お嬢様は“いけないコト”がしたい

Bu-cha

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8月25日、31歳の誕生日




金曜日の夜、チェーン店のお安い居酒屋、ハツラツとした顔で私の目の前に座り、美味しそうにビールを飲み大きな口を開けて笑っているお父さんの顔を眺める。




3大財閥のうちの1つ、増田財閥の分家の出身である私のお父さんは、増田ホールディングスの総務部の部長として働いていた。

それが2年前、増田財閥の本家の次男が日本に帰って来たことにより増田財閥は大きく変わった。




その変化は私のお父さんにも大きく影響した。

私のお父さんは自身の父親を早くに亡くしていたこともあり、保険会社で働きたいという気持ちを抱いていた。

でもそれは、お父さんのお兄さんが増田生命保険で先に働き、代表取締役にまで就任したことで夢に終わった。




夢で終わるはずだった。




でも2年前、増田財閥の本家の次男である増田元気が日本に帰って来た。

“増田財閥始まって以来の出来損ないの本家の人間”、そう言われていたはずの元気君が、世界ランク1位の大学を首席で卒業し、それだけではなくNKコーポレーションという保険会社を海外で立ち上げ、勢いに乗せたまま日本に帰って来た。




そして・・・




増田グループの1つとしてNKCを合併させ、その日本支社の支社長として私のお父さんを1年前に就任させた。




こうしてお父さんの夢は叶った。




ずっと増田財閥の本家の人間を支える為だけに生きてきたお父さんの夢は、叶えられた。




本家の人間である元気君によって叶えられた。




「一美(かずみ)、増田ホールディングスを辞めて自分がしたいことをしてもいいからな?

兄の一平(いっぺい)は増田ホールディングスで働くことを選んでいるし、一美は自分がやりたいことをやって構わない。」




31歳の誕生日の今日、お父さんから改めてそう言われた。




私は29歳の2月、財閥の1つである永家財閥の永家不動産の営業部に出向されていた。

増田の人間で出向にならなかったのは私のお父さんと、お父さんのお兄さんだけ。

私は2ヶ月で増田ホールディングスに戻り、高校と大学時代の7年間と新卒からの5年間を過ごした経理部の配属にまた戻っていた。




「人事部で2年くらい働いていたこともあるけど、性格的に経理部の仕事は私に合ってると思う。

それに去年新卒で入った、私が教育担当をしている2人の女の子達を育てるのも楽しいよ。」




そう答えてからノンアルコールのビールを一口だけ口に含んだ。

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