第2話 深層と表層の齟齬
定期検診の翌週、朱音の下に葛原からのメールが入った。そこには朱音の日本国に対する貢献を評価するといった世辞が並んでいて表現も丁寧だったが、後半に並んだ文字に自分の目を疑った。
【……定期健診時にお伝えしたとおり、内閣はニュータイプ20名を福島の廃炉現場と4月戦争で汚染した福井の聖域に投入することを決定しました……】
一方的な通知だった。
「20名!」
葛原は2037年生まれの10名は現場に出せるだろうと言った。それにさえ朱音は反対したのに、2038年生まれの10名をも、作業可能だと葛原は内閣に報告し、決定したのだ。
朱音は怒りのあまり、机をたたいた。それで自分の指が傷ついたが、気づかなかった。
何とかしなければ!……急いで東京にある廃炉システム開発機構の事務所を訪ねた。そこの岩城翔太理事長がニュータイプを創らせた張本人の1人であり、ニュータイプを育てている放射性物質除去技術者養成センターの理事長を兼務しているからだ。
「岩城さん、ひどいじゃないですか!」
彼の顔を見るなりかみついた。
「千坂博士。……まぁ、落ち着いてください。どうしたのだね、指が腫れているが?」
「こんなもの、小事です」
理事長室で朱音を迎えた岩城が、中年太りの身体を重そうに応接椅子まで運んで下ろし、朱音にも椅子をすすめた。朱音がいきり立っている理由は、想像がついているようだ。
「ニュータイプの件ですな?……私も相談は受けなかったのですよ。いや、相談されたら、むしろニュータイプの現場投入を歓迎したでしょう」
彼の返答に朱音は目をむき、テーブルを両手で叩くようにして身を乗り出した。
「まだ、彼らが生まれて7年。あまりにもデータが不足しています」
岩城が手のひらを朱音の顔の前に広げて制した。朱音の耳には届いていなかったが、ドアをノックする音がしていた。
「どうぞ」
岩城が声をかけると澄まし顔の秘書が現れ、コーヒーを置いて行った。
「博士、どうか私の話を冷静に聞いてください。……私は白石総理とは
朱音は、思わず秘書が出ていったドアを振り返った。
「そういえば……」思い当たることがあった。
「生命科学研究所の秘書や総務の人事もあったのではないかな?……あなたは所長だが、研究ばかりしているから、そこの人事には無頓着でしょう」
朱音は、自分の不甲斐なさを感じながらうなずいた。
「世の中はどんどん息苦しくなっている。白石も決して清廉潔白な人物ではなかったが、まだ大池総理ほどではなかった。彼は頭がいいのか悪いのか……、何もかも自分の思うようにコントロールしようとしすぎる。それは
「誰かが忠告しないのですか?」
「知っての通り4月戦争で国債残高が増えただけではない。関西経済は壊滅してGDPが20%も下がった。……復興特需が続いているなどと口の悪い者は言うが、復興にはどれだけ費用が掛かるか分からない。日本経済を立て直すと大池総理は大言を吐いて国民の支持を得た。彼に対抗する者は政治家であれ官僚であれ、冷や飯を食わされるだろう。それは過去の歴史を見ればわかる。当分、彼に否と言う者はないだろう。……博士も気を付けなさい。ニュータイプ開発の功績者とはいえ、今の調子で食って掛かったら、生命科学研究所の椅子もなくなりますよ」
「だからといって、現時点でのニュータイプの現場投入には納得できません」
「それは、研究者としての立場かな? それとも、母親としての立場かな?」
岩城が目を細めた。
「母親だなんて……。チサカ細胞に私の遺伝子の一部が組み込まれていますが……」
朱音は言いよどんだ。
「いや、彼らがチサカ細胞で作られたからといって、博士が肉親としての感情を抱いているとは思わない。ただ心血を注ぎこんで生みだした創造主という意味で、彼らはあなたの可愛い子供のはずだ」
「私は地獄に落ちることを覚悟し、プロジェクトを引き受けました。今更、研究対象に愛情など……」
「無理をしない方がいい。私だって、あの子供たちに同情しているのだ。博士にそういった感情がないはずがない。……ただ、彼らはこうなるために生まれてきた。宿命なのだ」
「私は、神だの宿命だのと言ったことは、信じない人間ですよ」
「DNAがもたらす容姿容貌、健康上のリスクは宿命、……あるいは運命ではありませんか?」
岩城に聞かれると、朱音は返答に
「確かに人間は、DNA、家庭環境、国家など、生まれながらに多くの制約を背負っています。それに適応するのが人間なら、それを乗り越えるのも人間です。運命とは、そうした可能性をも包括しているのではないでしょうか?……今政府がやろうとしていることは、ニュータイプの可能性を奪うものです」
「そこだよ……」
岩城が眉間にしわを寄せて、背もたれに体重を預けた。
「……もはやニュータイプの件は政界では公然の秘密。彼らに事故処理を期待する者は多い。だが政治家は、それ以上の可能性は摘みたいと考えている。ニュータイプは人類を脅かす存在なのだ」
彼は静かに目を閉じた。それは、これ以上話すことがないというサインだ。
「岩城理事長。あなたも……、ですか?」
サインに気づかない朱音は、返事をじっと待った。
無言の時、屋外の騒音が室内を満たした。地方の疲弊と裏腹に、東京だけは新たなビル建設が細胞分裂のように続いている。
「福島と福井の件が片付いたら、彼らの身の振り方は別に考える必要がありますな。その時、博士の愛情と力が必要になるでしょう」
朱音が立ち去ろうとしないので岩城は口を利いた。それが彼の精一杯の慰めだった。
朱音は、彼の話に納得したわけではなかった。逆に、岩城の諦めきった態度に不吉なものを感じて放射性物質除去技術者養成センターに車を飛ばした。そこに着いたのは3時間ほど後のことだった。
放射性物質除去技術者養成センターの駐車場に2台のバスが停まっていた。
「まさか?」
あまりにも性急ではないか!……腹の底から怒りがわいた。
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