天野の初恋 後編 1

「あ、あのっ!」


「……あら? もしかして、この前の男の子?」


キョトンとした様子で、唐突に話しかけた俺に応じてくれる女性。


手持ちのカゴの中には、いくつかの食料品。


「はい! あの、天野って言います!」


「天野……あ! もしかして天野あまの良子りょうこさんの息子さん?」


唐突に母親の名前が女性の口から飛び出し、滾る感情が急激に下降していく。


「えっと……確かに、母の名前は良子ですが……」


「あらー! まさか天野さん家の息子さんだったなんて、世間って狭いわねー」


「いや、えーっと、あはは……」


会話についていけず、思わず薄ら笑いを浮かべて誤魔化ごまかす。


嘘だろ、どうして母さんがこんな美人と知り合いなんだ……?


というか、こういう時に母親がよぎるのキツイ。めちゃくちゃ萎える。


――なんて思っているのも束の間、遠くからお米の袋を両手に抱え、こちらに近づいてくる小さな女の子の姿。


「ふぅ……ボクにこんな重い物を持ってこさせるなんて、お母さんもなかなかヒドイよね」


両端に束ねられた黒髪ツインテールを揺らしながら、小さな女の子が眉間にシワを寄せて不満を漏らす。


まるでドレスのような装いだが、彼女の童顔さも相まって違和感がない。


「たかだか五キロくらいで文句言わない。それに今月、私に隠れて真夜に服を買ってもらったでしょ。私知ってるんだからね?」


「えーっと、ボクにはなんのことだかさっぱり……あ! それよりも、この人は誰?」


話題の雲行きが怪しくなったからか、不意に俺の顔を覗き込むように見つめる少女。あからさまな話題転換である。


「よくお店で怜のことを可愛いって言ってくれる天野さんっておばちゃんいるでしょ? あの人の息子さん」


「ふーん?」


「ど、どうも……」


およそ小学生くらいの少女に全身をまじまじと見つめられ、落ち着かない。


「それで、ボクのお母さんに何の用?」


「あ、えっと! この前レジで助けてもらったお礼をしたくて……!」


「ふーん……それなら、ボクの代わりに家までお米を運んでよ!」


まるで名案を閃いたかのように満面の笑みでお米を差し出す少女。


「こら怜。どうしてそうなる」


「だってこの人はお母さんにお礼をしたいんでしょ? それならボクを助けることも巡り巡ってお母さんの助けになる、そうだよね? ふふん! 完璧だね!」


「どこも完璧じゃないでしょ……ほら、黙って持つ」


「ちぇっ、頭のカタイところは誰かさんとそっくり……」


俺が持っていた米袋を、再度少女に持たせる女性。納得がいかないのか、少女は不満げに頬を膨らませる。


「ふふ、お礼なんて気にしないでね。それに、天野さんにはいつもお世話になってるから」


「あ、あの……母とはどういう……」


「天野さんはね、私のお店の常連さんなの。近所にある『お弁当さゆき』って弁当屋見たことない? そこが私のお店なんだけど」


「お弁当屋……ってことは、そこに行けばあなたの手料理が買えるんですね!?」


興奮して、やや食い気味に質問する俺に対して、女性が苦笑いを浮かべる。


「まあ確かにそうとも言う……かな? でも、こんなおばさんの手料理なんて、ねえ?」


「めっちゃ価値がありますよ!! 俺、今度絶対買いに行きます!!」


「あらあら、嬉しいこと言ってくれるのね。 人をババア呼ばわりするうちの娘にも聞かせてあげたいわー」


娘、とは目の前の少女のことだろうか。しかし、この子が普段女性のことをババアと呼んでいるとは、なかなか想像しにくい。


「お姉さんがババアだなんてとんでもない! お姉さんのことを悪く言う人なんて、俺が懲らしめてやりますよ!」


眼鏡を中指で整えながら、俺は余裕をみせる。


「あらあら、頼もしいわ。流石男の子ね。それじゃ、今度生意気言ってたら、お願いしちゃおうっと」


「任せてください、これでも男子高校生ですから」


娘と言っていたし、流石に俺が女性相手に遅れを取ることもないだろう。


もしも懲らしめることがあったとしても、特に問題はなさそうだ。


「あの! 最後にお姉さんの名前を聞いても良いですか!?」


「ごめんごめん、そういえば教えてなかったね。桜に雪って書いて桜雪さゆき、呼ぶ時はさっちゃんでよろしくー」


こちらに手を振りながら、娘とともに去っていく桜雪さん。


「桜雪さん……ああ、なんて素敵な名前なんだ……」


桜雪さんの後ろ姿を見つめながら、俺は昂る感情が恋であることを再認識していた。


