譲歩したりしなかったり
たぶん何も食べていない(私の以外には木串も茶色い実の殻も残っていなかった)ユンシーに口をつけていない茶色い実を押し付けると渋々ながら受け取ってくれた。
ユンシーが茶色い実の皮を割って中の水を飲んでいる間に私は畳んで置いていた外套を手に取る。そして実が空になったのを見計らって外套を差し出した。
「貸してくれてありがとう」
これまで通りにああ、と一言だけ添えて受け取ってくれると思っていたのだけれど今回は違っていた。
「それは君が使え。あまり効果はないかもしれないが、顔を隠せる」
貰ってばかりで感覚が麻痺してしまいそうになる。追われる立場にあるのだからありがたいことには間違いないのだけれど。
「……ありがとう。でも、私にはちょっと大きくて裾を引きずっちゃうからさ。ユンシーが使って?」
ささやかな抵抗。とも言えないただの自己満足だ。私にはユンシーに返すものが何もないのに。形に残るもの残らないもの全部ひっくるめて与えられてばかりで苦しかった。
「……ふむ」
私の言葉をどう解釈したのか。ユンシーは神力で外套を空中に広げると、右の人差し指と中指で外套の裾を挟んだ。すると一瞬のうちに人差し指と中指が白銀の刃物に変化して……変化させて?
ぽかんとする私を尻目に二本の指を鋏のように使い滑らかに裾を切り落としていった。ユンシーから貰ったナイフに見た目や切れ味の良さがとても似ている。
「これで君の丈に合うはずだ」
「うわっ!」
私はそのときユンシーが見向きもせず地面へ落とした外套の端切れを拾っていて。丈を調整された外套が不意打ちで降ってきたのに反応できなかった。受け止めそこねた外套を頭から引っ被ってしまい視界が覆われてしまう。
端切れを握りしめ大慌てで外套から顔を出すとユンシーは立ち上がっていた。何かすべきことがあるのかもしれない。静かに右手を挙げる。
「一言いいですか」
「一言で済むのか?」
「…………ありがとう!」
素直な感謝とその他諸々の気持ちを込めて言い放つ。するとユンシーが小首を傾げた。
「ああ。それで?」
そうやって私の発言を促そうとしている。せっかく頑張って一言で抑えようとしていたのに。ユンシーの右手を横目にしながら外套をきっちり着てフードを被った。端切れはどうしようかな。とりあえず懐にしまっておこう。切れ端でもここに捨てていってしまうのは嫌だから。
そうやってごそごそと身支度を整えてからユンシーと向き合った。
「指が鋏みたいになってたのも神力?」
「……そうだな」
その意味ありげな間は何だろう。ただ単に私相手に説明するのが面倒なのかもしれない。いつか教えてくれたらいいなと思う。色々と。でも、そのときが来たとして私はそれを理解できるのだろうか。理解できなくても、否定はしたくないな。
◆◆◆
変化した指についてユンシーは詳細を語らなかった。その代わりに一つの問いを私に投げかける。
「街の外にも人間の集落があるのを君は知っているか?」
面食らってしまって私はすぐに答えられなかった。だからといってユンシーが急かすこともないと分かっていたので、深呼吸をしてから返事をする。
「……街から追放された人たちが集まってどこかで生活してるって……聞いたことはあるけど、信じてはなかったよ。街から追い出されるのは死ぬってことだった。でもユンシーがそう言うってことは、本当なんだね?」
都市神様の――神官たちの教えに背いた人は街から追放される。モーティスで一番重い罰だった。その人の存在が端からなかったことにされる。痕跡は念入りに消されて誰も、その人の親族さえも名前を呼ばなくなる。
だけど、いなくなった人がいることだけは戒めとして人々の間で囁かれるのだ。神官や年長者は罰を受けたくなければ都市神様を敬い教えを守りなさいと口を酸っぱくして言い続けていたものだった。
そういう状況下で追放者の集まりがあるという噂を初めて聞いたときには肝を冷やした。そんな噂をしていることが神官たちに発覚したら私も追放されるんじゃないかって。追放どころか自分から逃げ出した今となっては笑い話……にはならないな。
「ああ。その集落がここから近くにある。見たいか?」
「……見てみたいとは思うけど、部外者は目立たない?」
「集落の出入りは自由だ。いたければいればいいし、いたくなければ去ればいい。個々の事情に干渉もしない」
「詳しいね」
「実際に見たからな」
「いつ!?」
長考の後にユンシーは言った。
「…………以前だ」
ユンシーの言う以前ってどれだけ昔なんだろう。今と事情が変わってたりしないかなと心配なところはあったけど、私はユンシーの誘いに乗ることにした。
追われる立場にある私が集落に居着くことはできないけれど、私と一部同じと言えなくもない人たちがどう暮らしているのか知りたかったから。それに……決断までの時間を少しでも伸ばしたかった。ユンシーは急かさない。でも、いつまでもそれに甘えてはいけないだろう。
◆◆◆
いざ集落へと向かう。
ユンシーの後についていくべく踏み出した足は地面に着くことなく宙に浮いた。これはアレだ。ユンシーの神力だ。前を行くユンシーは地面スレスレを浮きつつも歩く動作自体はしている。私はその後ろでじたばたしながら運ばれている。
確かにこっちの方が無駄な体力を使わずに済んで楽かもしれないけど。意識があるときにこの扱いをされるのはかなり情けないし恥ずかしい。
「ま、待って!」
慌てて静止の声をかける。するとユンシーは瞬時に全ての動きを止めて振り返った。
「どうした?」
「普通に歩いたらだめかな?」
「近くといっても、君には向かない距離だぞ」
きっぱりと言い切られてややたじろいだ。けれど、まだ折れたくはない。
「う……でも、歩かせてほしい。これでも前は採集のために森を歩き回ってたし……こうやって楽をしてるとどんどん歩けなくなっちゃいそうだから。そのせいで時間が余計にかかるのは……ごめんなさい」
そう言って私は頭を深く下げた。鼓動が早くなる。ユンシーがどんな表情をしているのかはもちろん分からない。無表情のままな気がするけど、不愉快そうにしていたらどうしよう。そんな立場にはまったくないのに傷心してしまいそうだ。
ユンシーが何も言わないまま、すとんと地面に足が着いた。恐る恐る顔を上げるとそこには伏し目がちのユンシーがいた。ど、どういう感情だろう!?
「……いや、俺も考えが足りなかった。時間については君が気にする必要はない」
と手短に話してユンシーは前を向いた。そして早々に歩き始めてしまう……といっても私が歩いて追いつける程度に歩幅を合わせてくれている。やっぱり優しい。心がそわそわして、むず痒くて、惚れちゃいそうだ。まあ私なんてお断りだろうけど。
ユンシーの隣へなんとなく小走りで並んで私も前を向いた。
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