第25話 心身の再構築

 アルス・ドステニア誘拐事件から一週間後。


ハルスの街から少し離れた森の中で、黒装束の男が仲間の元へと向かって走っていた。その手には『極秘』と書かれた資料が握られている。


「はぁ、はぁ……追手が来る前に早く合流せねば」


 あの日、王子襲撃に失敗した男は、屋敷の地下に投獄されていた。その間、飲まず食わずで尋問を受けさせられた男だったが、何とか隙を見て逃げ出し、目的の資料を回収することに成功したのだ。


「待てぇ!奴を逃がすなぁ!!」


 背後から怒号のような叫び声が迫ってくる。一刻も早くこの資料を同胞に渡さなければ。男は不安と焦りを抱えながら、必死に足を動かす。しかし、心の奥底で『この資料は間違いなく渡せる』という確信があった。


その確信が、自身の暗殺者としての実力からくるものなのか、それとも別の何かなのか男には分からない。分かる必要もないと思っていた。


追い迫る兵士達の手から何とか逃げ追うせた男は、同胞との合流場所に到着する。


「おい、ドグマ!俺だ!例のモノを回収してきたぞ!」


 男が闇の中叫ぶと、黒装束に身を包んだ男が暗闇の中から現れた。男は自分の名を呼んだ人物がまだ生きていたことに驚き目を見開いた。


「お前、生きていたのか!それに……例のモノを回収してというのは本当か!?」

「ああ、なんとかな。奴等、俺を殺さずに情報を引き出そうとしたのさ。暗部の俺が口を割るはずもないのに……まぁそのお陰で逃げ出せたし、コイツも手に入れることが出来たんだが」


 男はそう言って手の中のモノを見せびらかすように男の前でパラパラとめくっていく。


「そうか。ではそれをもって本国に帰還するとしよう。だがその前に、まずはそれが本物の資料かどうか確認する必要がある。見せてみろ」


 黒装束の男がそう言って資料を譲り受けようと手を差し伸べる。しかし、資料を奪ってきた男はそれを渡すことなく、自分の服の中に隠してしまった。それを見て黒装束の男は激怒する。


「何のつもりだ!その資料が本国にとってどれだけ貴重なモノなのか、お前は分かっているのか!」

「分かってるさ。だがその前に、どうしてもやらなきゃいけないことがあってな」

「やらなきゃいけない事?なんだそれは。まぁいい、それなら早くそれを片付けて──」


 黒装束の男が話し終える前に、右手が腹部を貫通した。一瞬何が起きたのか理解できない黒装束に対し、男はニヤリと笑みを浮かべながら右手を引き抜く。大量の血が地面に流れ出し、黒装束はその場に崩れ落ちた。


「き、さま……なぜ──」

「お前のせいで本国の狙いが王子にバレたからに決まってんだろ?王子を捕縛する前に、『合成人魔獣』の資料を渡せとかペラペラ喋りやがって」

「そ……」


 黒装束は何か言い返す間もなく、ゆっくりと地面に倒れこむと、そのまま息を引き取った。男は手に着いた血を振り払い、黒装束が身に着けていた衣類と道具を回収していく。


「まぁそれは建前で、本当はずっとお前を殺したかったのさ。弱い癖に上から命令しやがって。アンタもどうせ資料を奪ったら俺を殺すつもりだったんだろうが、残念だったな」


 男は死体に向かって吐き捨てる様にそう口にすると、闇の中へと消えていった。一刻も早く本国に向かい、この資料を渡さなければならない。この資料は、男がアルス王子に重傷を負わせ、奪い取った本物の資料なのだから。


 ──男が殺した黒装束の死体を見て、兵士は標的を追うのを止める。目標を達成した兵士たちは、王子が待つ屋敷へと戻って行くのだった。



 時は一週間前に遡る。


 ソフィアは俺の目の前で、男の額にナイフを突き刺した。その直後に彼女は魔法を発動させる。


「『心身の再構築ハートリメイク』!」


 ナイフがどす黒い光を放ったあと、ソフィアはゆっくりとそれを引き抜いた。男の額にあった刺し傷が、スゥーっと消えていく。初めて見る魔法に度肝を抜かれながら、俺はソフィアに問いかけた。


「今ので終わったのか?」

「いいえー、これは準備って感じですかね!適当に記憶を改竄するには一回で良いんですけど、それだと本人に強く疑われたら効果が消えちゃうんです!だからこれから何度も何度もコレを使って、改竄した記憶を深層に根付かせていくんですよ!」


 そう言って光悦とした表情でナイフを触るソフィア。聖職者が使う魔法では無い事だけは確かなのだが、彼女にそれを聞く気にはならない。なぜなら彼女は狂っているのだから。


「なるほどな。それじゃあ改竄内容は、『俺に捕らえられていたが、隙を見て脱出。その後、研究室へ資料を確認しに行った王子を襲撃して資料を奪った』というものにしてくれ」

「分かりましたぁ!あ、この魔法が使えることは秘密にしといてくださいねぇ?バレたら私怒られちゃいますから!」


 そう言って舌をペロッと出すソフィア。怒られるだけで済むわけないのだが、本人は自覚していないらしい。どちらにせよ、俺がエデナ教の本殿に赴くことは無いし、彼女の秘密をバラす事はしない。


