第283話 導きの炎

気が付いたときには、もうすでに辺り一面を覆う深い闇の中にいた。


ショウゾウは、その闇の中でひとり立ち尽くし、ここがどこであろうかと思案してみたが、思い当たる場所もなく、先ほどまで迷宮≪悪神の哀涙あいるい≫の守護者との戦闘の最中であったことを考えれば、おそらくは死後の世界であろうという答えに落ち着いた。


そうだ。儂は敗れた。


借り物の力を笠に着て、おのれが強者であるといつの間にか過信した挙句に、簡単に足元をすくわれた。


敗れて当然。死んで当然。


好き勝手に生きてきたおのれの生涯を顧みると、天国だの極楽だのを望むのはおこがましく、このような殺風景で陰気な風景の場所に連れてこられてもそれは文句の言えた筋合いではない。


ただ、どうせならひしめく亡者や恐ろし気な獄卒などがいる賑やかな場所の方が善かったなとショウゾウは内心で、独り言ちた。


辺りを見渡しても何もない。


蠢く闇に遮られ、見晴らしが悪く、どちらへ進んでいいのやら、皆目見当もつかなかった。


まあ、いいか。

ここにただ茫然と立っていてもしかたがない。


ショウゾウはとりあえず今、自分が向いている方角に少し歩いてみようと思い立った。


だが、その一歩目を踏み出そうとしたその時。


何か、背後で自分を呼んでいる様な、そんな気がして振り返ると、はるか遠くに微かだが、緑がかった鬼火のような光がゆらゆらと揺らめいて浮かんでいることに気が付いた。


その鬼火はゆっくりと、だが確実にこちらの方に近づいて来ていて、それがただの見間違いや幻などではないと確信できた。


やがて、その鬼火のように見えていたものが、何かランタンのようなものの明かりであることがわかり、それをもつ歪な形の人影のようなものがその背景に浮かんで見え始めた。


背はそれほど極端に高くはないものの、異常に広い肩幅で、腕が長く、腰が低い位置にあるように見える。


「ははあ、おぬしが地獄への出迎えに来てくれたのか。死んでも尚、忠義なことよ」


緑色にぼんやり光る明かりを手に現れたのは、意外でもない、どこか腑に落ちた感じのする≪獣魔≫グロアであった。

獣の頭部を模した覆面のようなものは身に着けておらず、酷い傷跡が残る素顔のまま微かに笑みを浮かべたが、じっとショウゾウの目を見つめるばかりで応えは無かった。


そして、グロアはまるで騎士が己が主にするようにショウゾウに向かって片膝をつき、首を垂れて挨拶すると、直ぐに立上り、背を向けて歩き始めた。


「どうした? グロアよ、言葉が話せぬのか。どこに行こうというのだ?」


その歩みはとてもゆっくりで、時折振り返り立ち止まって待っていて、ショウゾウについて来いと言わんばかりだった。


ショウゾウは仕方なく、グロアの広い背とその手に持つランタンの明かりの向かう方向に進むことにした。



しばらくの間、言葉もなく、ひたすら後をついて行くと、辺りの闇が一層濃くなり始めた。


「どこへ儂を誘おうというのだ。行先くらい教えてくれても善いのではないか。なにか、拗ねておるのか? 返事をせよ」


そう呼び掛けるが、グロアは寂しそうな目でこちらを振り返るばかりで言葉を発しない。

どうやら、本当に言葉がきけぬようであるぞとショウゾウは内心で思った。

グロアは、その発する言葉は拙かったが、ショウゾウの前では決して無口ではなかった。

そのグロアがこうして己を目の前にして一言も話さないことなどほとんど記憶になかったのだ。


まあいい。どの道、この先、行く当てもないのだ。

案内してもらえるだけでもありがたい。


ショウゾウは、そのままグロアに導かれるままに歩き続けた。



どのくらいの時間をそうして歩き続けていたことだろう。


気が付くとグロアの姿が消えていた。


その手に持っていたランタンの中にあった緑色の揺らめく炎だけが宙に浮かび、前を進んでいる。


