第12話 選択
わたしは魔族だ。
頭の上の耳や腰から生える尾は獣人種の象徴。
高い身体能力と坑魔力を持つ優れた種族。
だが、他の同族のように、わたしはこれを誇りと思ったことはないし、むしろ疎ましくさえ思っている。
わたしは昔からよく『選択』を間違える。
幼い頃から、こうすれば良い、と思った選択は常に間違いだった。
頭が悪いのか、運が悪いのか。
おそらく両方だったのだろう。
いつだって、他人や家族の選択のほうが正しかった。
思い返せば、わたしが家を出たのも家族との不和が原因だった。
家族はわたしに一族として恥にならないための努力を求め、そのために人生のレールを敷いた。
だが、彼らはわたしにとても期待を寄せていたが、わたしの能力は彼らの期待に遠く及ばなかったし、わたしはそれに応えることはできなかった。
──否、応えるまでもなく、逃げたのだ。
有り体にいえば、ちょっとした家出のつもりだった。
今いる場所を離れさえすれば。
逃げ出してしまえさえすれば。
もやもやとしたこの胸の内の嫌な空気も、嫌な自分という存在も、見知らぬ土地に吐いて捨てられると思っていたのだ。
自分の道くらい自分で決められる──。
わたしの人生最初で最後の選択が、それだった。
だが、そんな甘ったれた考えの少女が、戦時中の知らない土地で一人で生きていけるはずもない。
食うに困る生活に、日々苛立っていく人々の空気。
今思えば当然だ。
道中彷徨っていたところを人間に捕まったのも、あるいは日々生きるのに疲れていて、自暴自棄になっていたせいもあったかもしれない。
わたしはまた、わたしの選択を間違えた。
やはり、敷かれたレールから外れるべきではなかったし、他人の言うことこそ正しかったのだ。
そう思い直したわたしは、捕虜となったときにいろいろと諦め、半ば進んで囚われの身になった。
売られた先での奴隷としての生活は、じつはそんなに悪いものではなかった。
せめて鞭で叩かれたり、棒で殴られたりでもしていれば、違ったのかもしれない。
幸いにして、わたしへの扱いはよかった。
ご飯も食べられたし、暖かいベッドで眠れた。
開店中は大人しくショーケースの中に立ってさえいれば文句は言われなかったし、わたしも抵抗する気など微塵もなかった。
『自由』こそ奪われてはいたものの、わたしはその単語にそこまで興味はなかったからだ。
そう。
じつのところ──、わたしは、諦めとともに、安堵すら感じていた。
正しい人生を決めてもらえる。
わたしはもう何も考える必要はないし、無理をする必要もない。
分不相応な期待をされることもない。
それは酷く単純で、楽ちんだった。
これこそ間違いのない生活だ。
皆がわたしを魔族と毛嫌いし、売れ残ったのも運が良かった。
それに、仮に買われたとしてもわたしは奴隷だ。
主人の言う通り、主人の言うことだけ聞いていれば良い。
酷い扱いをされるのは嫌だが、そうなったらそうなったときだ。わたしならきっと、すぐに諦めをつけられる。
何も決めず、何も無理せず、のらりくらりと生きていけばいい。
必要なことは他人に決めて貰えばいい。
魔族の人生は人よりもずっと長いから。
これまでの10年も。この先の10年も。
時の止まった鳥籠の中で、ひたすら始まりも終わりもなく、身を任せていれば良いのだ。
そんなときだった。
──あいつは、わたしの目の前に現れた。
彼女はいつだってわたしに確認を求めるし、わたしの気持ちを聞きたがる。
彼女に皮肉混じりでつっかかっていたのも、本当は自分の情けない心持ちを隠すためだ。
外面は彼女に抵抗するそぶりを見せていたものの、そのじつ、わたしは彼女が命令してくれることを期待していた。
わたしの選択はいつも間違いだ。
そしてわたしは奴隷だし、それ以上でも以下でもない。
奴隷であれば、ご主人様の言うことを聞いてさえいればいいのだ。
だから──、首輪を投げ捨てられたとき、酷く混乱した。
もう、奴隷ではいられない。
……わからない。これからわたしは誰の言葉を頼ればいい?
突然知らない場所に放り出されたかのような感覚。
水の中で溺れ、上下すらわからなくなった感覚。
ああ。
わたしは、これから──、どうやって生きていけばいいのだろう。
「──シャ!」
「リーシャ!リーシャってば!」
「……あ。に、ニナさん……」
はっと、顔をあげる。
見慣れた人間族の顔。
ついさっきまで、ご主人様だったものの顔。
目鼻立ちもよく、透き通るような瞳をしている。
心根も真っ直ぐで、誰とでもすぐに仲良くなる。
彼女は自分を過小評価しがちだが、わたしはそうは思わない。
むしろ、こんなわたしなんかよりもずっと──。
「ね、リーシャ。どうする?」
「どうするって……、何がですか?」
「もー、聞いてなかったの?営業時間も終わったし、あのクソ野郎もロマさんがなんとかしてくれたしさ。ちょっと気分転換に二人で外に出てみない?星が凄く綺麗で、夜風も気持ちいいよ」
さっき助けてくれたお礼もしたいし。
そういって、彼女は笑いかけてくる。
「わ、わたしは……」
どうする?どうすればいい?
