眠気は一瞬で消えるらしい
少し気温の低い朝。ソーハと一緒に歩く山道は、少しだけ特別な感じがした。
山道と言っても、しっかり踏み固められて歩きやすい。なのでサンダルでも普通に進める状況だ。たまに木の根や石ころが障害になるが、この程度はご愛敬。
「うひゃあ!?」
「お、っと……大丈夫か?」
突然、ソーハが転びかけた。石ころを踏んで足首を内側に倒したらしい。こういう場所ではよくある。
別にノボルが支えなくとも、彼女の体幹だったら転ばなかっただろう。実際ノボルの差し出した手にも、重さや負担がほとんどない。
「あ、ありがとうございます。すみません」
「いやいや。俺の方こそ余計なことをしたな。つい反射的に、さ」
「優しいんですね」
「うーん……そうか?」
こういう時にとっさに手が出るのは、優しさよりも経験や体力によるところが大きい気がする。優しくてもパニックで硬直したり、力が無いからこそ中途半端な手出しを控えるなどの判断はあり得るだろう。たまたまノボルがそうじゃなかっただけだ。
と、ノボルは思っていたのだが、ソーハには違って見えたらしい。
(つーか、さ……)
こうして密着すると、ソーハの身体は意外としっかりしていて、しかし見た目通りに柔らかい。芯はあるのに、ふわっとしている。そんな触り心地だ。
髪は濡れていて、まだ毛先から水滴を滴らせる。服だって昨日着ていたものと全然違う。もこもこフリースに細身のジーンズ。その組み合わせは、細いソーハの脚を引き立てていた。
(たかが1泊のキャンプなのに、それなりに身だしなみとか気にしてんだな)
一方、ノボルは昨日の格好のままなのだが。
「ビンディングシューズって、靴の裏が固いんですよね。強化プラスチックで作られているので、反り返ったりしないんです」
「へぇ。そりゃ何で?」
「自転車のペダルを踏むとき、力が逃げないように、ですね。でも、そのせいで今みたいな段差に弱いんです。柔らかい土とか草には強いモデルなんですが」
「向き不向きがあるんだな。そういや、俺が使ってた登山用ブーツは、ソールが柔らかいからゴツゴツしたところに向いてたわ」
「そうなんですか?」
「ああ。今日は車に置きっぱなしだけどな」
いつものようなやり取りにも、妙な気持ちよさが宿る。ソーハの髪が朝日を反射して、キラキラと輝いているからだろうか。それとも、彼女からかすかに石鹸の匂いがするからだろうか。
またはそんな事、何も関係なくて、
ただソーハと一緒だから、なのだろうか。
「おー、戻ってきた。おーそーいー」
キタローのテントまで戻ると、彼は相変わらず女装したまま、何かをやっていた。
「遅いも何も、朝の集合なんて決めてないだろ。それにまだ7時半だぞ」
「そうだけどさー。朝ごはん食べる?」
「食べる」
昨日のBBQコンロではなく、カセットガスコンロで火を起こしているキタロー。その手に持っているのは、小さなスキレットだ。
「何を焼いてるんだ? って、おいおい……」
「うわっ、これ、食べるんですか?」
焼き肉用の牛脂とオリーブオイル。それから昨日のBBQで食べたエビの殻と、余ったニンニクが炒められている。
「食べないしー」
「え?」
「ぽーい」
何を思ったのだろう。キタローは次から次へと、エビの殻やニンニクを箸でつまんで、ビニール袋に捨てていく。
「え? ええっ?」
「あははー。ソーハちゃん楽しいねー。いいリアクション」
「俺も驚いているんだが?」
「うん。ノボルはどーでもいい」
スキレットの上に残った油を、ホットサンドメーカーに流し込んでいく。そこにサンドイッチ用の食パンを乗せて、チーズとハムも乗せる。
「これからの季節、こういう食材の保存も困るよねー。もっといっぱいクーラーボックスを運べたり、空調が効くような場所があればいいんだけどさー」
「今日のは大丈夫なのか?」
「今くらいの気温なら大丈夫じゃない? まだ夏って感じじゃないしー。ただ、これからは困るってだけ。あーしも自動車に乗れればなぁ」
香ばしい匂いが、周囲に漂って来た。焼き上がりだ。
そっと紙皿に移して、ざくっと切り分ければ、
「完成。キタローちゃん特製エビ風味ガーリックトーストだよー」
「自分でキタローちゃんとか言うのかよ。いただきます」
「キタローちゃんさんありがとうございます。いただきます」
「どーぞどーぞ」
エビ殻の風味とニンニクのパンチが、そのままオリーブオイルに乗り移って、トーストをサクッと仕上げている。牛脂の甘さも相まって、複雑ながら優しい味わいだ。
「作ってる途中経過を見るとー、なーんか余計に美味しく感じるよねー。『あ、ここで使ったあの食材の味がする』って、強く意識しちゃうからなんだろーけどさー」
「そういや、俺もラーメン屋とかに行くとき、情報量が多い店を選びがちだな」
「ボクも、カップ麺とか買う時、長文タイトルで材料名がいっぱい書いてある商品の方が好きかも」
「二人とも麺類とか好きっぽいー? そのオイルでパスタとか作っても美味しいんだよー。キャンプだと茹で汁の処理が大変だから、水は全部パスタに吸わせるんだけどねー」
「今度作ってくれよ」
「いいよー。キタローちゃん特製ペペロンチーノだねー」
「キタローさん、料理得意なんですね。驚きました」
「ソーハちゃんはしないの?」
「えっと……ボク、少し苦手で」
「ふーん。教えてあげよっかー」
「は、はい。お願いします」
また、こうして3人でキャンプに来る予定が出来る。いや、今度もキャンプかどうかは分からないが、きっと何であっても仲良く楽しめるだろう。
そんなことを考えながら、しかし全ての真実を知るキタローは心配していた。
(今のあーしらの関係って、勘違いで成り立ってんだよねー。あーしもソーハちゃんと同じ学校の生徒だって知られたら、ソーハちゃんから距離を置くだろうし、もし学校でバラされたら不登校になる自信あるしー)
と、自分の正体がソーハにバレないこと……あるいは、ソーハには打ち明けても、他のクラスメイト達には知られたくないってことを再確認しつつ、
(ノボルは、ソーハちゃんへの下心とか絶対あるよねー。もし彼女が女の子じゃないって知ったら、もう会わないのかな。ソーハちゃんからしても気持ち悪いよね。自分が女の子だと勘違いされてた、って気づいたらさー)
その関係は、まるで朝の空気のように、ほんの少しの時間しか続かないのかもしれない。
だとしても、
(あーしが、ちゃんと秘密にしないとね)
毒を食らわば皿まで、と覚悟を決めたキタローは、自分の分のホットサンドを作る時、残った油を全部使い切った。
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