第6話
買い物が終わり家に帰ってきた
最初は空っぽだった冷蔵庫も、最後にはパンパンに敷き詰められていた。
そして冷蔵庫に物を詰め終わったタイミングで、西奈がまたしても何かを思い出したのか、両手でパンと音を鳴らした。
「忘れてたよ。家の案内まだやってなかったよね」
「あー、言われてみればそうですね。けれど普通まぁ住み込みのバイトの普通とかよくわかんないですけれど、受かったタイミングでするもんじゃないんですかね」
「あはは、まぁあの時は色々忙しかったし仕方ないよね」
キラっという効果音が聞こえてきそうなほど、ウインクをして誤魔化そうとする天才作家西奈。
受かったタイミングは、まぁたしかに忙しかったのはある。
それもこれも全て西奈のせいではあるのだけれど、西奈がセーラー服を着させようとなんてしなければ、スムーズに事は進んだはずなのに。
だけれどここで、うだうだ過去の事を言っていても何も進展する未来はないので、ぱぱっとやっちゃいましょという旨を西奈に伝える。
「美人がウインクしたとしてもただ可愛いだけの何物でもないですから、そんな事している暇あったら、家の案内、始めましょ」
「可愛い……雪花ちゃんあたしの事そんな風に思ってたの? もしかして雪花ちゃんって意外とツンデレタイプだったりする? あー大丈夫あたしツンデレが守備範囲外とかじゃあないから、むしろ好きまである」
雪花は、この人の妄想力に辟易してしまい、頭を抱える。
何故雪花のあの一言だけで、ここまで妄想できるのだろうか。
「もう私がツンデレでもなんでもいいんで、さっさと始めましょうよ。最初はどこですか? 隣の部屋ですか?」
言って雪花は、リビングの扉を開け隣の部屋の扉の前へと足を運ぶ。
その時に、西奈は雪花を茶化すような事を言ってきている。
「雪花ちゃん照れてるー! ツンデレって普段はツンツンしてるけどいざデレる時は、そんなツンが嘘だったかのようにデレるって言う意味の言葉だと思ってたけど、雪花ちゃんの場合恥ずかしがりやだから照れるのも早いって言う意味でのデレも入ってるのかな?」
あんた以外の前じゃ感受性に乏しくて、そもそも恥ずかしいなんていう感情湧いてこないよ!
ということは言わずに、扉の前に到着した雪花は、開けていいかの確認をする。
「扉──開けても大丈夫ですか?」
「無視すんなし……いいよ開けても、って言ってもこの部屋はしばらく使ってないから何かあるわけじゃないけど」
「そうなんですか」
まぁ一人で住むには多少広すぎる家であるのは間違いないので、一つぐらい全く使われていない部屋があったところで不思議ではない。
むしろ自然まである。
そんな部屋の扉を雪花は、ゆっくりと開ける。
言っていた通り扉は、しばらく開けてられなかったせいなのか、ギイと音をたてる。
それはこの家の主人に対する、怒りのようにも聴こえる音だった。
その音が収まるのを待ってから、雪花は足を部屋の中へと進める。
部屋は、十畳ほどの和室だった。畳がびっしりと隙間なく敷き詰められていて、埃が舞っている。
少し畳に指をやれば、埃が指に付着する。
後ろから続けて入ってきた西奈に、雪花は問いかけた。
「こんな立派な和室、なんで使ってないんですか? 勿体ない」
「どうしてって言われても、特に使う意味がないからとしか、言いようがないけど」
「この家って結構新し目の家ですよね?」
内装や外見、その他を見ても最近建てられた物だとわかるのだけれど、この部屋だけは家を建ててから一度も入られていないというか、扉さえ開けていなかったのでは、と言いたくなるほど、言ってしまえば汚い。
という意味を含めての問いかけだった。
「うん、そうだね。あたしがデビューしてすぐぐらいに自分で依頼して建てたから、ちょうど三年目ぐらいかな」
それなら尚更使わない部屋なんて、作る意味がないはずなのにどうして。
「それはまぁ、最初は使うつもりだったんだよ。和室で文章を書くのってなんか格好いいじゃん? だからそれに憧れて」
