16.ライブ前夜
深夜、点けっぱなしのテレビに緊急の台風情報が流れている。
『台風21号メーカラーは明日の朝には関東上陸、一日かけて東北方面へと抜ける見込みです。明日は可能な限り、外出は控えるようにお願いします』
お天気お姉さんの締めで、画面が天気図からスタジオに戻ってくる。
画面に固定されたテロップは『最強台風メーカラー、明日最接近か』と危険度を煽るもの。
MCの女子アナとコメンテーターたちが会話を始める。
『いやあ……、すごいですねえ。今回の台風……メーカラーでしたか。屋根って、あんな風に飛んでしまうんですね』
『メーカラーは観測史上最強クラスの……過去で言うと伊勢湾台風並みだと予測されていますから。帰宅中の方もこれから帰られる方も、屋根の瓦や街路樹の枝など、飛来物には気を付けてくださいね』
『ボクらもこの番組が終わったら帰るつもりなんですけど、……帰れるか?』
『タクシーも来てくれなさそう……この雨の中、走って帰るしかない!?』
『すでに東京も瞬間最大風速15メートルが計測されているので、おふざけされると命の危険がありますからねー。傘も風に攫われて危険なので、雨合羽等を身に付けるようにお願いします』
芸人のコンビがボケたところで、冷静を通り越して冷たい声音でアナウンサーの女性が注意を促す。真面目な彼女からすると、ボケていい場面ではなかったらしい。
『いやあ、でも帰りが気になるのは私もそうですよ。ホテルに泊まろうかと思ったんですが、近隣のホテルはもう一杯で。なんとか頑張って家に帰らないといけないんですよね』
壮年の男性がそう溢す。弁護士の資格を持つそうだが、最近ではバラエティ番組の出演にも意欲的で、弁護の仕事をしている姿を見たことが無い。
『番組が始まる前にタクシーもアプリで確認したんですが、四時間待ちとかで。どうやって帰りましょうかね……』
『深夜の生放送だと電車終わってしまうのがこういう時に辛いですなあ』
ははは、という笑いが広がったが、どこか乾いていた。
割と本気で「帰りどうしよう」と悩んでいるのが分かる空気が流れる。
話題を進行させるジングル音が鳴り、俯瞰で全員を映していた画面が切り替わった。女子アナ一人を中心に置く。
『最強台風メーカラーが近付いている中、とある場所に異常が発生しているそうです』
そこでVTR映像が入る。
聴き馴染みのあるナレーションが語り始めた。
『東京、千代田区。九段下駅から徒歩五分の場所にある日本武道館。武道の聖地、あるいは音楽の聖地とも呼ばれるここに異変が――』
平時の日本武道館を写した様々な写真が貼られた上で、ナレーションに合わせてテロップが現れる。
そしてまたすぐに場面が変わった。
これは外だ。街頭や建物の灯りで明るいが、空は真っ黒な雲に覆われており、絶えず陰影が蠢くことで非常に速い流れを示していた。風は強く街路の装飾やゴミが宙を舞う。雨こそ降っていないが、遠くから雷鳴すら聞こえてきている。
察しの悪い人間でも、これほど天気の悪い理由が最強台風メーカラーであることに気付くであろう。
つまりは、このVTRはつい数時間前の映像だ。
伸びた道の先、画面の奥に日本武道館が佇んでいる。
女性リポーターが髪を押さえながら画面の中に入ってきた。整えていたであろう髪は強風でぐちゃぐちゃになり、薄手の服も風に煽られて飛ばされそうだ。
『ここは日本武道館の前です! 時刻は午後の五時を回ろうかというところ……いつ雨が降り出してもおかしくない状況です!』
普通に声を発するだけでは強風に遮られて届かないのか、リポーターの女性は怒鳴るようにして話している。
『そのような天気の中……御覧ください! 日本武道館の前に数えきれないほどの人数が集まっています!!!』
リポーターが軽く走って行き、それをカメラが追う。
そして開けた視界には、広場を埋め尽くさんばかりに集まった人、人、人。
ほとんど全員がその場に座り込み、雨合羽を着こんでいる。
またどうやら蛇腹のように、つづら折りになって並んでいるようであった。
『一体なぜ、集まっているのでしょうか!? どなたかに伺ってみましょう!』
列の先頭らしき、痩せ気味ボディで眼鏡の男性にリポーターが声をかける。
『すみません、お話を伺ってもよろしいですか!?』
『大丈夫ですよ、時間はめちゃめちゃあるんで』
手元でスマホをいじっていた男性は顔を上げると、目の奥をギラリと光らせながら答える。どことなく鬼気迫る表情であった。
