とある少女の旅、ときどき小走りの猫
朝昼晩
一章
第1話 とある少女の独り立ち?
──澄み渡る空に、爽やかな風の吹く日和。
人と魔族の長きに渡る凄惨な争い。
それが突如として、話し合いと和解により終結してから、約15年。
戦争が末期に進むにつれて、世界にはさらに多くの血が流れるはずだ──。
そう予想していた人々は、無血の終戦に喜びつつも肩透かしをくらうこととなった。
もちろんすぐに一転して平和な世界が訪れたわけではない。
両陣営内での治安はしばらく混乱状態が続いた。
しかしその揺り戻しも数年ほどで収まり、今では世界はあらかた戦前の落ち着きを取り戻していた。
初夏に入る直前。春の終わりのとある早朝。
年季の入った石造りの教会の壁に、朝の柔らかな木漏れ日が影を落とす。
もう春の気配も残り少ない。
囁き揺れる青々とした木の葉の音は、わたしの新たな門出を祝福しているようにも聞こえた。
「いい天気になって良かったなぁ。今日もどしゃ降りの雨だったら、さすがに幸先悪すぎて嫌になってたよ…」
昨晩まとめた荷物を背負いなおし、ふぅ、と息をつく。
引っ越しの荷物としては少ない方だとは思うが、一人で運ぶには大荷物だ。
世の中には物の重量を軽くする、便利な魔術を刻んだカバンもあると聞く。
いつか極貧生活を脱することができたときにはぜひ手に入れてみたいものだと思うが──、これからしばらくは生活費を稼ぐので精一杯だろうし、そんなことを考える余裕もないだろう。
「さてと……。長いこと過ごしたけど、今日でこの場所ともお別れかぁ」
ひょいと勢いよく振り返り、目の前に佇む『教会、兼孤児院』である建物を静かに見上げる。
街の外れの丘の上にこぢんまりと佇むこの孤児院は、孤児であったわたしがここに来てから今日まで過ごした、我が家とも呼べる場所だ。
住人はシスターが一人。
それと孤児の子ども達が七人ほど。
赤ん坊の頃にわたしが拾われてから何度か顔ぶれに入れ替わりはあったものの、これまで仲良く助け合い、ときにくだらないことで喧嘩をしつつ、共に平和で穏やかな日々を過ごしてきた。
血の繋がりなどもちろん無い。
だが、彼らはたしかに家族と呼べる人たちであり、かけがえのない仲間たちだ。
けれど、その輝かしい思い出もいったん今日で一区切り。
もちろん、彼らとはいつまでも家族であるが、これからは共に食卓を囲うことはない。
つまりどういうことかというと──、本日ついに、わたしの独り立ちの日がやってきたのである。
引っ越し先は麓の街のとある食堂の二階。
小さな空き部屋の一角ではあるが、わたしにとっては大きな一歩だ。
孤児院の部屋は複数人でシェアしていたし、自分専用の一人部屋は長らくの夢だったのである。
そんなふうに、少々感慨めいたものに浸っていると。
目の前の教会の奥から一人の人影が姿を現し、わたしの側へとゆっくり歩みよってきた。
きらきらと輝く綺麗な金髪が春の朝日をまばゆく弾き、揺れる体幹に合わせてなびいている。
だが、可憐な容姿とは裏腹に、彼女は盛大にクマのできた寝ぼけ眼をこすりつつ、どんよりと重たげな口を開いた。
「ゔぅ〜、ニナちゃんおはよう……。き、気持ちのいい朝ね……」
「お、おはよう。なんかシスターは気持ち良くなさそうだけど……。どしたの?大丈夫?」
「ニナちゃん今日から一人暮らしでしょ?わたしもう心配で心配で、昨晩から一睡もできなくてぇ……」
寝不足によりせっかくの美貌を台無しにしている目の前の女性。
彼女こそこの教会のシスターであり、この孤児院の管理者その人でもある。
人より長い耳と翡翠色の大きな瞳は、彼女が『エルフ』という長命な種族である証だ。
本名はナタリー・グレイスというらしい。
だが、孤児院の子供たちはみな敬愛と親近感をこめて『シスター』と呼んでいるし、彼女もそう呼ばれることを望んでいる。
教会と孤児院の管理は国から任されるものであり、それは彼女が優秀な人間──、もといエルフである証だ。
エルフは魔力の扱いにも長けると聞くし、彼女のポテンシャルの高さは推して知るべきだろう。
ただ、唯一の欠点があるとすれば。
それは少し心配性なところがあるというか……、むしろ多分に過保護な面があるところだろう。