******


翌日の放課後、俺は悪友二人を例の喫茶店に呼び出し、緊急会議を開いた。


「で、何だよ。こんなとこに俺らを呼び出して」


「こんなとこって言うなよ! 最高のお店だろ!」 


谷村の台詞が聞こえたのか、カウンター奥から俺たちを無言で睨む無愛想な店主。


表情の機微が普段から少ないのもあって、人を射殺すかのような眼差しに全員がビビった。


「おい谷村、不要な争いを生むような真似は避けてくれ。俺はそんな命懸けのチキンレースをするためにお前らを呼んだわけじゃない」


「まったくだ、香笛さんのお店を馬鹿にする奴は友達でも許さないからな」


「悪い悪い、つい本音がポロっと……」


さらなる谷村の不要な一言が店内に響く。そして、急にキッチンで包丁を研ぎ始める店主。


「おい! 谷村のせいで包丁研ぎ始めたぞ!?」


「は、早く本題を話せ天野! もしくは早くこの店を出よう! 俺はまだ死にたくない!」


「俺は香笛さんになら……いや、でも……うーん」


「そこ、マジで悩むな! こんの色ボケ野郎!」


「……さて、色々話がめちゃくちゃになったが、一旦落ち着こう」


淡々と包丁を研ぐ店主に怯えながらも、俺は騒ぐ悪友二人を冷静にさせる。


「そ、そうだな、まずは落ち着こう。そもそも俺たちは何で呼ばれたんだ?」


「実は、この前運命の女性と再会したんだ」


「なんだと!? おいおい! もっと詳しく!」


「フッ……まあ落ち着け。ちゃんと名前も聞いたぞ。桜に雪って書いて、桜雪さゆきさんと言うらしい。近所でお弁当屋を営んでいる情報もゲットした」


「桜雪さん……名前からしてもう美女なのがわかるぜ……」


「桜って良いよなー、春を連想させる漢字って俺好きなんだよね」


一人違うベクトルで感想を述べる俊樹。


「はいはい、春風春風。お前が好きなのは季節の春じゃなくて、そこの無愛想な店主だろ」


ほとんど投げやりな様子でツッコミをいれる谷村。思わずカウンター奥へ視線を向けてみると、心なしか店主の耳が赤くなっているような気がした。


「お、おい! 俺だって名前で呼んだことないんだぞ! やめろ!」


あからさまに動揺している俊樹を眺めつつ、俺はため息をこぼす。


「待て、今日はお前の惚気話をしたいわけじゃない。俺と桜雪さんとの未来についてだな……」


「いや、そんな話をしにきたつもりもねえよ……何だよ未来についてって……」


「フッ……嫉妬は見苦しいぞ、谷村。何を隠そう、既に娘さんにも挨拶は済ませてあるのだ」


「な、何だと……」


「つまり、もう俺に残っている障害はないということだ! あるとすれば、元夫の存在くらいだろう!!」


興奮して立ち上がり、声高に叫ぶ俺。カウンター奥から、無愛想店主が氷のように冷めた眼差しでこちらを見つめていることは、この際気にしない。


「すごいな、あいつの中では離婚している前提なのか……」


「それ、結構失礼だと思うんだけど……というか、旦那さんいたらどうするつもりなんだ」


「その時はその時だ。待ってろ親友たち、俺は今から男になってくるぞ」


一世一代の決意表明を口にしたところで、店主がパフェ三つをテーブルに並べる。


「お待たせしました、ご注文のパフェ三つです」


銀色のお盆に乗せたパフェ三つを、淡々とテーブルに並べていく店主。


「あ、ありがとうございます!」


すかさずお礼を述べる俊樹。続けて谷村と俺も会釈をする。


「……ごゆっくりどうぞ」


「……ん?」


気のせいか? 今、俺を見て言っていなかったか。


それよりも、これから死ぬ人を送り出すかのような、同情にも近い眼差しをしていたことが気になって仕方ない。


「お、おい待て! 何だ今の目は」


「いえ……別に」


それだけ言って、腰まで伸びたポニーテールを揺らしながら、そそくさとカウンター奥へ引っ込む店主。


「か、可愛い……」


「俊樹……俺、たまにお前という人間がわからなくなる時がある……」


片想い相手を恍惚な眼差しで見つめる俊樹と、友人に呆れ果てた視線をぶつける谷村。そんな二人をよそに、俺は一人この後の決戦に気持ちを昂らせていた。


……あの無愛想な店主の目だけが気がかりだが、きっと杞憂だろう。


今日、必ずや桜雪さんをデートに誘って、俺は彼女と――お付き合いをしてみせる。

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