「なるほど、憧れて作ったはいいもののってやつですね」
西奈にもそういう時代があったということが、少しだけ、嬉しく思い笑みが溢れる。
「あ、バカにしてる!」
「してませんよ、別に」
「いや絶対してるね。そりゃ若気の至りだったとは思うけどさ」
「だからバカになんてしてませんて。それに別にいいんじゃないんですか? 誰かに迷惑をかけているわけじゃないですし」
「それもそうだね」
「です、じゃあ次の部屋行きますか」
言って西奈と雪花は、その誰にも使われずただただそこにあるだけの部屋を後にした。
けれどそれでいいのだ。
誰にも使われない部屋が、一つぐらいあった方が家として丈夫だということがわかるから。
次に紹介されたのは、トイレとお風呂だったのだけれど、この二つは別段詳しく言う必要もないほど普通の物であっため、省略する。
紹介の際に西奈が、雪花に対して尋常じゃないセクハラをしていたけれど、そこも省くことにしよう。
して、次、二階に上がってきた雪花と西奈は、三部屋ある内の一番手前の部屋の前で止まった。
「ここはなんですか?」
扉に木の板が掛かっている部屋に指を向けて、雪花は訊く。
すると西奈が、「ここはね」と言いながらその木の板をひっくり返した。
「あたしの仕事部屋」
ひっくり返された木の板には、『仕事中』と大きく紫色で書かれていた。
「仕事部屋、ですか」
「そう、思ってた以上にここでの執筆がやりやすくてさ、だからさっきの和室は使ってないってわけ」
なるほど、和室。後無惨。
雪花はそう唱えながら一瞬手を合わせる。隣の西奈は不思議な顔をして、雪花は見ていた。
それから雪花は、さっきの和室の時と同じ様に扉に手をかけ開こうとしたのだけれど、瞬間西奈が、雪花の手を止めた。
「入るの?」
とても真剣な眼差しだ。
これ以上先に行くのならば、それ相応の覚悟と準備が必要だぞ、というように雪花を見つめる。
「そんなに危険なんですか? この部屋は」
「危険だよ、この部屋には獰猛な動物が住んでるからね」
「って言っても中からは何も聞こえないですよ」
言いながら扉に耳を近づけるが、中からは物音一つしない。本当に西奈が言うような動物がいるというのだろうか。
なんて、そんなわけがない。
なんかノリノリの西奈に合わせて雪花も、少しそのノリに乗って見ただけだ。
家の中に本当に危険な動物なんているわけがない。
「そう思うなら入ってみればいい。襲われてもあたしは一切の責任を負わないからね」
呆れた様子の西奈、そんな西奈の忠告などいざ知らず。雪花は扉を開け部屋へと足を進める。
中に入ってみても、そこは普通の部屋だった。
真正面の窓を基準に、右上におそらく執筆用であろう机としばらく使っていないのか、少し埃の被ったノートパソコン。右下の方には、ほとんどが西奈自身の著作が敷き詰められた本棚。左上には、特別何か特徴があるわけでもない、普通のベッド。
そんな普通の部屋だった。
強いていうなら、箪笥に何人たりとも開けてはならない。と書かれているぐらいだろうか。
ただそこは、犯罪さえしてなければ触れる意味もないので、スルーする。
そんな普通の部屋を見て拍子抜けした雪花は、後ろにいる西奈へと目をやる。
「西奈さん、やっぱり何にもいないじゃないですか。あーいう小芝居するならもうちょっといい物考えた方がいいですよ? あくまで天才作家ならの話ですけれど」
なんていう煽りをしていると、ふふ、ふふ、と笑い声が聴こえてくる。
声の方向は、雪花の後ろ。
すると雪花は、突然背中を押され無理矢理部屋の中へと、押し込まれる。
そして後ろにいた人物、西奈は、足取りを重くしながら部屋に入ると、扉の鍵をカチャッとしっかりと音が鳴るように閉めると呟く。
「雪花ちゃん、さっきあたしが何に注意した方がいいよ、って言ったか覚えてる?」
西奈が笑いで肩が震えているのに対して、雪花の肩は怯えで震えている。
危険を察知した。
「獰猛な動物がいるから気をつけろって」