勿論、それはわたしたちに向けられた愛情の証であることは理解しているし、わたしはそんな性格も含めて可愛らしい人だなと思っているのだけれど。
「おおげさだなぁ、シスターは。新居といっても同じ街なんだし、会いたくなればすぐ会えるよ。そんなに心配することないって」
わたしが朗らかに笑顔を返すと、彼女も口ごもりつつも控えめな笑みを返す。
「そうよね。ニナちゃんもう16歳になるんだし、立派な大人だもんね」
「うんうん」
「ここに預けられたときはあんなに小さかったのに……。もうわたしが心配するような子どもじゃないもんね」
「うんうん」
「でも……、もし心細い夜には添い寝しに行ってあげるし……、なんなら寝つくまで隣で子守唄を歌ってあげてもいいし……」
「……うん?」
「望むなら毎日ごはん作りに行ってあげるし……!お洗濯やお掃除だって──!」
「はいそこまで!」
慌てて彼女を制止する。
このままだと本当に引っ越し先に押しかけてきて、いつのまにかベッドに侵入してそうな剣幕である。
彼女の不満顔に、わたしはやれやれと肩をすくめる。
「まったく、ほんとにシスターは優しいね。いい子だねぇ」
「えへへ……」
「なんて言うと思ったか!いい歳なんだからいい加減子離れしなさいっ」
脳天にチョップをかますと、彼女は不服そうに口を尖らせ、上目遣いにこちらに視線を向けた。
「だって……、ニナちゃんてけっこうおっちょこちょいだったりするし、大雑把なところもあるし……」
「う……、まあそれは否定しないけど!」
「それに……。人間の子どもってすぐ大きくなっちゃうし……、すぐ大人になっちゃうんだもの……」
長耳を垂れさせてしょんぼりするシスターの様子に、少しだけ心が揺れる。
孤児であったわたしがこの教会に預けられたのは、だいたい1歳くらいの頃だったと聞いている。
そう考えると約十数年ほどは同じ釜の飯を食った仲ということになり、わたしからすれば人生の大半を連れ添った仲である。
──十年。
言葉にしてみればとても長い時間のようでもあり、思い返してみれば瞬きの間の出来事だったと思う。
孤児院のみんなとの別れは昨晩済ませた。
だが、やはり名残惜しいものは名残惜しいし、後髪を引かれないといえば嘘になる。
彼女の寂しさも充分理解できるし、別れを惜しむ気持ちはこちらだって同じなのだ。
はぁ、と一息つき、肩を落としているシスターのおでこをぺしりとはたく。
そして、わたしはそっと彼女の手を握り、彼女の瞳を覗き込んだ。
「わたしのことなら大丈夫。そんなに心配しないでいいから。それに、シスターは他の子たちの面倒も見なきゃでしょ?その分の愛情は、あの子達にしっかりわけてあげること。いい?」
「うん……」
彼女は少しの間ののち、素直に頷く。
「……そうよね、ニナちゃんは大人になったけど、他のみんなまだ幼いもの。私がしっかりしないとね!」
「そうそう、その調子」
彼女はこう見えて数十年もこの場所を守ってきた人だ。
本来わたしが後押しなんかしなくても、きっとちゃんと役目をはたしてくれるだろう。
「それじゃあとは任せたよ、お母さん」
「もう!その呼び方やめてっていつも言ってるでしょ!嬉しいけど!嬉しいけど……!わたし、ウルッときちゃうからぁ……」
瞳を潤ませつつ頬を膨らませる彼女。
どうも孤児である子どもたちにそう呼ばれると、涙もろい彼女としてはなにか心に来るものがあるらしい。
出会った時からいつまでも変わらないわたしへの扱いと彼女の様子に、思わず苦笑を返す。
「──さてと、それじゃあそろそろ行くよ。引っ越して落ち着いたら、またこっちにもちょくちょく顔は出すからさ」
「うん、いってらっしゃい!応援してる!……あ、でも、すぐ戻ってきてもいいけど…、明日とか…」
「いやちゃんと応援してね?」
シスターの言葉に苦笑いを返し、わたしはくるりと踵を返して──。
「──ん?」
視線の先。教会へと続く緩やかな坂の向こう側。
からからと車輪の音を立てながら、この教会へと向かってくる一台の馬車に気がついた。
(来客かな……?珍しいこともあるもんだ。)
街から離れた小高い丘の上に立つこの教会は、お世辞にも交通の便がいいとは言えない。
来客どころか礼拝目的で訪れる人もまばらだ。
荷運び用のものとは違うようだし、おそらく誰か客人を乗せているのだろうか。
