグズグズと蠢きながら分裂し、やがて二つの塊に別れてそれぞれが同じ姿の人の形を構成していく。
「あ……あぁ……そんな……」
楓の口から溢れる、絶望の吐息。
希望を打ち砕かんとする、混沌の光景。
それぞれ全く同じ姿を型取っていく、二つの
服装も、容姿も、全てが瓜二つに。
「「今のは少し、ほんの少しだけ痛かったですよぉぉお」」
二人に増えていた。
紫藤龍之介が、白衣を着た悪魔の男が。
「う、うぅ嘘だ……だ、だって、だって、さっきお前……死んだじゃないか」
「ぇえ、えぇ、確かにワタシは死にましたとも」
震えながら指摘する楓の目の前で、右側の紫藤が眼鏡の位置を直す。
「ですが、そんな事でワタシは終わらないのですよ」
左側の紫藤が白衣を整える。
「チ……ッ」
張り詰めた空気の中、藤乃が深く舌を打つ音が響いた。
楓がゆっくりと振り向くと、藤乃は片膝を突いたまま、額に脂汗を浮かべて分裂した紫藤を睨み付けている。
「能力者……だったのですね。虚数使いにしては……頑丈すぎると……思ってはいましたが……」
「虚数使い……? 能力者……? な、何なんだよそれ、訳わかんねえよ」
困惑する楓。
そんな彼女に向けて、紫藤が言葉を放つ。
「「この世界に
「だから……どういう事なのさ……」
その意味について識れば、取り返しのつかない後悔に囚われるだろう。
この状況が更に悪い物に感じてしまうのだろう。
そう予期したにも関わらず、楓はその口を止められなかった。
「良いですねぇ、知りたくて知りたくて
その反応に対する悦びを左側の紫藤が体現する。
「ダメです……紫藤……やめ、な、さい」
藤乃は狂人の口を閉ざそうと足を引きずる。
だが身体が言うことを聞かず、そのまま倒れ込んでしまった。
「虚数については2乗したら0未満になる数であると授業で説明しましたが、アレは本質を捉えてはいません」
自身の顔の側で人差し指を立て、右側の紫藤が口を開く。
「急に何だよ……そんなの知らねぇよ」
「そういえばあの時、アナタは無作法にも寝てましたか。まあ良いでしょう、虚数が本来意味するモノは何か、虚数使いと能力者は何が違うのか、ワタシからの最後の授業と致しましょう」
そして二人の紫藤は解説を始める、悪意に満ちた目を三日月型に歪ませて。
「紫藤──」
藤乃が叫ぶ。だが弱りきって掠れたその声はか細く、彼の語る真実を妨害するに至らない。
「「まず虚数とは……」」
⌛ ⌛ ⌛
「マジかよ、それ」
真実を聴いてしまい、楓は視線を落とす。
虚数とは、能力者とは、虚数使いとは。
それに加えダイモンドコーポレーションの真の顔、そして瓦礫の外側で暴れる怪物の正体まで知らされ、疑問の代わりに残ったのはより大きな絶望感だけだった。
何か突破口が見つかるのではと期待しなかったわけでは無い。
だが実際には自分達が絶望的な状況に立たされていると知っただけで、本当に何の成果も得られなかった。
寧ろこの世界は、楓が思うよりもずっと前から手遅れで……。
だから信じたくなくて、楓はゆっくりと藤乃に視線を送る。
だが藤乃は口惜しそうな顔で目を背けるだけで、そんな彼女の態度が真実である事を裏付けてしまっていた。
「じゃあ何だ……あたし達は何も知らずにお前らの商品買ってて、その金がそんな恐ろしい事に使われてたってのかよ……」
「楓、さん」
倒れ込んだまま落ち着かせようと、藤乃は頭を上げる。
だがこれまで味方に感じていた軍服の少女に対しても、楓は敵意を抱き始めていた。
「話しかけんな! 進化のためだか何だか知らないけどさ、こんなの絶対おかしいよ!
人間のやる事じゃないっ、許せねぇ」
楓が床に拳を打ち付け、強く握る。
その上に垂れる涙。一粒、二粒と温度を保って。
「けどさ、だけどさ。一番許せねえのは……そんな奴等に何も知らないで金を渡してた、あたし達だっ──」
瓦礫の向こう側から続く、激しい戦闘音。
真実を知る前に比べれば、ソレに対しても別の印象を持ってしまう。
「高橋……さん……」
か細い藤乃の呼びかけに、楓は少し目を見開いて振り返る。
「どうしてあたしの名前を……」
「先程……ご友人が……貴女を……そう呼んで……いましたから」
弱々しく微笑み、死力を振り絞って藤乃が立ち上がる。
先程よりも衰弱した体で、尚も二人を護ろうと意識を奮い立たせながら。
「幻滅……したでしょう。嫌悪……したでしょう。それでも……構いません。誰よりも……何よりも……その罪は……感じて……いますから」
藤乃が最後の武器を構える。
それは自らの四肢。
最も原始的であり、原初の力。
其れ即ち暴力と武力の起源。
「ですが、忘れないで……下さい。その状況に……反旗を翻そうと……した人達も……いる事を」
呼気、か細く。
全身に力を入れない、脱力の構え。
「クッ、クククッ」
紫藤は嗤う。あまりにも滑稽で健気な藤乃の佇まいに。
「武器も無い、道具も無い。だから素手で戦おうと? 存在定義すら格上で、更に死を克服した能力を持つこのワタシを?!」
嘲笑、侮蔑。それと共に感じ入る、これから弱者を
端的に言えば、紫藤は興奮していた。
「良いでしょう。これからアナタ達をじっくりと、ゆっくりと、手にかけると致しましょう」
眼鏡の位置を直しながら睨むその視線の先、藤乃の背後。
気配を殺して近付いていたもう一人の紫藤が、その凶手を振りかざして。
「危ない!」
楓は叫ぶが時既に遅し。
藤乃による僅かな抵抗も虚しく、紫藤の一方的な蹂躙が始まった。
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