第8話 私がやりました

 朝食後、私はおそるおそる屋敷の外側から、昨日の被害状況を見にいきました。


 迷うことはありません。だって、修繕のために大工の皆さんが大勢来ていますから……朝から賑やかなのはそのせいですね。昨日の今日ですでに屋敷の修繕の手配をしていたようです。彼らの仕事場についていけば、そこにあるのは屋敷二階の石壁が吹き飛んだ大穴です。


 大穴の断面を見れば、筋交いの頑丈そうな木材がいくつもポッキリと折れ、壁の石材は拳大ほどに砕けて一階の庭に散り散りに落ちています。しかも、石壁の間には魔法的な防壁も組み込まれていたらしく、明らかに色の違う建材が挟み込まれていました。それもまた、すっかり吹き飛んでしまっています。


 やってしまったと口を固く結び、呆然と昨日の己の所業を見つめていると、髭を蓄えた老大工の一人が話しかけてきました。


「はっはっは、お屋敷にどでかい穴を開けましたねぇ、奥様」

「あ、あなたは」

「ただの大工ですんでお気になさらず。大丈夫大丈夫、竜生人ドラゴニュートの家ではよくあることですよ。喧嘩したら家が倒壊、怒って火が出て全焼、そんなの日常茶飯事ですんでね。大工にゃ仕事がいつでもあるんですわ」


 あ、そうなのですか、と言いかけましたが、そうではありません。私が穴を開けたことはどうやら周知の事実のようです。しかし、周囲の皆さんは私を責めたり怖がったりする雰囲気はなく、朗らかなものです。


 私は調子を合わせて、誤魔化し笑いを浮かべるほかありません。


 ところが、髭を蓄えた老大工は、疑問を口にします。


「しっかし、一応防護魔法があるお屋敷でさえ、一撃ですか……何の魔法をお使いになったんで?」

「いえいえいえ、魔法なんてそんな、ただびっくりしてドンっとやってしまって」


 必死になって、私は首を横に振ります。嘘は言っていません、無意識に魔力が収斂して、衝撃波を出しただけだと思います。もしくは何かの力を発生させたのです。それが壁にぶつかって穴を開けた、はい。そのとおりですが、何か、と開き直れたらどれほど楽でしょうか。サフィール家の娘として、下手に魔法の知識だけはあるから状況分析ができてしまう自分が憎いです。


 これ以上ボロが出る前に、ここを離れなくては。私はそーっと後退りします。


 そして、誰かにぶつかりました。咄嗟に振り返りながら謝ります。


「ご、ごめんなさい!」

「いや、かまわん」


 私が振り返って、ぶつかった相手を認識したと同時に、低い聞き覚えのある声が降ってきたのです。


 そこにいたのは鎧を外した軽装姿のイオニス様でした。簡素なシャツとカマーバンド付きのズボンという薄着とも言える出立ちでしたので分かりましたが、私がどんとぶつかった箇所はどうやらご立派な胸板ですね。いかがわしい意味ではありません、厚い筋肉です。鍛えている体格のいい殿方って、ぶつかっても全然反動がなくってびっくりしました。だから昨日のアレを受けてもすっかり無傷なのでしょうか。


 私がそんなことを考えて現実逃避していると、イオニス様は髭を蓄えた老大工へ挨拶をしていました。


「ここにいたか、棟梁」

「旦那様、いつもお世話になっております」

「ああ。屋敷の防護魔法のことだが、さらに強力なものを付与したい。砦や城に使うレベルのものだ」

「そこまでとなると、腕のいい魔導師に新しく魔法を編んでもらったほうがいいでしょう。使う建材もそれに合わせたものを見繕いますんで」

「では、頼む。費用はいくらかかってもかまわん」


 どうやら、髭を蓄えた老大工はイオニス様のお知り合いのようです。さっき聞いたように、竜生人ドラゴニュートの家は壊れるなんてよくあること、きっとそうです、ええ。


 だからと言って私のやったことが帳消しになるはずもなく、くるりと向きを変えてイオニス様が近付いてきたとき、私は飛び上がるほど恐怖して奇声を上げてしまいました。


「エルミーヌ」

「はいぃ!」


 あっ、これは怒られるパターンです、絶対そうです。魔導師とは全然違う大柄な男性にそう迫られるとですね、自然と恐怖心が湧いてくると申しますか、正直とっても怖いです。近付いてきていますよね? いえいえ来なくて大丈夫です、大丈夫ですったらちょっと離れて——。


 イオニス様の手が私へと向けられた瞬間、我慢できなくなりました。


「いやーーーーー!」


 鼓膜が破けるかと思うような破裂音が、そんな私の悲鳴を掻き消してしまいました。


 つい目を閉じてしまい、何が起こったのか分かりません。地鳴りでしょうか、連続する激しい振動ととんでもなく固いものがまるで岩肌に激突して削っていくかのような轟音が響き渡りました。


 人々の緊迫した叫びがそのあとに続きます。


「旦那様ー!? おい、旦那様を掘り起こせ!」

「道具を急いで動かせ!」

「貫通した建物が倒壊するぞ! 気を付けろ!」


 音だけでも明らかに緊急事態です。私が目を開ければ、そこにイオニス様はいらっしゃいませんでした。


 私の前方には、あったはずの三階建ての屋敷がトンネルをくり抜いたように消え失せ、棟のさらに向こうの建物も貫通し、はるか奥まで続いているではありませんか。


 さらには柱を失った建物が地響きを立てて倒壊していきます。崩れ落ちる石壁、落ちてくる赤褐色の屋根瓦、上空に吹き飛ばされた粉塵が舞い落ち、逃げ惑う人々は急いで大工道具を避難させています。


 剪定された庭はあっという間に瓦礫の山に覆われ、粉々になったつぶてがまだ降ってきていました。


 もうお分かりですね。私の魔力がまた暴走したのです。おそらく、イオニス様ははるかかなた前方に頑丈な建物を貫通して吹き飛ばされています。


 さあっと血の気が引き、いたたまれなさと恐怖と混乱に包まれた私は、もはや考えるまでもなく逃げ出します。


「申し訳ございませんー!」


 今思えば、捨て台詞のように謝るべきではなかったかもしれませんが、あれもまた口を突いて出てきた言葉ですのでどうか許してください。


 ここではないどこか、そう、狭くて暗くて鍵のかかる部屋を求めて、私は屋敷中を鼠のように走り回りました。

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