「分かっているさ。ではコイツは任せることにしよう。それと、偽の資料についても頼んだぞ」

「はいはーい!それじゃあ一週間後に迎えに来てくださいねぇ!」


 嬉しそうに返事をするソフィアに別れを告げ、俺は研究室を後にする。そのまま階段を上がっていくと、上の方からコソコソと話声が聞こえて来た。


 どうやらフランツ達が目を覚ましたらしい。俺は物音をたてぬようゆっくりと忍び寄り、彼等の会話に耳を傾けた。


「早くしろよ!今の内に逃げねぇと、今度は本当に殺されちまうぞ!」

「分かってるって!ただこの縄が固すぎて……クッソ、切れねぇ!!」

「何やってんのよ、ユーリ!アンタ斥候でしょ!こういう時こそちゃんと仕事しなさいよ!」

「うるせぇ!さっきから真面目にやってるって!」


 何か情報が聞き出せるかもと思ったが、どうやら逃げの算段をしているだけらしい。これ以上泳がせていても意味はないと思い、俺は彼らの前に姿を見せた。


「やぁ冒険者諸君……ご機嫌はどうだい?ぐっすり眠れたみたいだね」


 嫌味を返すかのように、フランツに言われた言葉をそっくりそのまま返してやる。俺の姿を見た三人は、自分達が置かれている状況を理解したのか悔しそうに唇を噛み締めた。


「クソ野郎!陰湿な真似しやがって!元から俺達を殺すつもりだったんだな!やるならさっさと殺しやがれ!」


 この状況下でもフランツは俺に歯向かう事を止めない。冒険者としてのプライドが、俺のような存在を許したくないのだろう。両隣の二人もそれを分かっているのか、「止めろ」と顔には出しつつも口にすることはしなかった。


 だがフランツが何を言おうと、俺は彼を殺すつもりはない。情報を聞き出したいという理由もあるが、彼のような正義感の溢れた人間は、一年後の街に必要な存在だ。


「まぁそう喚くな。君達にはいくつか聞きたいことがあってな。俺の質問に答えてさえくれれば、このまま解放するし、誘拐の件も不問にしてやって良い」

「あぁぁ!?ふざけんじゃねぇ!誰がお前の言う事なんて──」


 俺の提案に対し、まだ歯向かおうとするフランツを二人が制止した。


「何でも話します!だから殺さないでください!お願いします!」

「おい、お前達!何言ってん──」

「フランツは黙ってなさい!アルス殿下!何でもお話いたしますので、何なりとお聞きください!」


 あれだけ強情だったフランツが彼女の言葉を聞いてしょんぼりと肩をすぼめてしまった。その様子を見て思わず笑いそうになるも、俺は真剣な眼差しで二人に問いかけた。


「では初めに。俺を誘拐しようと提案したのは誰だ?」

「えっと……それはフランツです。昨日の夕方にフランツが話があるって言い始めて」


 彼女はそう言いながらフランツの方に顔を向ける。彼女に見つめられたフランツは鼻を鳴らしながら顔をそむけた。


 彼女の発言通りであるなら、フランツが一連の首謀者という事になる。奴らと接触したのはフランツか。


「フランツ。誘拐を提案したのは君らしいが、あの小屋を監禁先に選んだのも君か?」

「……」

「ちょっとフランツ!黙ってないで何とか言いなさいよ!」


 俺の質問に無言を貫くフランツ。痺れを切らした女性が、フランツに頭突きを食らわせると、フランツは渋々と言った様子で口を開いた。


「チッ……俺じゃねぇよ。良い場所があるって、冒険者仲間の男に教えて貰ったんだ」

「冒険者仲間?そいつの名前はなんだ?いつから知り合いなんだ?」

「名前は確か、ミゲルって言ったな。一ヵ月前くらいに街に来た奴だ」


 フランツは話し終わると、「すまねぇミゲル」と言って項垂れた。仲間思いの良い奴なのか、自分が助かるために仲間を売ってしまった自分を許せないのだろう。そんな彼に、俺は真実を教えてやった。


「恥じる必要は無い。そいつは恐らく帝国の間者だ。お前達を襲ったのも、多分その冒険者と一味だろう」

「はぁ!?何言ってやがる!ミゲルは良い奴だ!酒もおごってくれるし、俺の話もよく聞いてくれる最高の仲間だ!」

「別に信じなくても良い。明日になれば何が真実かよくわかるだろう。どうせミゲルとやらは見つからないだろうがな」


 俺はそう言うと三人の縄をほどいてやった。あっけなく解放されたことで戸惑いを見せる二人に対し、フランツは俺を睨みつけながら立ち上がる。


「俺は仲間を信じてる……次会ったら今度こそ分からせてやるからな!覚悟しときやがれ!」


 最後まで俺を睨み続けるフランツは、仲間たちに引っ張られながら孤児院を出ていった。彼らの姿が無くなったのを確認し、俺はようやく安堵の息を吐く。


 忙しなく過ぎた一日だったが、これでようやく屋敷に帰ることが出来る。


「はぁ……結局、ルナの奴助けに来なかったなぁ」


 そう口にした俺の頬を、一粒の涙が零れ落ちていく。屋敷に戻り彼女の部屋を確認しに行くと、ベッドの上で熟睡するルナの姿があったのは言うまでもない。

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