第34話


 そこにいたのは盾を持つ明豪。彼は懐から何かを取り出して、黒衣に向かって投げつける。黒衣の体にぶつかった瞬間、その物体は白い煙を吹き出した。煙のせいで目の前が見えなくなる。どこに黒衣がいるのか、お互いがいるのかも分からない。


「お二人とも、こちらへ!」


 明豪だけはまるで見えているようだった。彼は盾を投げ出し、朱亜と皓宇の腕を掴み、そのまま一目散に逃げていく。気づけば二人は美花の居室から離れた場所まで連れてこられていた。


「ちょっと、アンタなんなの! せっかく邪王とつながりのある奴だったかもしれないのに!」


 怒りを見せる朱亜。黒衣の人物が持っていたあの短刀、皓宇が話していた心臓をくり抜く際に使われている物と同じように刃先が波打っていた。せっかくあちらからお出まししてくれたと思ったのに! それに、泰然に尾行もバレたかもしれない、見失ってしまったし! と明豪に怒鳴る。皓宇が朱亜を諫めようとしたとき、彼は驚きの行動に出た。


「大変申し訳ございませぬ」


 膝をつき、詫びる。それだけなら二人は驚かなかっただろう。それが皓宇に向いていたならば、だ。


 明豪の頭は、まっすぐと朱亜に向いている。朱亜は怒りを忘れ、きょとんと皓宇を見た。彼も事態を把握できていないのか、首を横に振るだけ。


「な、なに?」

「朱亜様の命が危ないと思い、差し出がましい真似を。本当に申し訳ございませんでした……救世主様」


 朱亜のことを、彼は【救世主】と呼び始める。皓宇は戸惑う朱亜の代わりに問いただす。


「明豪。お前、もしかして……朱亜は何者なのか知っているのか?」


 明豪は頷いた。


「もちろんでございます、天龍様に選ばれた邪王を討つ救世主・朱亜様。私はあなたのことを、あなたが王宮にいらっしゃるより前に、天龍様に夢の中で教えていただいていたのです」


 明豪曰く。もういつになるか、彼の夢の中に天龍が姿を現したらしい。これは初めての事ではなく、天龍は現れるたびに天啓を授けてくれる。この時天龍が伝えた内容を明豪は口にする。


「まもなく、この国を巣食う邪王を討ち滅ぼす者を授ける、と」


 その夢を見た次の日に、朱亜が皓宇と共に王宮にやってきた。とても勇敢な振舞、妖獣を圧倒する力。彼女こそが天龍が遺した預言の子に違いないと、と明豪は確信する。


「いつか私もお力になる日がくると常々思っておりましたが、今がこの時。どうか私を、朱亜様のご配下に!」

「配下って……!」


 戸惑う朱亜は皓宇を見る。皓宇は一歩引いた。すべて、朱亜に任せるつもりらしい。仕方ない、と彼女は明豪に対してある問いを投げかける。


「天龍から直接聞いたっていうなら……ウチがどこから来たのか、わかる?」


 明豪は深く頷く。


「朱亜様は遠い未来からいらっしゃると、天龍様がおっしゃっておりました」


 彼女が100年後の未来から来たということを知っている人間はごく限られている。皇帝すら知らない秘密。朱亜は頷く。間違いない、彼は実際に天龍からその話を聞いたのだ。


「よし! 仕方ない!」

「ありがとうございます! 朱亜様をお守りするため、身を粉にして働く所存にございます!」

「そういう大げさなのはもういいって。でも皓宇、これからどうする? あの真っ黒な奴を探しに行く? それとも泰然の方?」


 皓宇は顎のあたりに手を添えて考え始める。


「考えることは山ほどあるんだ。なぜ劉秀の兄が後宮にいたのか、魅音はどこにいったのか、皇后陛下の暗殺計画は本当にあるのか……」


 まずは危機迫っている香玲の暗殺の企てを止めるべきか、と考えていた時、1人の宦官が走ってきた。とても焦っている様子で、明豪に縋りつく。


「明豪様!」

「どうした? 何があったのだ?」

「雨龍様がお倒れに! 意識もございません! 」

「まさか!」


 明豪の顔が青ざめる。


「日が出ているときはまだ起きておられたのに……どうして……」

「なに、アンタ、このことを占ってなかったの?」

「いや、あの、そういうわけでは……」

「それだけではございません。香玲様のご出産が始まりました! どうか明豪様にもお側についていてほしい、と」


 今度は皓宇の顔が青くなる。


「まずいな。今、皇后陛下は身動きが取れなくなった、ということか」


 出産のため出歩くこともできない香玲。朱亜は想像する、自分が暗殺者ならば……身動きできない今は絶好の機会だ!