思ったよりも圧の強い様子に、リポーターは少しばかり腰が引けつつも質問をした。
『こちら、皆さん並んでいらっしゃるようですが、何を待っているんですか?』
『明日、Vtuberグループの『プリズム』がここでライブをするんです。それの待機列ですね』
『あ、明日? これから最強台風のメーカラーが上陸する見込みですが……』
呆れと警告を兼ねたリポーターの台詞に、男性は力強く頷いた。
『だからです。交通機関が止まる前に来ました』
『えっ? ライブは明日なんですよね?』
『はい、明日の十八時からですね』
『……えっ? 今は十七時だから……これから一日以上、ここで待つってことですか!?』
『そのつもりです』
『最強の台風が来るのに!? 危険すぎますよ! まだ上陸してない今ですらこんなに風が強いんですよ!?』
正気を疑う回答にリポーターが目を剥いて危険を示唆する。
この台風については何日も前から気象庁からお達しがあり、自身の所属するテレビ局でも何度となく警戒を発信していた。
事実、通り道の傍にあった沖縄や九州から東海地方まで、軒並み酷い状況だと聞く。
『それに、これほど強い台風なら、イベントも中止になる可能性が高いとは思いませんか!』
『だからです』
男性は二度目の台詞を使った。
『えっ……?』
『中止になんてされたら困るんですよ。明日は遠久野ライカさんが引退する日なんです。ライブが中止になったら、その最後を見届けられないじゃないですか。そんな最後、絶対に嫌なんです』
『……ここにいる皆さんは、もしかしてそのために?』
『ええ。中止の告知がされる前に人が集まっていたら、ライブをやってくれるんじゃないかって』
『命の危険があるんですよ?』
『そうですか、はは……』
男性は少し俯いて、それからカメラに向かって精一杯キリッとした顔を見せた。
『僕の人生はライカさんに一度救われていて……だから、ライカさんの最後は絶対に見届けないと一生悔いが残ります。今、ここにいる人たちはみんな、明日ライカさんに会えないなら死んだ方がマシだと思っているはずです』
『えぇ……? お隣の方、そうなんですか……?』
先ほどからカメラの端で変なポーズを取って目立とうとしていた太めの男性にリポーターが水を向ける。
『だ、だぁふっ!? お、オレぇ? ……っふ、オレぇ……は、そんなカッコ良いエピソードないけど、もし見逃したら最低でも一か月は凹むかなあ。いやオレは引退なんか納得してないけど!』
『ものすごく危険な台風が来ると気象庁が警告を出していますが?』
『過酷な環境下での待機には慣れてるんで、でゅぁはっ! オレたちはぁ! どんな状況だろーと、推しのためなら開場されるまでいくらでも待てるっ』
太めマシマシの男性は急に感極まった様子で立ち上がって叫ぶと、そのまま振り返って「なあっ! お前らもそうだろっ!?」と取材に興味津々だった待機列に呼び掛ける。
その呼び掛けに「そうだーっ!」「いつまでも待つぞ!」といった大歓声が返ってくる。
リポーターの女性はその熱狂に気圧されつつも、改めて最初の男性にマイクを戻す。
『もし、この後、イベントの中止が発表されたらどうされるんですか?』
『どうもしません。ここで待ちます』
『……中止なのに、ですか?』
男性はメガネのブリッジを指先で押し上げた。
『僕は……僕たちはプリズムを信じてます。タカロー社長を信じています。けっして僕らを見捨てはしない。仮にイベントが中止になったとしても……、例えば台風が急激に弱くなったら挨拶の場だけでも設けてくれるんじゃないかって』
『メーカラーは明後日まで猛威を奮う、という予報になってますが……』
『わずかでも可能性があるのなら、僕たちはそれが潰えるまでいくらでも待ちます』
『な、なるほど……。お時間をいただき、ありがとうございました』
そしてテレビ画面はスタジオへと戻り――
「どうしたらいいと思う?」
「どうしようもないのでは?」
テレビを見ていたプリズムヴィジョン社長の投げやりな質問に、遠い目をした秘書も投げやりに答えた。
ギリギリまで台風の様子を見て、どうやっても難しそうであれば致し方なくライブイベントの中止へと踏み切るつもりでいたが、数時間前であの待機人数である。少なく見積もっても二千人はいた。
SNSをチェックする限りでは、あれからどんどんと待機列が伸びているらしい。
東京はすでに台風メーカラーの勢力圏に入り、外は暴風と雷雨で荒れ狂っているにも関わらず。