ショウゾウはグロアの名を大声で呼んだが、静寂の闇にただ虚しく響くばかりで、誰も何も答えない。


だが、その時、あることに気が付いた。


目の前の宙に浮かぶ緑色の明かりから、なぜかグロアの気配を感じたのだ。


「……グロア、お前なのか?」


緑色の炎は答えない。

だが、そうであるという確信めいた思いがショウゾウの中には湧いて出た。


その時、急に緑色の炎がショウゾウの懐に飛び込んできて、そのまま体の中に消えていってしまった。


「なんだ? これはどうしたというのだ」


何か、体の奥が熱く昂ぶり、活力が満ちてきた。


そして周囲を覆っていた闇が少しずつ晴れていくと、そこがどうやらグロアが自分を連れてきたかった目的地であったのだと理解した。


そこは膨大な生気エナジーの集積地のようなところで、ショウゾウの周囲をこれまでスキル≪オールドマン≫で奪った多くの人間の命の源であったエネルギーが渦巻いていた。


振り返るとこれまで歩いてきた場所も何もない虚無の空間などではなく、この場所ほどの濃さではないものの、生気エナジーが絶えず流動していたようだ。


「グロアよ。儂をこのような場所に導いて何を見せたかったのだ?」


もはやその姿はなく、緑色の謎の炎も身の内に吸い込まれて行ってしまった。

当然に、その問いに対する答えもない。


仕方なく、ショウゾウはその生気エナジーの奔流の一層濃い場所に足を踏み入れてみた。


そこでショウゾウは、とてつもないものを発見してしまった。


膨大な生気エナジーの光に遮られたその奥に鎮座していたのは、巨大な闇の塊であった。


否。


それは唯の塊などではない。


圧倒的な存在感を放つ闇でできた巨人。

隆々たる立派な体躯を備えながらも、そのディテールをつぶさに観察すると長い髭と多くの皺を蓄えた老人であるように見えた。


その巨人は胡坐をかき、ぐったりと項垂れて、死んだようにピクリとも動かない。

その目は虚ろで、顔は弛緩し、右手に何か光るものを掴んでいるようだった。

首と手足には枷のようなものがあり、さながら囚人のような姿であった。


「これは一体、何なのだ?そして、儂は今、どこにいるのだ?この場所は……」


ショウゾウは、目の前のあまりにも大きな闇の巨人を見上げつつ、うわ言のように言った。


『……これは、死せる巨神ヨートゥンの力の源。悠久の時の中で自我を失いし今も、こうして遺され続けている闇の希望……』


「誰だ?」


自分の脳裏にどこか聞きなれた声がして思わず周囲を見回す。


『我はかつてグロアと呼ばれた魔人に宿りし、神の力の断片。消えゆくグロアという存在の最後の残渣のようなもの。汝は選ばねばならぬ。このまま人として生を終えるか。それとも、その大いなる闇の根源を喰らい、新たなる魔人として再び現世に舞い戻るのかを……』


「選ぶだと? その二択では、考える余地などないではないか。当然に、後者だ。死ぬなど、真っ平ごめん。生きられるなら、すべてを踏み台にしても、儂は生きるぞ」


『……その強欲、神の如き傲慢、そして生への飽くなき渇望。いいだろう。二度と人間に戻れぬその覚悟があるのなら、あの闇を存分に喰らうがいい。真なる闇はお前に更なる力を与え、新たなる生への糧となるだろう』


生きる。生きたい。


自分が在るがまま、自分であり続けられるなら、いつまでも常しえに。


病魔と老いに侵され、次第に自分が自分ではなくなるあの恐怖と絶望を味わわずに済むのなら、永久に生きていたい。


ショウゾウに迷いは無かった。


鎮座する闇の巨人のもとに歩み寄り、その肉体の一部に触れると、力強く唱えた。


「発動せよ。スキル、オールドマン!」







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