 ***


「……んんっ」


 同じ頃、魅音は小さなろうそくだけが灯る、小さな牢で目を覚ましていた。周囲に人影もなく、どうやらここに閉じ込められているようだ。首を絞められたせいか、何だか呼吸しづらいような気がしてならない。なんだか血なまぐさい部屋だと思いながら、魅音はゆっくりと起き上がり、自分の身に何が起きたのか遡る。あれは、まだ陽がでていたころだろうか。


「ちょっとごめんね~……」


 後宮の宝物庫を探りに行くことに決めた。とても小さな声でそう詫びながら、魅音はそっと楽器の整備をしていた倉庫を抜け出す魅音。幸いなことに、誰も気づいていなかった。


 宝物庫はいくつもある。すべて盗難されるのを回避するために、貴重品は分散して保管することになったらしい。すべては5年前の忌々しい出来事のせいらしい。そのせいで、魅音の手間も余計に増える。


「こっち、開いているわね。ちょっと失礼して……」


 わずかに扉が開いている部屋を見つける。魅音はその隙を覗き込む。中は暗く、本当に小さな灯だけが揺れている。ただの倉庫みたいだ。誰かが荷物を大きな木箱に詰め替えようとしている。


「お坊ちゃん、私らはいつまでこんなことを?」


 不穏な会話が聞こえてきた。耳を良く澄ませても「お坊ちゃん」と呼ばれている男の声は聞こえてこない。魅音は音を立てず、そっと倉庫の中に忍び込んだ。外から、魅音の姿が見えなくなる。


「金さえあれば、孟氏はどうにかしてくれると言っている。なんとしても金を稼がなければならないのだ、我々は」


 若い男の声がする。聞き覚えのある声だった。魅音は相手から見えないように気を付けながら、会話に耳を立てる。


「それに、こんなこと……ずっと昔からやっていたのだろう? 我が家は」

「そうですけれど……万氏が死罪になってから、私はもう怖くって怖くって」


 万! 聞こえてきた家の名前に魅音は動揺し、体を近くにあった木箱にぶつけてしまった。ガタッという物音を、奥で話している二人は聞き逃さなかった。


「何者だ!」


 魅音はとっさに逃げようとしたけれど、足がもつれてしまった。魅音は下働きの男にいとも簡単に見つかり、体を引き倒されて、床に強く押し付けられる。


「女官のようです、お坊ちゃん」

「……ふん」


 灯りが近づいてくる。魅音はその顔を見てやろう、と顔を上げた。小さな灯りに照らされる顔を見て、魅音は息を飲んだ。劉秀そっくりな顔がそこにあった。驚いたのは相手も同じようで、大きく目を見開いている。


「これは、驚いたな! 生きていたのか、万家の娘よ」

「沈泰然……っ!」


 劉秀の兄で、憎き沈家の跡取り。魅音は襲いかかろうと身じろいだけれど、体の上に下働きの男がのしかかっていて身動きも取れない。


「どうしてアンタがこんなところに! ここは後宮よ! 男は入れないはずじゃ……」

「それはこっちのセリフだよ。もうお前は死んだと思っていたが、まさか皇帝のお膝元で生きていたとはな」

「ふん! だから何よ、私を皇帝陛下に差し出すつもり? 大罪人の娘だと言って!」


 泰然は悩むようにあたりを見渡した。魅音も倉庫の奥を見る。先ほどまで奴らが触っていた木箱の中を見て、小さく叫び声をあげた。その中には、父が皇帝陛下のお気に入りだと話していた壺や香炉が詰まっている。とても高級なもので、他国の王の中にはそれらを大枚をはたいてでも欲しがっている者もいる、と聞いていた。


「まさか……お前たちが、ずっと……?」


 泰然は笑った。


「そのまさかだよ。5年前に発覚した盗難事件の犯人はお前の父じゃない」


 さっと体が冷たくなっていく。やはり、父は嵌められていたのだ。魅音は唇を噛んだ。


「お坊ちゃん、この女官、どうするんですか?」

「……始末しておけ」

「はい、坊ちゃん」


 男は魅音の首を締めあげた。もがいてももがいても呼吸ができない、目の前がくらくなっていく、苦しい、もうやめて――魅音は失意の中気を失った。男はそれを見て「死んだ」と思ったようで魅音の首から手を放す。


「死体はいつものあの場所に置いておきます、お坊ちゃん」

「あぁ。まったく、この後宮もおかしなところだよ。死体を隠していたら勝手に消えてなくなる牢なんて……」


 二人は魅音の体を布袋に押し込み、そっと倉庫から抜け出す。一目散に向かうのは後宮の地下にある小さな牢だった。


 ***


 その恐ろしい者たちを、見つめていた者がいる。その手には真っ黒な印章が握られていた。邪王の印章だ。


「……早く止めなければ」


 その呟きはとてもか細く、誰の耳にも届かず消えていった。

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