第11話 2度目の駆け落ち
家から100mほど来て、両親が追ってこないことに気づくと、靴を履いて駅まで足早に進んだ。
駅の公衆電話で電話を掛けようとしたが、追って来るかもしれないという思いと、生放送直後で、電話に出られるわけがない、という考えが浮かんでとりあえず来た電車に飛び乗った。
思わず飛び出してしまったが、今日、了と連絡を取ることは出来るのだろうかと不安に駆られた時、ある駅にたどり着いた。スナック チョコレートがある駅だ。
***
「ごめんね、あと30分くらいで終わりだから。」
洋子は更衣室の小さな丸椅子に腰かける恵子にそう声をかけた。
金曜日はお店が一番混む時だ。本当に悪いときに来てしまったと思ったが、洋子やママに引き留められ、袋に入った氷を顔に当てながらお店の更衣室で一人小さくなっていた。
やがて0時を回って最後の客が出ていくと、
「終わったから、こっちに。」そう言って店の中に案内された。
他の従業員や洋子がテーブルの上を片付けていると、陽子がやってきて、
「どう?まだ痛い?」そう言って氷の入った袋を手渡し、既に恵子が持っていた水の袋を受け取った。
「ありがとうございます。すみません、ご迷惑をおかけして。」
「ううん、良いのよ。お母さんからひろちゃんに電話かかって来た時、もしかすると、って思ったけど、同時じゃなくて良かったわ。多分気づかれては無いんじゃないかしら、ね、ひろちゃん。」
「うん。びっくりしたから、ええ?って普通に言っちゃったし、まぁ、連絡来たら連絡します。って切ったけど。」いつもとは違った胸元の開いたワンピースを着た洋子は華やかさが増し、いつもとは雰囲気が違ったが、
「予感はしてたけど、いざ来るとやっぱりびっくりしたわ。」といつものように豪快に笑って言った。
「ごめんなさい、他に思いつくところが無くて。」恵子はそう言うと、
「良いのよ、変なところに行くより安全。」と陽子が答えた。
「しかし、バレたら殴るほどのお父さん、ってなかなかね。」
「手を上げられたのはこれが初めてですが……」
「ほんと、男女交際に厳しいのね。というか、福山くんの事、知ってるんだっけ?」洋子は以前恵子が言っていた言葉を思い出した。印象が悪いと。
恵子は二人や、他の従業員のいる中でぽつりと言った。
「昔、彼と駆け落ちしたんです。」
***
「本当に聞いてもらっていいんですか?皆さんお仕事後で疲れてらっしゃるのに。」そう恵子が言うと、
「折角なら聞きたい!」と他の従業員までその話に参加してくる状態だった。
「あのクララのリョウの話でしょ!」と目を爛々と輝かせるものもいた。
「あんた達、帰りな。聞いていい話じゃないでしょ。」
「えー、でも……」そう言うと恵子も世話になった分申し訳なく思い、
「遅い時間ですが、大丈夫なら聞いていただいて構いません。子供の頃の話ですし。」そう言った。
それならばと座り直る従業員2人と洋子、陽子の4人を前にして
「あんた達、聞いても人に喋っちゃだめよ。」と陽子が皆に注意すると、恵子は話し始めた。
***
11歳、小学校5年生だった。トロイメライを弾き終えると、視線を感じ庭を見たところ、一人の少年が立っていた。
突然のことに驚いて声を上げそうになるものの、恵子は彼を招き入れた。
少年は一瞬逃げようとしたが、
「待って」という言葉に立ち止まって振り返ると
「ケガしてる。」と恵子に言われ、窓に近づいた。
血が出ている腕を消毒し、絆創膏を貼り手当てをする恵子の顔をじっと見ていた少年は、
「あ、俺、お前のこと知ってる。えーと、春の合唱の時にピアノ弾いてたやつだろ?」
確かに4月の1年生入学式の際の5-6年生合同の合唱で恵子はピアノを担当していた。
「おけいこちゃんだ!」
思い出したように少年は言った。
「そうそう、女子達が言ってた。おけいこたくさんしてピアノが上手だから、6年じゃなくて、5年のおけいこおちゃんがピアノ弾いてるって。」
自分にそんなあだ名がついているとはと恥ずかしくも悔しくも思い、
「おけいこ、じゃなくて、けいこだよ。」と否定した。そして、恵子も
「私もあなたの事、知ってる。たしか……リョウ!」そう言い返した。学年の違う
自分の名前を知ってるのを意外に思ったのか了がきょとんとしていると、
「あ、この間の運動会で騎馬戦の時に誰かが呼んでいたから。」と慌てて恵子は付け加えていった。
「あー、騎馬戦ね。俺が一番だったから。」了は自信満々に答えた。
子供の騎馬戦とはいえ、6年生にもなると大分身長もある子もいて、迫力があるなと恵子は思ったが、その中で小柄ながらも、どの子よりも一番強く、自分の鉢巻きをとられることをうまくかわし、大柄な子の鉢巻きを次々ととっていった彼は輝き、一つ上の学年ではあったが、彼の近所に住む女の子が、 「リョウ君、福山了君だよ。」と言っていたのを覚えていた。
当時から彼は女の子に人気があった。
そんなこともあり、すこしドキドキとしながら恵子は
「このケガ、どうしたの?保健室には行かなかったの?」と聞くと、了は気まずそうに
「これは学校の帰りに、さっきこけちゃって。」と言うと、話を切り替えるように、
「さっきの曲なに?これ?」と言って譜面を指さし、
「もう一回弾いてよ。すごい綺麗だったから。」そうウズウズしながら言った。
恵子がもう一度その曲を弾くと、
「やっぱりお前うまいなー。」と腕組みをしながら言った。
「将来はピアニスト?」
「そんな、そう簡単になれないよ。先生になれたら良いかなって。」親の受け売りだがそう返事をしてしまった。
「でもやっぱり音大行くんだろ?なんだっけ、一番うまい人の学校。」
「G大?難しいと思うけど……」
「俺も弾いていい?」と、了は唐突に言った。
直ぐに了の手は最初のドの音に手が届き、右手がトロイメライの旋律の出だしを奏でた。
「了くん、ピアノ弾けるの?」驚いて恵子が言うと、
「弾けないよ。習ったことないし。」了がさらっと答える。
「でもなんで、弾けるの?」恵子が思わずそう言うと、
「あ、俺ってなんか絶対音感あるんだって。先生が言ってた。」と答えた。
絶対音感はある程度の幼児期にピアノを習ったりすれば習得でき、勿論幼い時からピアノを弾いていた恵子はあったが、了は自然と身に着いたという。
「もともと才能あるんじゃない?俺もG大いけるかなー!」そう言って笑って言った。そして先ほど恵子が引いたトロイメライを再現しようとしていた。
「この曲、なんていう曲?」
「トロイメライ。」
「トラ?い?オランダ語?」
「ドイツ語。夢、って意味だよ。」
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