第14話
皓宇は頷く。
「ご、ごめんね! アイツが変な事ばっかり言ってて、止められなくて! 今から追いかけてぶん殴ってこようか?!」
「いや、いい。……それに、詫びなければいけないのは私の方だ」
朱亜のことを信頼していなかったのではない。けれど、心にできた垣根を越えられずにいた。果たして、朱亜に妻のことを話してもいいだろうか? 自分が私欲のために妖獣や邪王について調べていると思わないだろうか? 大切な人々のために100年の時を越えてやってきた朱亜に対してそんな気持ちを抱いていた。
けれど、朱亜のまっすぐな言葉を聞いて皓宇は己を恥じた。朱亜のことを女性として意識しすぎて遠ざけたのに、彼女はそんな自分を庇おうとしてくれた。彼女が自分に向けてくれた「信頼」に、皓宇はしっかり向き合わなければ、そう思った。皓宇は前を向いた。その視線はまっすぐと朱亜を射抜く。
「朱亜、すまない。君に話していないことがあるんだ」
追い出された書庫に再び招かれる。空いた席に座るように言われ、朱亜は腰掛けた。その決意に満ちたようなまっすぐな眼を見ていると、自然と背が伸びる気がした。
「明豪が話していたことは本当だ。私には妻がいた。今から9年ほど前……10歳の時に娶った」
「10歳! 皓宇、まだ子どもじゃん!」
「その前年に母を亡くし、意気消沈している私に寄り添ってくれる人を、と皇帝陛下の計らいでな」
朱亜は口をつぐむ。余計なことを言ってしまう口が憎らしい。
「兄帝に言われるまま娶った妻は翠蘭という。妻というよりは姉のように接してくれたな、私が寂しいと思わないように。……とても穏やかな日々だった」
翠蘭のことを思い出すと、胸が暖かくなる。それと同時に、彼女を失ったときに感じた体を真一文字に切られたかのような痛烈さや悔しさも蘇ってくる。皓宇は胸を押さえた。朱亜は立ち上がって、皓宇に添うように隣に座った。
「いいよ、別に! 無理して話そうとしないで!」
「いや、これは朱亜にも関係のある話なんだ。……妻は、翠蘭は……5年前、突如現れた妖獣に襲われて――」
翠蘭との静かな暮らしは4年で幕を閉じた。日課としていた翠蘭との散歩。深い緑の葉が揺れ、木漏れ日は暑さを孕んでいる。今日は暑くなりそうだと思ったとき、ガサリと草が揺れる音が聞こえてきた。
「――殿下っ!」
草むらから何かが飛び出す。それの正体を見ることなく、皓宇は翠蘭に突き飛ばされていた。獣の唸り声、そして皓宇を庇うように彼を抱きかかえていた妻が悲鳴を上げた。
「翠蘭!!」
見たことのない獣が翠蘭に覆いかぶさり、彼女に肉体に鋭い牙を立てていた。血しぶきが飛び散っていく。翠蘭の痛みを堪えるようなうめき声、粗い呼吸。2人の服にはどんどん血がしみこんでいく。翠蘭の顔は真っ青になっていく。
「逃げよう、翠蘭! 早く私から離れるんだ!」
「嫌でございます、殿下はお守りしなれば……っ!」
皓宇は叫ぶ。何度もその名を呼んだ。翠蘭! 翠蘭! 彼女は皓宇を心配させまいと微笑んだままだったが、次第に力が失われていきその体が重たくなっていく。近くで護衛にあたっていた兵たちが異変を感じ取り助けにやってきて、2人を襲っていた妖獣を追い払った。けれど……翠蘭のはらわたは半分ほど食われてしまい、彼女はすでに事切れていた。
過去を話し終えた皓宇の体は震えていた。朱亜はとっさに皓宇を抱きしめていた。彼が感じている痛み、それを全て理解できるわけじゃないけれど。彼女は似たような痛みを知っている。自分の身代わりになって邪王城で散っていった幼馴染たちを思い出していた。
「翠蘭は私を守るために死んだ。私はその恩に報いなければいけない、言葉通り、命がけで! 妻を殺した妖獣共を全て滅ぼす、そのために今までずっと調べていた。そもそも、アイツらは何なのか。なぜ突然現れたのか」
見出した邪王との繋がり。この国の誰かが、邪王と復活させようとしているのではという恐怖。そして抱いた憎悪や復讐心。
「私はそれを――邪王の復活を必ず食い止める」
皓宇は顔を上げた。その睨むような視線は朱亜ではなく、彼の敵に向いている。朱亜は体を話して頷いた。
「ごめん、話しづらいのに。ウチにそんな大切なことを教えてくれて」
「いいさ。それに、先ほど朱亜が明豪と話しているのを聞いて思ったんだ。私は、朱亜が好きだ」
「へ?」
皓宇が慌てて朱亜から離れた。その顔は真っ赤に染まっていて、朱亜もびっくりしているけれどこんなことを言い放った皓宇の方が驚いているし、戸惑っていた。
「いや、あの、違う! いや、違わないのだが! わ、私は、朱亜のその実直さが人として好きだということだ! 君は私のことを庇ってくれただろう!」
「わかってるよ!」
朱亜の胸がドキリと弾む。今まで感じたことのない温かな気持ち。皓宇に対して抱いていた「信頼」とはまた違う。けれど、朱亜に名前を付けることが出来なかった。
「どんな意味でも嬉しいよ、誰かに好きって言ってもらえるのは。それに、ウチはこの時代には家族も友達もいないわけだし……」
「そうだな……」
「でもさ! この時代に来て初めて出会ったのが皓宇で良かったって思うんだ!」
朱亜が満面の笑みを見せ、皓宇の手を取った。
「まさか、この時代で邪王を討とうとしている人にすぐ出会えるなんて! 偶然にしちゃあまりにも出来すぎって感じじゃない?」
「偶然ではなく、必然なのかもしれない」
皓宇もその手を握り返した。皓宇の手は柔らかく、ささくれ一つもない。傷だらけの朱亜の手とは大違いだ。
「朱亜。君と出会ったのはきっと天龍様の思し召しだ。邪王を祓うために、天龍様が君を私に遣わしてくれたんだ。だから私は、君の手足となり、朱亜がその役目を全うするまで全力を捧げるよ」
「……わかった。改めてよろしくね、皓宇!」
二人は再び誓いを改める。二人とも目標は同じだ、だからきっと道を違えることはない。もし間違えても、きっと教えてくれたり諫めてくれたりするだろう。そんな信頼が、朱亜と皓宇の間で築き上げられていった。
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