大魔法使いのお嫁さま

西條セン

お買い物に行きましょう?

 それはあまりにも突然のことだった。

 世界が震撼したとはこういうことを言うのだろうか。

 世の中には魔法使いと呼ばれる人たちがいる。その中でも生ける伝説とも呼ばれる大魔法使いルゼル・ルートランドが突然妻を娶ると宣言したのだ。


 何百、いや何千年もの時を生き続けているという伝説の魔法使いは今まで一度も嫁を迎えたことはなかった。だからこそ多くの貴婦人や、我こそはという淑女たちが彼へ婚約を申し込んだ。

 戦略、財産、顔。なにが目当てかは人によって違ったが、大魔法使いの嫁というポジションは多くの女性を魅了し、強く求めさせた。


 しかしルゼルが嫁をとると宣言して以降、とくになにか進展があったかというとべつになにもなさそうだ。

 宣言の翌日の朝刊ではあんなに大きく『あの伝説の魔法使い、ついに妻を娶る』などと謳って大々的に新聞の表紙を飾っていたというのに、まったくと言っていいほど続報がなかったのだ。


 何千年もの時を生きる大魔法使い。当然のことながら会ったことはないが、相当な美形だという噂だ。

 実年齢と見た目が合っておらず、歳のわりに端正な顔立ち。大魔法使いと呼ばれるだけの実力者。おそらくだが、財産も少なくはないだろう。

 そんな男性がモテないはずがなく、いろんな国の様々な女性が彼に婚約を申し込んだのは納得だが、なぜいまだに続報がないのか。それが少し疑問だった。

 彼に婚約を申し出た女性の中にはなんでも王族の者もいるという噂だ。どんな身分の女性でも選び放題だと思うのだが、なにか問題でもあったのだろうか。


「まぁ、私には関係ないんだけどねー」


 ソフィー・シラーはそう呟くとぱんぱんとシーツを叩いた。

 彼女がいるのはとある侯爵家の庭の端。ついさっき丁寧に手洗いした侯爵家の娘のベッドシーツを干している最中だった。

 ソフィーはこの家に仕える、平民生まれのどこにでもいるような平凡な侍女だ。当たり前のように、大魔法使いの妻探しに関わることはないであろう人間。

 もしこの家の娘がいい歳の女性だったのなら、ソフィーも付き添いという形で話題の大魔法使いに会えたかもしれないが、あいにくとこの侯爵家唯一の娘はまだ九歳だ。婚約ならともかく結婚なんて早すぎる。


「はっくしゅん!」


 逆立った繊維が鼻腔をくすぐって、思わずくしゃみが出た。


「たいへん、風邪なのだわ!」

「お、お嬢様、私は大丈夫ですよ」


 それをどこからか聞きつけたお嬢様が駆け寄ってきて、ソフィーに勢いよく抱きついた。これはただ繊維がくすぐっただけなので、問題はない。むしろ本当に風邪を引いているのならお嬢様に移してしまう。そちらの方が危ないので、ソフィーはそっと彼女を自身から引き剥がした。


「本当に大丈夫なの?」

「はい、ソフィーは大丈夫ですよ」

「そう? なら一緒にお買い物に行きましょう?」

「わかりました。すぐに準備いたしますね」


 どうして普段は使用人しか来ないような場所にお嬢様が来たのかと思えば、どうやら彼女は買い物に出かけたかったらしい。それでソフィーを探してここまでたどり着いたのだろう。

 ソフィーは他の使用人に残りの洗濯を任せると、街へ買い物に行くべく準備を始めた。


 普段、お嬢様の買い物には侍女のソフィーを含め、三人の使用人もとい護衛がついている。これは心配性な侯爵家の旦那様が大切な子を思っての人数だ。

 べつに護衛をつけないといけないほどこの街の治安は悪くないのだが、備えあれば憂いなしともいうので、気をつけるに越したことはないだろう。

 ソフィーは手提げのカバンを持って、お金の入った財布を持つと玄関で楽しそうに待っているお嬢様のもとへと急いだ。


「今日は美味しいタルトを買いたいのだわ」

「わかりました。ではいつものお店に参りましょうか」

「ええ!」


 ソフィーの言葉にお嬢様は満面の笑みを浮かべる。いつもと変わらない、とても平和で穏やかな時間が流れていた。

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