第11話❷ 始まる悪夢

「高橋さん危ないよ! 早くここから離れなきゃ」


「離せっ、離せよ! 琴海が、琴海がああ!!」

 半狂乱になって陥没穴に飛び込もうとするたかはしかえでを、こんあきはなんとか必死に食い止める。


 秋穂の心中も楓の悲痛な叫びと同じ。

 だがそれでも尚最善の行動に徹しなければ、楓まで失う事になりかねない。


「救助隊に任せるしかないよ高橋さん、アタイ達も落ちたら本末転倒だって」


「うるさい! 琴海は、琴海はなあ、やっと普通に過ごせるようになってたんだ。

 ずっとずっと苦しんで自分を責め続けて、それでも立ち直って、ようやくだったんだよ。

 ようやくこれからだったってのに、こんなの……こんなのあんまりじゃないかああ!」


「気持ちは分かるけど、あの変な穴見たでしょ! アタイだって音宮さんは好きだよ、助けに行きたいよ! でも、でも高橋さんも同じ位好きだから、アタイは二人共失うなんて、耐えられないっ」


「不吉な事言うんじゃねえっ! あたし達はまだ琴海を失ってなんか無い、今行けばまだ間に合うはずなんだっ……!」

 引き留める秋穂の腕を振り払おうと、尚も強く暴れる楓。

 だがそうはさせまいと楓の腰に手を回し、秋穂はガッチリと抱え込んで離さない。


 周囲では既に、この異常事態に順応した職員の誘導の元で避難が始まっている。

 穴は半径五メートルに達した時点で急速な拡大は止まっていた。崩壊の仕方にも関わらず、形成された穴は縁のある綺麗な楕円形を形作っている。


「君達、危ないから離れて!」

 そう呼びかけながら、揉み合っている二人の元へ素早く駆け付けたのは三人の白衣を着た職員達。


 一人が穴の様子を注意深く観察し、もう一人は無線を使い、巻き込まれて落下したであろう研究員達に無線で呼びかける。

 そして残る一人は少女二人を避難させるため駆け寄って声をかけた。


「大丈夫かい? 怪我は」


「友達が落ちたんです、お願いします助けて下さい!」


「琴海ー! 頼むから返事してくれー!!」

 まくし立てるように懇願する秋穂の眼には涙。必死に叫び続ける楓の肌は友を喪う恐怖で青ざめている。


「なんて事だ。分かった、後は我々に任せて、君達は早く避難を……」


──■■■■■■■■

 突然の絶叫、幾重にも入り混じった悲鳴が穴の方向から。

 視線を向けると先程まで居た筈の二人の職員の姿が無い。


──■■■■■■■■

 再度、悲鳴。

 其れは穴の中から響いていた。

 ドームの中央に座す水槽が傾き、穴の中に呑み込まれ始める。

 ゆっくりと暗闇に吸い込まれていく十五メートルの構造体の中では泳ぐのを止めた魚達が力無く漂っていて。


 「うっ……ゲエッ」

 突如強烈な吐き気に襲われた秋穂は、その場で胃の内容物を吐き出す。


 体調不良がもたらすソレとは異なる、精神の底から沸き上がる圧倒的な拒絶反応。

 秋穂の手から自由の身となった楓に至っては唐突に静かになったかと思えば、生気の無い目で力無く倒れ込む。


「大丈夫か、しっかりしなさい」

 二人の身を案じる職員。

 だが彼の精神もまた、平常とは言い難いもの。

 血の気が引いた顔には脂汗が浮かび、秋穂の背中を擦るその手は小刻みに震えている。


──■■■■■■■■

 より大きくなる、何重にも重なる絶叫と悲鳴。

 それに伴ってより強烈な嫌悪感が場の三人を襲い、精神を絞め上げて疲弊させる。

 秋穂はハッキリと予感していた、穴から這い上がる何かの存在を。


(遭いたくない……見ちゃだめだ)

