<2> すくうもの

第30話


「おい、お前! あの新しい女官、知っているか? 美人で色っぽいって噂の!」

「あはは、知ってますよ。そりゃもう」

「名前、なんて言ったっけ? ……そうだ、魅璃メェンリー! 俺も見たことあるけど、ほんと美人なんだよ。お近づきになりてぇな」

「女官は皇帝陛下以外の色恋沙汰は禁止されているのでは?」

「つまんないこと言うなよ、朱亜~」


 無事に後宮に潜り込んだ朱亜と魅音。


 魅音は名前を【魅璃】と名を偽り、女官として勤め出した。元々芸事の才能に秀でていたこと、女社会での暮らしは花街で慣れていたこともあり、周りに埋もれることなくみるみるとその頭角を現していく。来たばかりだというのに、もう幼い女官見習いたちに芸事の指南もしているらしい。宦官の間だけではなく、王宮の官吏の間でも噂になっているくらい。評判が良すぎて、その噂がやがて皇帝の耳に届きお手つきされそう、とか、万家の生き残りだってバレそうと朱亜は不安に思う。


 彼女に夢中になっている宦官もいると聞く。宦官と女官の色恋沙汰は後宮では御法度だけれど、密やかに関係を持っている者たちがいるらしい。朱亜の教育係となった先輩宦官・燈実も魅音に興味があるらしく、しょっちゅう朱亜に魅音……いや、魅璃の話を聞かせてくる。


 宦官? 女官ではなくて?

 そう、朱亜は今、性別を偽って、宦官として後宮に潜入することとなった。みんなから「絶対女官には向いていない」と言われたのだ。おしとやかに過ごすこともできず、大雑把で粗暴だと魅音と劉秀からは散々な言われようだった。ならば、宦官として潜入するのはどうだ? と提案したのは皓宇。朱亜の男のなりを見て【男】だと思い込んでいたことを思い出していたらしい。宦官ならば、完璧に男のように見えなくてもいい。実際、声が高いままだったり背が低くふっくらとしている者もいるらしい。朱亜もその案に乗った。短い髪も活かせそうだし、何より女の身なりは動きづらい。


「朱亜、東宮殿から依頼されていた布が届いている。持って行って欲しい」

「はい。燈実トウミさんは?」


 口調にはくれぐれも気を付けろ、と劉秀に頭を掴まれながら何度も言われた。意識をすれば朱亜でも少しかしこまった話し方ができるようになってきた。


「俺は、ちょっと用事が……」

「そんなこと言ってまたサボるんでしょう? あー、ヤダヤダ」


 燈実は宦官の中でも下っ端。雑用ばかりを押し付けられていた。しかしさらに下っ端の朱亜が来たことにより、面倒な仕事は朱亜に任せるようになっていた。肝心の燈実は、ずっとさぼりっぱなしである。ふっくらと丸くなった背中をこちらに見せる燈実の姿は、きっと普通の人ならば腹立たしいものだろう。しかし、普通なら億劫な仕事でも朱亜は「しめしめ」と引き受ける。朱亜を信じてここに送ってくれた皓宇のためにも、同じように頑張っている魅音のためにも、少しでも役に立たないと! 朱亜の胸は使命感いっぱいである。


「東宮殿……こっちか」


 雑用を任されている内に、後宮のみならず王宮の中も慣れてきた。邪王城に突入した時は迷ってばかりだったけれど、だいぶ道順も覚えた。今なら、玉座までまっすぐ小鈴たちを案内することができそうだ。


 東宮殿は太子の住まい。多くの女官が出入りしている。そのうちの一人に渡せば良いかと思った朱亜は、ちょうど東宮殿に入ろうとしている女の人に声をかけた。女性というには少女に近い。


「あの、これ、依頼のあった布地なんですけど」


 少女はくるりと振り向く。互いに顔を見合わせると、2人はまるで目玉が飛び出るくらいに仰天した。


「あなた、あの時、妖獣を倒した……」


 朱亜が声をかけたのは公主・春依だった。初めて出会ったときと比べて顔色が悪く黒い隈も浮かんでいるが、間違いない。彼女も朱亜のことをしっかり覚えている。


「ねえ! どうしてあなたがこんなところにいるの? 叔父様に仕えていたはずでは」

「え、えっと、あの……」


 じりじりと壁際に追い詰められる朱亜。何とか思考を巡らせるけれど、うまい言い訳が思いつかず唸るしかない。もう走って逃げようか、とまで追い込まれたとき東宮殿に続く扉が開いた。


「公主様、いかがなさいました?」


 春依と朱亜は顔を上げる。そこにいたのは胡散臭い占術士・明豪だった。


「明豪! ちょうど良かったわ! この者が後宮の中に忍び込んでいました、きっと雨龍を妬んだ皓宇叔父様の差し金よ! 早く兵に突き出して! じゃないと雨龍が……」

「公主様、落ち着いてくださいませ。この者は怪しい者ではございません。この者は……」


 明豪と目が合う。彼は片目をパチッと閉じた。


「私の弟子にございます」

「……は?」


 朱亜はぽっかりと口を開ける。春依は「何を言っているの!?」とさらに怒りを見せた。


「明豪だって見たでしょう? 以前、王宮の庭で妖獣を倒した、皓宇叔父様に仕える者を……」

「いいえ、違いますよ。この者は私の弟子。皇子殿下とは一切関係ございません。そうでしょう、えぇーっと……そう、名を子豪ズーハオと申します」


 聞いたことのない名前だったが、朱亜はその方便に乗った。何度も頷く。


「それよりも春依公主殿下、東宮殿で太子殿下がお呼びでしたよ」

「……っ、雨龍!」


 春依はまだ朱亜のことを疑っている様子だったが、愛しい弟・雨龍の名を聞き引き下がっていった。どっと体の力が抜けていく朱亜。明豪は大口を開けて笑っていた。


「わっはっは! 良かったですな、朱亜様。たまたま通りがかったのがこの怪しげな占術士で」


 本当にその通り。彼を信じているわけじゃないが、来てくれたのが彼で助かったと思う朱亜。朱亜の取り繕った嘘よりも、王宮内で信頼を勝ち取っている彼の言葉の方が強いのは明らかだ。


「春依様のこともどうかお許しください。ここ最近雨龍様の体調が優れず、心配で夜も眠れぬ様子。心労が積もり積もって、疑り深くなっているのでしょう」

「あの……ありがとう、助かった」

「おぉ! 礼よりも聞きたいことがございます。朱亜様は、どうして再び男の身なりをして後宮に?」


 朱亜は言葉を詰まらせる。どうごまかそうか、と悩んでいると先に明豪が口を開いた。


「もしや……あなた様が皇后香玲を狙う刺客ではありますまいな!」

「はぁ?! なにそれ!」


 朱亜はブンブンと首を振ってそれを否定する。明豪は朱亜を安心させるように再び笑った。


「いえいえ、本当に疑っているわけではございません。念には念を、とうことです」

「変な冗談言わないでよ」

「私もこの噂を聞いてから気が気でなくてですねぇ」

「噂ぁ?」


 明豪の声が低くなる。


「何者かが、お腹の子ともども香玲様を殺害しようと企てている、という物騒な噂です……まあ、朱亜様が無関係であることは私の占いでもお気になさらず。お勤め、ご苦労様でございます」


 明豪は朱亜の手から持ってきた布地をさっと奪い、笑いながら東宮殿に戻っていった。朱亜は「緊張した」と言わんばかりに大きく息を吐いた。しかし、明豪が話していた【噂】とやら、あまりにも物騒すぎる。魅音や皓宇の意見を聞いた方がいいかもしれない。

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