第12話
「もぅし……わけ……ぁ……」
「アニエス! 気が付いたのか? もう大丈夫だ! アニエス!」
「旦那様、もうお休みください。次は旦那様が倒れてしまいます」
「リザ、お前もだろう。お前が先に休んでいろ」
「侍女長も旦那様も、お二人ともです! ヒルダが戻ったら私も休みますから、お二人が先にお休みください」
「俺は構わん。さっき仮眠を取った」
「仮眠って……たったの十分ですよ? ずっと魔力をお使いなったままで……アニエス様がお目覚めになられた時に、お二人が倒れていたらどれだけショックをお受けになるか」
「う……うるさ……ぃ」
――うるさくて……目が、覚めちゃったじゃないのよ。
一体何を……私の側で、皆騒いでいるの?
「アニエス……良かった。……痛みはもう無いはずだが」
旦那様の声。
少し、お疲れになっているような。
「どぅ、して……ここ、に」
「お前は倒れたんだ。急に魔力が発現したせいでな。五回は血を吐いたぞ」
「ち……?」
「すみません。動かせる状態ではなかったので、汚れたベッドがそのままでして……」
「リリ、ァ……」
「お体を起こせるようになったら、全てお取替えしますからね?」
リザも居る。
「わた、し……」
体が痺れていて、動かそうと思うとビリビリと、痛こそばゆい。
「無理に動かなくてもいいぞ」
仮面姿の旦那様。
と、キラキラした光たち。
「きれ、い……」
まるで神界に居た時のような、色とりどりの光の世界。
「おい、俺を見て何を言っている。……いや、まだ朦朧としているのか」
不思議そうにしているのが、声で分かる。
「意識は……あります、よ? まだ、しびれて……うまく、うご、け、ません」
「あぁ。アニエス様……よかった……」
リザはひどい顔ね。
眠っていないのかしら。
もしかしなくても……私のせい?
「リザ。あり、が、とう。寝て、く、だ、さい」
「そうなんです! よくぞ言ってくださいました。旦那様も侍女長も、全く寝てくれないんです。もう、丸二日ですっ」
随分と、迷惑をかけてしまったのね。
「だ、め、よ? リザ」
「えぇ、ええ。安心したので、休ませて頂きますね? アニエス様……」
「うん」
良かった。
感極まって、手を握られたりするのかと思っちゃった。
しびれているから、どこも触れられたくないのよね。
「ふぅ。俺も休むか。俺の魔力がなくても、もうほとんど癒えているだろう。どうだアニエス、どこか痛む所は無いか」
そういえば、全身に激痛が走って……。
でもたぶん今は、しびれているだけ。
「だい、じょ、ぶ。です」
もどかしいけど、これ以上上手くしゃべれないなぁ。
「そうか。でも、何かあればすぐに呼べ。リリスかヒルダを付けておくから」
「はぃ」
それにしても……。
この光。
皆が居るということは、神界に戻ってしまったわけじゃないのよね。
綺麗。
あら、精霊も聖霊も、皆居るじゃない。
人間界には居ないと思っていたけど、急にどうしたのかしら。
あぁ、落ち着く……。
アハハ。久しぶりだからって、そんなに群がらないで?
たくさん光を落としてくれても、まだ光糸を紡いだりできないから。
それより、皆のお陰で気持ちよくなってきたから、もう一度寝させて。
あぁ、残っているリリアに伝えておかないと、また驚かしちゃうわね。
「リリ、ア」
「は、はい!」
「ねむい、から。ねる……」
「はい、かしこまりまし……あら、もう寝息を立てていらっしゃる」
フフ。リリアったら、さすがにそんなに早く眠るわけが――。
**
あれからまた、半日以上眠っていたらしかった。
しびれもかなり取れていて、指先と足先がまだ少し、ジーンとしているくらい。
おなかが減ったと思って、体を起こしたらヒルダを驚かせてしまった。
椅子から飛び上がって、すぐ戻りますと言い残して走って出て行った。
「おなかをこう、ぎゅう……っと、ね」
この二カ月、おなかが減るよりも早く次の食事をもらっていたから……久しぶりの感覚。
なんて感慨にふけっていたら、扉が勢いよく開いてわらわらと皆が入ってきた。
リザと、リリスとヒルダ。
「あ……三人とも。看病してくれて、どうもありがとう。お陰で今は、なんだか大丈夫そう」
「アニエス様っ、いえいえそんなっ」
「私とこのヒルダは交代でしっかりと眠れましたから。お礼だなんて」
「そうですよ。お礼だなんて勿体ない。アニエス様がお目覚めになってくださった事が、一番嬉しいんですから」
「リザ……」
もう少し元気になったら、何かちゃんとお礼をしたいな。
あと、旦那様は……私の看病疲れで寝てるのかな。
「アニエス様。軽いものなら食べられそうですか?」
「リザ……ううん、おなかがへって、それで起きたんだもの」
「あらそれは良かった。沢山お召し上がりくださいね。おかわりも用意させましょう」
「ちょ、ちょっと、そんなにたくさんも食べられないわよ」
「デザートのおかわりですよ?」
「あっ……。あ~……」
「フフ。置いておいてもゆっくり召し上がれるものを、もう少しご用意いたしますね」
「ありがとう」
リリスに手を取ってもらってテーブルに移動しかけた時に、枕にもベッドにも、血のりがべっとりと付いているのが見えた。
体を起こした時には、タオルが沢山敷いてあるなと思っていたけれど……血のりを隠していたのがめくれたらしい。
それを少しだけじっと見ている間に、ヒルダがお皿と食事を並べてくれた。
一通り並べ終わると、今度はベッドにあるものをぐるぐるっと、まとめて持って行ってしまった。
「後で、お召し物も着替えましょうね」
リザに言われて寝間着を見ると、襟元にも血のりが付いていた。
「あらまぁ」
これはけっこう……貧血なのでは?
