第2話 旦那様と初対面です
リトス王国王都、城のそばには巨木がそびえ立っています。
まるで太古の神話に出てくる世界樹のごとく巨大で、城を呑み込みそうなほど大地に深く根を張り、城を驟雨から守り切れるほど枝葉は天高く生い茂るその木は、はるか昔にハリウ・リシア魔導王国から友好の証に贈られた居住型魔法生物『
王の住まう城よりも大きく成長した巨木には、サフィール家とその門下生たちが暮らしています。リトス王国随一の魔導研究機関としての役割も兼ねた、木の中に作られた快適な居住空間。概ね外見どおり、木の壁に木の床、木の天井の部屋が無数にあり、ウロは食堂や大ホール、講堂として使われています。一番大きなウロにはこの木の動力源である『
明かり、水道、蒸気、熱、そういった人間の生活に必要なものはもちろん、魔法道具の作成、魔法の訓練、魔導師の魔力回復の休憩所運営まで『
まあ、そこに住んでいる中で魔法がまともに使えない人間は、私だけなのですが。
そんな気落ちするような事実は横に置いておきましょう。今日も今日とて、私——エルミーヌ・サフィールは自室で作りかけのレースと格闘しているのですから。
ふわふわ青みがかった金髪をポニーテールにして、藍色のワンピースの両袖をめくり、歩きやすいパンプスを履いて、レース作りに没頭する。いつもの私のスタイルです。
固めのクッションに細いピンを何十本と打ち込み、
しかし朝から根を詰めすぎてしまいました、そろそろ休憩しましょう。そう思って、背伸びをしていたそのときです。唐突に、部屋の扉がノックされました。
私は顔を上げ、扉の向こうへと声をかけます。
「はい、どなたですか? 今、扉を開けますので、少々お待ち願えれば」
しかし、その返答はありませんでした。
代わりに扉が開かれ、現れたのは——見知らぬ赤い長髪の紳士、各所に意匠の入った銀板の輝く立派な装束はまるで御伽話に出てくる王様のようです。しかも、その頭には王冠代わりにか、金色の湾曲した大きな角が二本も生えています。よくよく見れば、彼の背後には真紅の鱗を持つ身長ほどもある長い立派な尻尾があります。
一体全体、どうしたことかと私は驚き、それでも何とか礼を失することのないように、と立ち上がってもう一度尋ねます。
「ど、どなた、でしょう……?」
私の部屋に親族や門下生以外の男性がやってくることなど、初めてです。
見られて困るものはありませんが、ちょっと失礼ではないでしょうか?
いえ、そう思ってみたかっただけです。さして誰かと会う機会のない私は、私のもとにやってくる客人ではなく間違えただけだろう、いやいや一応は私を訪ねてこられた可能性も捨てられない、と頭の中で忙しなくああでもないこうでもないと意見を戦わせていました。
そこへ、私の前に踏み込んできた男性は一言。
「お前がエルミーヌか?」
頭上から降ってきた重低音のお声に、私はつい気圧されてしまいました。
見上げれば、私よりも頭二つ分以上の背丈から、鋭い濃紫の眼光が私を睨みつけているではありませんか。アメジストのような瞳に、私の顔がしっかり映っています。
蛇に睨まれた蛙とはこのことです。涙目の私はぷるぷる震える足を踏ん張って、やっとのことで返事をします。
「は、はい」
「申し遅れた。私はイオニス、イオニス・ハイドロス・ナインスという」
そう名乗った男性は、スッと静かに会釈をしました。その上品な所作に、思わず見惚れてしまいそうです。
驚いてばかりの私へ、イオニス——様と付けるべきでしょう、イオニス様はご自身の顎を撫でながら、不思議そうに尋ねられます。
「その顔。
私は虚勢を張って、力一杯、頭を横に振りました。
「いえ、我が家の門下生にもおりますので……ただ、ここまで立派な角を持つお方は、見たことも聞いたこともございません」
イオニス様は「そうか」とだけつぶやき、私の答えにさして興味を抱かなかったようです。
この世界には人間以外にも様々な高度知性生命体がいます。その頂点にほど近いところにいる生き物が
ただの
しかし
いえ、それは正しくありませんね。『ドラゴニア
とはいえ、彼らは人間ではありません。友好的であっても人間の考えの及ばない存在であり、もし敵対すれば人間など易々と平らげることができる、と確信を持っているのです。だからこその余裕、だからこその【
とまあ、
ところがです。
イオニス様は、高みからこうおっしゃいました。
「事情は後で説明する。今からお前は私が貰い受ける、すみやかに我が国へ向かう支度をしろ」
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