「そう、あたしはそう言った。けどその言葉は決して狼や虎などの肉食動物を指して言ったわけではないんだよ。あたしは──人間という意味で言ったんだ。それもこの世界の大多数の人間を指してでもない、あたしの言った言葉はあたし個人を指して言ったのさ、それも今から雪花ちゃん、君を襲うっていう意味でね」
言ってニヤッと、キモチワルイ笑みを浮かべた西奈は、怯えきっている雪花をベッドに押し倒した。
そして、狼が大きな声で鳴いた。
「なんてね、あたしは女子高生が好きではあるけど、本当にそういう関係になりたいとかは思わない」
「思わないなら、私の着ている服を全部脱がしたのはなんでなんですか?」
雪花は今下着姿で、ベッドに横たわっている。こんなところ側から見たら完全にそういう関係である。
けれどそんな状況であるのにも関わらず、西奈は自分のした事を悪びれる様子もなく、むしろ感謝しろと言わんばかりに、自信たっぷりに言った。
「あたしは女子高生とそういう関係になりたいとは思わないけど、女子高生のセーラー服を脱がしてみたいとは思うんだ。このあたしでも現役の時には残念ながらそういう機会はなかったからね、今回やらせてもらったというわけだ」
何が、というわけだ。
この変態!
そういうのをしたいというよりも、ただ脱がしたいだけという方が、変態性が高い気がするのは何故だろう。
「さ、後部屋は二個だサクッと終わらせよう」
言って、西奈は変態性について考え事をしている雪花の腕を掴み、案内を再開させようとする。
「ちょ、ちょっと待ってください。この事は他言無用にして無かったことにするんで、せめて服、着させてください」
下着姿で、家の中を
なので、自然と今回の犯罪をなかったことにしながらの懇願だった。
「仕方ないなぁ、いいよ」
イケボを意識しての言い方で、耳打ちするこの狼女性は、当たり前と言わんばかりに雪花から目を逸らしたりなどしないので、雪花は仕方なく別の物に視線を移し、気を紛らわせる。
目についた物は、机上のノートパソコンだった。
おそらく小説の執筆時に、使われいたはずのパソコン、そのパソコンにも今は埃が被っており、長い期間使われていないことがわかる。
その期間、およそ半年。
西奈が小説を執筆及び、出版しなくなってからの期間。
その間、机上のパソコンは動いていないはずだ。
今まで、何十時間、何百時間と執筆に使われていたはずなのに、それは突然だったのか予兆があったのかは、雪花にはわからない、けれど、思った。
今日この後、夜ご飯を食べている時にでも、どうして新作を書いていないのかを訊いてみてもいいかも、そう──悲しそうなパソコンを見ながら思った。
「はい、着替え終わりました。次行きましょ」
雪花は、ベッドから立ち上がると、西奈のいやらしい視線から逃げるように、足速にその部屋を後にした。
そして次、西奈の自室の隣室、順番で言えば二個目の部屋、ここはなんだろうと雪花より後に部屋から出てきた不満足そうな西奈に目をやると、西奈はあっけらかんと興味なさげに言った。
「あー、そこは客室用の布団が数枚あるだけのめちゃくちゃつまんない部屋だから、気にしなくていいよ」
「この家って、お客さん来て泊まるんですか?」
「うんたまにね。あたしの友人が遊びに来てそのまま酔い潰れてそこで、ってな感じ」
西奈の友人、この人の友人をしているその人は、どういう人なのだろうか、正直言ってしまえば西奈の性格的に人付き合いに向いている性格ではないというぐらい、まだ出逢って数時間の関係である雪花にだってわかる。
そんな西奈の友人を勤め上げている人物、気にならないと言えば嘘になるが、追求するほどのことでもない。
西奈はたまにと言った。それがどれほどの頻度なのかは、わからないけれど、おそらく雪花がここで働く期間内にその友人が、訪問するということはないのではないだろうか。
もし訪問することがあったとしても、その時はその時で雪花は、仕事をこなすだけである。
「西奈さんにも友達、いるんですね」
言った後に、気遣いも何もない発言だと言うことに気づいたけれど、西奈はそんな雪花の言葉にも笑っている。