「武道館側からは早く解散させろと言われていますが、あの様子だと今更中止としたところで解散などしないでしょう。かといって、中止せずに開催するにはあまりにも危険が伴う……配信者やスタッフの命に関わります」
「命に関わるのはあそこで待ってるファンの人らもだからね……。本来なら中止を選べば両方守れるはずなのに、そっちを選ぶとファンがなあ」
「いえ、別に開催を決定したとしても、武道館の前にいる人らは現在進行形で危険の最中におりますが」
「知らないよ……そんなの……」
ただでさえ大型イベントの準備でてんてこ舞だというのに、暴走気味のファンによるシュプレヒコールで精神疲労はドンと倍に増えていた。
中止か、開催か。
社長としてのタカローはもはや中止が正解だと思っている。
当然の判断だろう。今年最強の台風、メーカラーがすぐそこまで迫っている。屋内にいたとしても被害に遭う可能性すらある凶悪な災害を前にして、年若い少女や女性たちに歌って踊れなど。古代の巫女でもあるまいし。
大勢を危険に晒すという事実を考えれば、中止の選択を取らないのはあまりにもリスキーであった。
しかし、私人としてのタカローは開催を望んでいる。
気持ちはあの厄介なファンたちと同じだ。
――ライカの引退を止められないのであれば、せめてその最期を目に焼き付けたい。
ライカとの約束はこのライブまで。中止になってしまえば、延期など考えずにスパッと消えてしまうであろうという認識はおそらく正しい。
億が一の可能性を残すためにもライブは開催しなければならない。
だが、たった一人の可能性のために、数千もの人の命を天秤に載せて良いのか。
プリズムヴィジョンも大きな会社になり、社会の公器としての側面を求められるようになってきた。株式会社である以上、株主に配慮した選択をしなければならない。
選択の結果タカローだけが落ちぶれるのならば構わないが、社員や関係各社、なにより所属の配信者たちに迷惑をかけてしまうことをシミュレートするとやはり中止しか選べない。
しかし、あの厄介ファンたちは中止を選択したとしてもあそこを動かないと言う。であれば早々に開催を明言し、武道館側と掛け合って早く中に入れてやった方が安全なのではないか。
いやいや――だが……けれども――……
「はあ……僕は、僕がこんなに優柔不断だとは思わなかったよ」
「まさかご自身を頼れるリーダーシップ発揮しまくりの陽キャだと?」
「それは悪意のある解釈すぎやしないかい」
情け容赦のない指摘に、ついにタカローは考えることを放棄した。
すぐに答えを出さなければならない事柄であることは間違いないが、いくら悩んで考え抜いたところで答えの出せない難問だ。
脳裏の悪いトコロがささやく。このまま優柔不断な振りをして時間をやり過ごせば後に引けなくなって、ライブを開かざるを得なくなる。タカローの進退には当然関わってくるだろうが、ライカのいないプリズムヴィジョンに煌きを果たして見い出せるのか。
「……僕の中では、すでに答えは出ているんだ。ただ、それは選んではいけない
タカローがつい呟いた言葉に、秘書は回答を用意していた。
「答えが出ているのなら、それで構わないのでは?」
「……いや、しかし」
秘書はまるでアイドルのように可愛らしく首を傾げて尋ねた。
「もしかして、モラルとか社会常識みたいなつまらないことを気にされてます?」
いつも諭してくる側にいる秘書の質問に、さすがのタカローも唖然としてしまった。
「つまらない……って、君……」
「コンプライアンスなんて少しくらい破った方が面白い、そう言っていたのは社長じゃないですか。肝心な時にビビっちゃうのはダサすぎますよ」
「ダサいとかダサくないで片付く問題じゃないから困っているのだけれど」
「はあ、そうですか」
聞いているのか、いないのか。
ぼんやりした返事をして、秘書はおもむろにタカローの業務用スマートフォンをタップした。なぜパスを知っている。
チャットアプリを開いて、止める間もなく誰かに通話を投げかける。
「ちょっと待ってくれ」
「待ちませんので、さっさと決めてください」
それはどちらを選ぶか、ということではなく。
『タカロー、どうかした?』
後戻り出来ない道を進む覚悟。
選ばざるを得ないところに容赦なく突き落とされた。本当に秘書のやることか、これが。
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