第8話 廃寺

 

 寺院の中は広く、色褪せた朱色の床の上に灰色の布が並べられていた。

 もちろん中身は例の遺体である。

 隠しきれない手足の皮膚の色は、布の色とそう変わらない。


 加菜子は思わず視線を外した。

 

 発見が遅れたためだろう。

 今まで嗅いだことのない、酷い悪臭が充満していた。

 

「これで全部?」

 ヴィンセントがやや顔を顰めながら村人に尋ねた。

「中で見つかったのはこれで全てですが、外にもう一体あります」

「外に?」

「中の者と様子が違ったんで、動かさない方がいいかと思って……」

「ふうん?」

 ヴィンセントは屈んで何気なく布をめくる。

「ウッ」

 とたんに数人の村人が顔を背けてえずいた。

 

 加菜子は目をきつく瞑る。

 ハンカチでも臭いは抑えきれないけれど、口元を押さえていなければ吐いていたかもしれない。

 込み上げる胃液を堪えるために、何度か瞬きをした。


 曇った日向と建物の影に埋もれる朱色の床。

 

 

 それが鮮やかなあかに変わった。


 ハッと加菜子は顔を上げる。

 

 

 松明で囲まれた輪の中に大勢の人がいた。

 両手をゆっくり天に掲げて、勢いよく振り下ろした。

 それを何度も、何度も繰り返している。

 篝火が光となり影となって、彼らを舐めるようにうねった。

 

 額に浮かぶ汗が撒き散らされる。

 一心不乱に、彼らは何かを祈っていた。

 何かに、祈りを捧げていた。

 

  それは祈ってはいけない、祈ってはいけないものだ。

  人が願っていい存在ではない。

 

 やがて彼らは白い紙に包んだナイフを取り出した。

 

  やめて。


 人々は恍惚とした表情で、喉を天にさらす。


  やめて!


 その切先が、喉を突き破った。

 

 

「ぁっ、」

「――聖石の刻印、大願の紋章」

 ヴィンセントの声が加菜子の呻き声をかき消して現実に引き戻した。彼は遺体の中心で床に刻まれた魔法陣を足で踏み潰すように擦った。

「こいつら、エリクサーに頼って一体どんな魔法を使った?」

 

 加菜子は思わず喉を抑えた。

「大丈夫ですか?」

 囁くような声にそろりと顔を上げれば、巡察隊の書記長が心配そうな表情でこちらを覗き込んでいた。

「顔色が酷い。少し外の空気を吸いましょう」



 


 促されるまま冷えた足で寺院を出る。不思議と躰に体温が戻ってくるようだった。

 新鮮な空気を取り込むと肺が震えた。


 そうして躰が落ち着いて来ると、今度は自己嫌悪に陥った。

 

(こんなに感受性強かったっけ)

 

 こちらの世界に来てから加菜子はいつも誰かに守られてばかりだ。

 魔術を使えないことを差し引いたって、現代の便利な生活に浸りきった加菜子はあらゆる面で足手まといになることが多い。

 

 加菜子はため息をこぼした。こんな姿を2人にだけは決して見せたくない。

 

 ふと木々の中で一際細い幹に目がついた。その木だけ樹種が違うのだろう。細長いその根元にはうろがあった。

 うろの中に、素朴な着色塗料のついた置物がある。

 

 加菜子は不意に近づいた。

 それはこけしにも似た、西欧人形のような陶器の人形のようだった。加菜子は引き寄せられるように手を伸ばした。

 

 その手首を強い力で引き止められた。

 

 加菜子が見上げると、フランが厳しい顔で立っていた。

「この馬鹿」

 掴まれた手首が熱い。

 

 いや違う。自分の方がすっかり冷えきっているのだ。普段ならこんな不用意に知らないものへ近づくことなどない。ましてや触れようだなんて。

 

(わたしは今、何をしようとしたの)

 

 そこで初めて加菜子は自分の行動の奇怪さにゾッとした。

 

 そのまま加菜子の手を引いて立ち上がらせると、フランは自分の後ろへ下がらせてヴィンセントたちを呼んだ。

 村人が直接触れないように気を付けながら人形を取り出した。

「こりゃあ、コーンベビーだ」

「何それ?」

 ヴィンセントが首を傾げた。

「農民が豊作と幸福を願って埋めるんだよ。あとは心願成就の意味もあったかなァ」

「お願い、ねえ」

 ヴィンセントが皮肉のような笑みを浮かべて言った。

「それにしては、ずいぶんと禍々しいものを閉じ込めていたらしい」

「おい、これはどういうことだ!」

 その時、向こうからオリバーの焦ったような怒鳴り声が聞こえてきた。

 

「何、どうしたの?」

 ヴィンセントが近付くとオリバーは顔色をサッと青くした。

 しかし同時に今にも舌打ちをしそうなくらい苛立ち始めたようだった。

 追い詰められると怒りに変わるタイプらしい。

 先に遺体を見た村人の大工職人が「ぅう」と呻いて布を掛けた。書記長が代わりに口を開く。

「実は、外にあった術者と思しき男の遺体が……」

 その先を憚るように書記長は言い淀んだ。

「顔を焼かれ、舌を抜かれているんですよ!」

 オリバーが苛立ちを露わに叫ぶように言い、勢いよく布を捲った。大工職人が顔を背けて慌てたように空で両手を動かした。

「おいおい、アンタ!」

「うるさい! この俺の目と鼻の先で、よくもふざけた真似を!」

 大工職人の腕を振り払い、オリバーは怒り心頭であるようだった。

「チッ」

 ついにフランが舌打ちをした。彼は同時に加菜子を下がらせたが、一足遅く加菜子の目にも無惨な遺体が既に焼き付いてしまっていた。

 

 死後の固まりきった顔を無理に動かしたのだろう。それ以上は筆舌にしがたい酷い有様であった。

 

 するとヴィンセントが突然吹き出したように笑い声を上げた。

「あはは!」

 フラン以外の全員がヴィンセントを化け物でも見るかのように注視した。彼は顔に手を当てながら呟いた。

「生贄、破壊された石碑、エリクサー、無理やり押し込められた不完全な封印、舌を抜かれた男」

 

 ヴィンセントは吐き捨てるように笑った。

 

「作法なんてまるでない。これじゃあ邪教黒魔術のツギハギだ」

 

 ◇


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