「いるよ。それもとびっきりに凄い奴らがね」
友人の話をする西奈の姿は、今日今まで雪花が見てきた西奈とは、また違った楽しさを醸し出していた。
「そうですか、なら良かったです……じゃあ次行きますか」
「そうだね、次で最後だ」
言って視線を隣の部屋、一番奥の部屋へと移す。
向かいながら、ここは? と目で訊くと西奈は、心配そうな表情をしながら言った。
「ここは、雪花ちゃんの部屋なんだけど」
そうか、住み込みということは自分の部屋も与えられるわけか、雪花はいざとなればリビングで眠るつもりだったので、少々驚いてしまう。
「……私の部屋ですか、開けてもいいんですか?」
「あーうん、いいよ」
なんだろう、この歯切れの悪い西奈はさっきまでとはまた違ったキモチワルサがあるなぁ、なんて思いながら部屋の扉を開ける。
中は、さっき見た西奈の自室とほぼ変わらない内装だった。真正面に窓があり、その右側に机、その隣に本棚があり、左側のにはベッドがある。
ない物といえば、ノートパソコンとあの開けてはならないと書かれていた箪笥ぐらいだ。
言い換えれば、一ヵ月過ごす程度であれば不自由なく暮らせる部屋と言えるだろう。
「どう? かな。一応いつバイトの子が入ってもいいようにはしてたんだけど、ここで暮らせそう?」
なるほど、さっきからどこか歯切れが悪かったのはそこが心配だったのか。
雪花にはそんな西奈の杞憂がとても優しく感じた。
「はい、全然大丈夫だと思いますよ」
むしろいつ来るかもわからない人の為にここまで準備をしていてくれたということに、感謝しなくてはならない。
雪花が言うと、西奈は手を叩きながらとても嬉々とした表情を見せる。
「よかった。もしあたしの感性が古くて、今時の女子高生はこういう部屋じゃ寝られないよ、とか言われたらどうしようって思ってたんだ。いやー取り越し苦労に終わってよかったよ」
「そんなこと言う人まずいないと思いますけれどね」
「そうかな? まぁもう考えても仕方のないことだけどさ。部屋の間取りもちゃんと考えたんだよ? 多分気づいてると思うけど、あたしの部屋から一部屋空いてるから何してても聞こえないと思うし、もしもの為に防音素材を壁に埋め込んでるから、どんな大きな声出しても大丈夫なようになってるから安心していいよ。思春期の子を住ませるんだからそこら辺はちゃんとしないとなぁって思ってたんだ。住めるって言ってくれてよかった」
ホッとしたのか西奈は、肩を撫で下ろしながら息を吐く。
すると言い忘れたことを思い出したのか、慌てて言った。
「けど、男は連れ込んじゃダメだからね! どんなことしても音は聞こえないけどあたしその辺は、音なんかなくてもわかるんだから」
なんだその注釈、雪花は男友達の一人もというか友達がそもそもいないのだ、それこそ杞憂という物だ。
というか女なら連れこんでもいいのか? いや連れ込まないけれど! そういうルールなのか? ここは男子禁制の寮施設かなんかなのかな?
そもそもなんでこの人は、そっちの方面の心配までしているんだろう、優しいのは優しいのだけれど、それは……いらない優しさなのでは?
「それはなんですか、男友達どころか友達が一人もいない私への皮肉ですか?」
雪花は話を逸らすために、そんな別段どうも思っていない様な悪態をついた。
すると見事に西奈は釣られた様子を見せる。
「いや、そういう意図は全くないんだけど……なんかごめん」
本気で雪花が落ち込んでいると思っているのだろうか、もしそうなら自分は案外演技の才能でもあるんじゃなかろうか、とそんな想像をしていると西奈が言った。
「もし寂しいならあたしがいつでも相手してあげるから言ってね。もちろん昼も夜も──ね」
「うるさいです!」
こちらが先手を握っていたはずなのに、やはりいつの間にかターンは西奈のものに成り代り、家案内は終了を迎えた。
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