「それより、冷めないうちに召し上がれ」
「うん。そうする」
テーブルに並んだご馳走を見て、よだれが出そうになったのは初めてかもしれない。
きっと血が足りないせいだと思う。
それよりもこの、黄金色のスープにやわらかいパン。
「あぁ、おいしぃ……」
今はとにかく、スプーンじゃなくてお皿に口をつけて飲みたいくらい。
パンも千切らずに、かぶりつきたい。
美味し過ぎて、お作法がもどかしいわね。
あ、こっちのミンチ肉の焼いたのは、甘辛くて食べやすくて、寝起きなのに全部食べれちゃう。
「あらあら、そんなに食べっぷりが良いと、小さかった頃を思い出しますね」
「んぐっ! ……は、はしたなかったかしら」
「すみません。そういう訳ではなくて、つい……懐かしく思ったものですから」
「そうね。あの頃は早く遊びたくてこういう感じだったけど、今はほんとに美味しくって」
後はデザート。
という段になって、ようやく落ち着いてきた。
「ねぇ、ところで……リザもほとんど寝てなかったんでしょう? 大丈夫なの?」
「ええ。私は旦那様と違って、定期的に一時間ずつくらいは仮眠してましたから」
「全然足りないじゃない。もう……。無理させてごめんなさい。それから……ありがとう」
やっぱり、何度お礼を言っても足りないくらい。
それなのに――。
「アニエス様のためなら、この命だって差し上げるくらいのつもりですから。全然平気なんです」
――なんて言いながら自分の胸をどんと叩いて、「何でもお任せください」と笑う。
「ほんとにそんなことしたら、ダメだからね?」
「イヤです」
「ちょっと。そこは上手く言うところじゃないの?」
その言葉に、リリスがプッとふき出した。
「フフフフッ。侍女長のそんな態度、初めて見ましたっ」
「そうなんだ。リザは部下には厳しいのかしら」
「そりゃあもう……後でゲンコツされないかすでに心配です」
「リリス。余計な事言ってないで、お茶をお入れする役目を忘れているんじゃないの?」
「ひぃぁ。す、すみませんっ」
可愛い。
リリスはしっかりしているようで、お茶目な子なんだ。
と言っても、私よりも年上だろうけども。
「リザ。あんまり怒らないであげてよ? リリスもヒルダも、きっと私のために寝不足なんでしょう?」
「まぁ……そうですね。今回だけは特別です」
そう言ってリザが笑うと、リリスはほっとした顔をしていた。
――和やかな時間。
旦那様も、お側にいらしたらもっと楽しいのに。
「ね。旦那様はやっぱり、お休みされてるのかな」
おなかが満たされたら、急に寂しい気持ちになった。
ずっと側に居てくれた余韻が、実はずっとあったから。
体中を包むやさしい魔力が、まだ私の体に残っている。
「あ、はい。というか、お食事中は席を外しておくといういつものお心遣いのついでに、お休みになられています」
「そっか……。それなら今度から、私と一緒に食べてくださらないかお願いしようかな」
「あら~。それはきっと、お喜びになられますよ」
「それから……デザート食べたあとで、お会いできないかしら」
「アニエス様のお食事が終わったら、ちゃんと食べられたかを報告に来いと言われていますので。一緒に参りましょう」
「やった」
ぎゅっと拳をにぎって喜んだ私を見て、リリスもリザも微笑んだ。
なんとなく……リザと過ごしていた時の感覚が重なってしまうから、五歳児の甘えた感じが出ているのかもしれない。
「――こどもっぽいとか、思ってたりする?」
「い、いいえ?」
「いえ……」
首を振りながらも微笑んでいる二人は、その言葉とは裏腹なのが分かった。
「…………今だけなんだから」
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