 気分は憂鬱、場を離れようにも倦怠感によって重くて動かない身体。

 楓は口から泡を流して、先程まで暴れていたとは思えない程にグッタリと横たわって痙攣までしている。


「お願いです…友達だけでも……助けて下さ──」

 職員に楓を託そうとして、秋穂は頬を引きつらせた。

 目の前にいた白衣の男も、倒れ込んでいた。眼には生気が宿っておらず、呼吸も浅い。


 「ああ……」

 疲弊した秋穂の視線の先。

 悲鳴轟く暗鬱な穴の内から。

 這い上がる、這い上がる。

 獣じみた速度で地の底から這い上がる、呪いの権化。


 そして穴の縁に、鉤爪が掛かった。

──秋穂は動けない。

 鉤爪の主が、巨大な体躯を引き上げる。

──秋穂は動けない。

 王冠を模して捻れた五本の角が表れ、赤い目に浮かんだ獰猛な瞳が生者を睨め付ける。

──動けない。

 首元と胸部を覆う堅殻、上半身を引き上げる凶暴な前脚。

──動けない。

 背中から生えた翼腕は広がり、黒い粘液をしたたらせるビロードマントの様な翼が開く。

──終わりを感じて目を瞑る。

 左翼腕が振り下ろされ、四本の指を想起させる巨大な爪が、秋穂の眼前で横たわる最後の職員の背中に叩き突けられた。


「グギ……ギ……」

 鉤爪は胴体を貫通していた。

 職員はそのまま二重に重なった顎に力無く運ばれる。


──バキリ、ゴチュリ

「──カっ、ピァ……っガ」

 咀嚼そしゃく音。

 ビチャビチャと怪物の牙から滴り落ちる、砕かれた血と臓腑。

 職員の人としての原型が失われていく。

 その光景に秋穂は自分達の未来を垣間見て。

 

「■■■■■■■■■」

 再び響き渡る絶叫、単一の悲鳴。

 それは、秋穂の口から放たれていたものだった。


 怪物の頭が迫る、迫る、迫る。

 次々と聴こえ来る憎悪と怨念の言葉が脳に木霊し始めた──その時。


──ドン、ドドドガガン

 電光モニターで擬似的な太陽を映していたドームの天井が爆発。

 降り注ぐ重厚な瓦礫。天井に空いた亀裂から本物の空が顔を覗かせる。


 崩落する瓦礫の衝撃を背に受けた怪物が煩わしそうに視線を移す。

 天井の亀裂の隙間からは鼠色の空を背に対空する一機のプロペラ機。


──■■■■■■■■

 悲鳴にも似た咆哮を上げて怪物が敵意を示した次の瞬間、数個の爆発物がその顔面に迫り、そして爆炎が怪物の頭部を覆う。


「わ、ああっ!」

「うあっ」

 空気を割るような衝撃音、暴力的な熱風が秋穂と楓に叩き付けられる。

 弾かれたように後方へと跳ね除けられる二人の少女。幸か不幸か、二人共大きな怪我は負っていない。


 だがそれ程の威力を持ってしても、怪物は怯まなかった。

 霧散していく爆炎の中、五本の禍々しい角を暗い赤色に発行させたかと思うと角の先端から根元にかけてその光を沈み込ませて。


──■■、■■■■!!!

 体中に纏う堅殻の隙間から全方位に放出。

 其は、さながら拡がり続ける高密度の霊気の壁。研究都市圏内に存在するあらゆる電子機器を機能停止に追い込む、破滅的文明災害。


 当然、その怪物の上空二百メートル圏内を滞空していたプロペラ機は沈黙し、ただの鉄塊となって重力に従い始める。


 (ああ、アタイ……ここで終わるんだ……)