しばらく見ていると──、その馬車は少々せわしない速度で教会の庭先までやってくると、そのまま門の前でぴたりと馬を止めた。
その後、背中を丸めた御者が客席の扉をあけると、中から背の高い初老の男性が姿を現した。
(うわぁ、なんか紳士って感じ……)
初見のイメージは身なりの良い良家の執事。
整えられた白髪と着心地のよさそうなコートは、彼がそれなりの身分に属する人間だということをうかがわせる。
ゆっくりと馬車から降りたその男は、背筋を伸ばし、ふぅ、と軽く一息をつく。
そしてようやくこちらに気づいた様子で、慌てて帽子をとり、軽く会釈をした。
「失礼。突然申し訳ございません。こちらの教会に、ニナ様という方はいらっしゃいますかな?」
「……え?」
唐突に出てきた自分の名前に、思わず戸惑いの声色で言葉を返す。
知り合い以外から名前を呼ばれるのなど何年振りだろう。
一瞬面食らい硬直してしまったが、思い直して素早く彼を観察する。
まあ、立ち振る舞いや身なりからしてそれなりの身分のようだし、悪意のようなものは感じない。
ひとまず何かの怪しいセールスとかではなさそうだけれど……。
わたしは恐る恐る彼の問いに対して言葉を返した。
「えっと、ニナならわたしですけど……」
様子を伺いつつの控えめなわたしの返事に対し、彼はすぐさま目を見開き、ぱっと表情を輝かせた。
「ああ、よかった!ようやくお会い出来ました。なにせ、わかっていたのはお名前と、このあたりの街の教会住まいということだけでしたので」
「はぁ……。ええと、……どちら様で?」
「ああ、これは失礼。わたくしはとある方の代理人で、トニオと申します。以後お見知り置きを」
「はぁ……」
名前にはもちろん聞き覚えはない。
シスターの知り合いかもしれないと思い、彼女の方に振り返る。
彼女は頭に疑問符を浮かべている様子でぽけっとしていたが、すぐにぶんぶんと首を横に振った。
どうやら彼女にも心当たりはないらしい。
そもそもわたしはあまりこの孤児院から出たことがないし、友達と呼べる人すらほとんどいない寂しい有様である。
間違っても、こんな上品な執事さんと知り合う機会などないはずだし、ましてやこんなにかしこまった対応をされる身分でもないのだ。
「えっと……わたしに何か用……、ですか?」
「はい。本当に急で申し訳ないのですが……、少々お時間をいただけますかな?」
彼は懐から小さな杖をとりだし、トン、と持っていたカバンを叩く。
すると、中から小さなノートと封をされた書類の束がするすると姿を現し、ふわりと彼の手の上に収まった。
魔術の心得のあるところを見るとどうやら本当にやんごとなき一族の関係者らしい。
彼はわたしの方に改めて視線を向け、口を開いた。
「本日は、とある方の遺言状にもとづき──、ニナ様に遺産相続の話をさせていただくために参りました」
「……えぇ、遺産??──いやその、人違いじゃ??」
身寄りのないわたしに、遺産相続?
余計に疑問符を浮かべたわたしに対して、彼は自信ありげに大きく頷いた。
「いえ。その髪色、その瞳の色。そして何よりその顔立ちと魔力の形は、あの方の面影をひしひしと感じます。間違いございません」
まっすぐに真摯に見つめられ、わたしは思わず視線を逸らす。
あの方とは誰なのか。
遺産とはなんなのか。
いろいろと聞きたいことはあるものの、こちらがその問いを投げる前に、彼はその両足をぴしりとそろえ──、こちらに向かい、深々と頭を下げた。
「総額にして1000万ドリー相当の遺産相続です。ぜひ、しっかりとお話しさせていただきたい」
「ああ、なるほど1000万ね、いっせんまん……。………い、いい、いっせんまん……!??」
い、いやちょっと意味が分からない。麓の街に新築豪邸を買っても全然おつりがくる額だ。
想像したこともない金額に思わず思考停止し、思わず抱えていた荷物をドサリと落とす。
背後では品行方正なシスターの口から、「ひょえ」という聞いたこともない奇声が飛び出していた。
運が良いのか悪いのか──。
どうやら、わたしの華々しい門出は、いきなり訪れた大事件に、すっかりどこかに押し流されてしまったようだった。
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