頭の奥で、ぐるぐると泥まみれの思考が渦を巻く。
「──ニ、ニナさんがそういうなら……」
「いや、わたしじゃなくてさ。リーシャがどうしたいか聞いたんだけど」
その言葉に、どきりと心臓が跳ねる音がした。
思わず俯き、床板をじっと凝視する。
わたしの様子を不思議に思ったのか、ニナは小さく首を傾げる。
そして、──しばらく口を閉じた後。
その少女らしい柔らかい手のひらで、わたしの背中をそっと押した。
「じゃ、一緒に行こっか」
決して大きくも強くもない手だ。
けれど、不思議とわたしは、素直に頷いていた。
********************
「うわぁ、すっごい綺麗!」
店の二階のベランダから外に出る。
夜更けの涼しい風が頬を撫で、わたしはニナの見上げる夜空に目を向けた。
満天の星空だ。
どこで見ても、いつ見ても、それはいつも同じ光景を映し出している。
「見てよ、リーシャ。ほらほら、星空、掴めそうじゃない?!」
「……掴めませんよ」
「もー、ノリ悪いなぁ」
彼女は頬を膨らませ、持っていたカップをわたしに押し付ける。
「はい、どうぞ。特製ブレンドコーヒー。さっきキッチン借りて淹れてきた。ちゃんとわたしの奢りだぞ」
「……これ、もしかしてお礼のつもりですか?」
「まあそんなとこ」
彼女は自分の分のコーヒーを啜りながら、ほう、と息をつく。
わたしも白く伸びる湯気を眺めた後、一口、コーヒーを口にした。
──とたんに、体が拒絶する系の得体の知れない味が口いっぱいに広がった。
「ぶぇっ……?!げほげほ、な、何いれたんですかコレ!?」
「え?夜だし冷えるといけないから、唐辛子とタバスコと……。あと味をマイルドにするために蜂蜜と脂身を少々。あったまるし、すごく美味しいでしょ?」
「信じられないくらい不味いです……」
「ええっ!?そうかな……、美味しいけど……。まあちょっと大人の味かもね」
いや、とりあえず大人でも子どもでも無理だと思う。
魔獣でもそっぽを向くレベルだ。
「うーん、これはお気に召さなかったかぁ。しょうがない、じゃあ別のお礼を──、といってもどうしたもんか」
ニナはしばらく口を尖らせ考えこむ。
そして、こちらを見ると、にこりと笑いかけてきた。
「じゃあさ、リーシャは、何か欲しいものとか、して欲しいこととかある?」
「わたしは……」
まただ。
彼女はいつも、わたしにわたしのことを聞こうとする。
望みなんて特にない。選択などしたくない。
でも……。
もし、一つだけ。
望みが一つだけあげるとするならば──。
一つだけ、選択しろと言うのならば──。
「もう一度……、わたしをニナさんの奴隷にしてもらえませんか」
「え……?」
「不可能でないことなら、なんでもします。ニナさんが嫌なら、もう文句も皮肉も言いません。甘ったれたことを言ってるのはわかってます。それでも、わたしに命じて欲しいんです。わたしのことを決めて欲しいんです。わたしは──」
わたしは大きく息を吸い。
何十年も、喉奥につっかかっていた言葉を、吐き出した。
「わたしには、自分で何かを決めることなんてできません……。わたしの選択は、いつも間違いだらけなんです……」
言ってしまった。
彼女を前にすると、いつも口が軽くなる。
引かれたかな。嫌がられるだろうか。
こんな情けないやつなんて、きっと拒絶されるに決まってる。
後ろ向きなやつの言葉など、前を向いている彼女には決して──。
「そんなことないでしょ」
「え……?」
間髪入れずに帰ってきたニナの言葉に、わたしは思わず魔の抜けた声を返してしまった。
この人は何を言っているのだろう。
彼女はまるでなんでもないことのように。
わたしに向かって、にへらと柔らかい笑みを浮かべた。
「だって、リーシャ。あのクソ野郎の言うこと聞かなかったじゃん。それに、あいつからわたしを助けてくれたじゃない。それはリーシャの意思でしょ。あなたがわたしを助けたいって、そう思ってくれたんでしょ?わたしはわたしを助けてくれた選択を、間違いだなんて思わない」
「それは……、たまたまなんとかなっただけで……」
「ならいいじゃん。運も実力のうち?ってやつで」
彼女はいつものようにからからと笑う。
その顔だ。
わたしにとってはいつも眩しくて──、羨ましい。
「それにさ。べつに間違ったっていいじゃない。そのときはわたしが背中を支えてあげるから。自分が思う正しい道を、また一緒に探せば良いよ」
彼女はその柔らかな右手を、わたしに向かい差し出す。
その光景に、わたしはいつかの既視感を感じた。
そして、ああそうか、とわたしは腑に落ちる。
あの小さな選択が分岐点だったのだ。
差し伸べられた彼女の手を、尻尾の先の分だけ握ってしまったあのとき。
選んだとすら言えない、控えめで不器用な選択。
それでも──、わたしは選んでしまった。
そう。
あのときのわたしの選択は、たしかに、──正しかったのだ。
「ニナさん。……ガイドのことなんですが、やっぱり少し待ってくれませんか」
「ええっ!?やっぱり嫌になったの!?」
「いえ……、あのときはニナさんがやれと言ったからやると言いました」
「……でも、──今度は、自分でちゃんと考えて決めます」
彼女はわたしのその言葉に、「そっか」と言って、嬉しそうに笑っていた。
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