 天井を突き破った事で回転しながら二人に迫る機体。

 秋穂が精神を消耗しきった楓に覆い被さって、今度こそ迫り来る絶対的な死に覚悟を決めた時だった。


──ズアッ

 真っ二つに焼き切られるヘリの機体。

 左右に切り分けられた機体は二人を避けて地面に激突。

 秋穂は気付いていない。その直前に、二人の人物が真っ二つになった機体から飛び出したことを。


「へ、な何? 何何何!?」

 混乱した様子で秋穂は周囲を見渡す。

 そんな彼女の視界に、突然現れた二人の人物。


「対空兵装喪失。対ABW用戦闘行動に移行します」

 一人はまだ秋穂と同じ年齢と思われる、アサルトライフルを構えて身を低くする軍服の少女。


「待ちなさい、本格的な戦闘はまだよ。

 一先ずは対象の注意を惹き付けつつ、保護対象から距離を取って頂戴。私は二人を安全な場所まで避難させるわ」

 もう一人は軍服の少女に司令を出す、ボディスーツ姿のガスマスクの女。


「指示了解。作戦を遂行します」

──ガガガガガガ

 火薬の匂いと薬莢やっきょうを振り撒きながら、軍服の少女は出来るだけ三人から距離を取るため駆け出す。


──■■■■■■■■

 絶叫を上げながら、怪物も獲物を軍服の少女に移して穴を挟んだ向こう側へとその巨躯を向けた。


「立てる?」

 ガスマスクの女から差し出された手を取って、現実味を感じないままに秋穂はガスマスクの女を見上げる。


「あ……アナタは」


「辛うじて口が利けるのね。安心しなさい、眼鏡のアナタは軽症よ。だけど」

ガスマスクの女は身を屈めて横たわる楓を観る。


「こちらは重症ね。性格から考えると、感情反転型の精神マインド汚染なのかしら」

 症状を確認しながら思案するガスマスクの女。秋穂はそんな彼女におずおずと声をかける。


「あの、高橋さんは……アタイの友達は大丈夫なんですか」


「直ぐに処置を施せば問題無いわ。だけど此処は場所が悪い、せめて出入り口が使えれば良かったのだけれど」

 言葉を濁しつつ、ガスマスクの女は正面玄関に目をやる。

 つられて秋穂も顔を向けると、そこは天井から崩落した分厚い瓦礫によって塞がれてしまっていた。


「これじゃ……出れない……」


「仕方無いわね、瓦礫の少ない壁際に寄りましょう。処置はそこでやるわ」

 そう言ってガスマスクの女は楓を抱え上げると、瓦礫に覆われたメカニック部門の研究室へと向けて駆けて行く。

 それに遅れないよう秋穂は後を追った。


 ドームの壁際に沿って連なっていた様々な部門の研究室は部分的に分断され、館内庭園が眺められたガラス張りの壁は今や崩落した瓦礫に破壊されて内部は薄暗いものとなっていた。


 部屋の中に入ったガスマスクの女はドームの壁際へ移動すると楓を床に寝かせ、太股に巻き付けた小型の軍事用ポーチに刺してあった呼吸器付きのスプレー缶を取り出す。


「それは……?」


精神情報ミーム汚染除去剤よ。この娘の心はあの怪物によって侵食されているから、それを取り除くの」


「と取り除くって、こここ心を!?」


「安心しなさい。取り除くのは心じゃなくて、心にへばり付いた汚れだけだから」

 軽く説明しつつも、ガスマスクの女はスプレー缶のマスク部分を楓の口に当て、粒子状の気体を吸引させる。


「うっ、ごっゲホッ。な何だぁ?」


「高橋さん!」


「あれ、コンちゃん? どったの」


「よがっだ、本当に無事でよがっだよ〜」


「うわわわ何何何? ってかここ何処よ」

 正気を取り戻してキョロキョロと辺りを見渡す楓。

 外では激しい戦闘音が鳴り響いているが、一面ガラス張りの壁からは瓦礫や朽ちた木々が邪魔をしていて状況が判らない。


「危なかったわね。アナタ、もう少しで精神が壊れてしまう所だったのよ」


「わあ! 誰だよアンタ」


「あら、ご挨拶ね。アナタはよく知ってる筈よ」

 そう言って女は楓の前でガスマスクを脱いで見せた。

 ショートヘアの下から覗く若々しい顔は凛々しく、口に薄く塗られた口紅が女の美しさを際立たせている。


「あ、あ、え? いやでも……ぇえ?!」

 驚愕の二文字が並んでいる楓の横で不思議そうに首を傾ける秋穂。


「どうしたの高橋さん。確かに綺麗な人だとは思うけど、そこまで驚くレベルかな??」


「い、いつもならそうなんだけど……この人、琴海の、母ちゃん」


「え、音宮さんの!?」


「眼鏡のあなたは始めましてね。琴海の母、おとみやすずよ。娘がいつもお世話になってるわ」

 凛とした表情は崩さず、鈴音は安心させるかのように口元を少し緩めてみせる。

 その姿にはどう見ても二十代後半としか思えない。


「確か音宮さ、じゃなくて琴海さんって今十七歳だよね……って言うか、音宮さんのお母さんって、化粧品会社で働いてるんじゃ」


「その認識で問題無いわよ、娘や学校側にはそう伝えているから」


「そっか〜音宮さんのお母さんって、こんなに若かったんだ……」


「あらありがとう、こう見えても四十代後半よ。それより二人共、娘は無事?」

 鈴音の問い掛けに、我に返った楓が必死の形相で訴える。


「そ、そうだ……鈴音オバサン! 琴海が、琴海が、穴の中に落ちちゃんたんだ!!」


「何ですって?」

 鈴音の眼に浮かぶ焦りの色。だが冷静さは失わない。

 楓の肩に手を置いて、静かに問い掛ける。


「落ち着きなさい。それはどれ位前か、分かるかしら」


「そ、そんなには経ってないと思うけど……」


「ありがとう、二人は助けが来るまでここを動かないで。娘は私が助け出すから」

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